今晩は、所沢市田中則行です。夕刊フジZAKZAK芸能ニュースにて毎週掲載中の歌姫伝説 中森明菜さんの軌跡と奇跡、今週も4枚目シングル『½の神話』と新レコード会社『ハミングバード』への移籍話に関する記事で所属事務所の“鶴の一声”が出ずディレクターが一転残留したなどの件で報じられました。

(夕刊フジZAKZAK芸能ニュース・11月10日報道発表)
オリコンのシングルチャートで初登場1位(昭和58年3月7日付)を獲得した『½の神話』。明菜にとっては4枚目のシングルにして初の快挙であった。今こそ“花の82年組”と称される中で、デビュー時は「6、7番手」であった明菜がトップアイドルへと躍り出た。

だがその人気が禍となった。ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージックジャパン)で“政争の具”に利用される事態に陥った。邦楽宣伝課で富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー)の後、明菜の担当プロモーターになった田中良明氏(現在では「沢里裕二」名で作家活動)は振り返る。

「邦楽制作担当の役員が退任に追い込まれたことが騒動の切っ掛け。制作、宣伝、営業の主力社員に『一緒に新しいレコード会社を設立しよう』と持ち掛けたのです。当初は明菜を担当したプロデューサーやディレクターも同調し、明菜の事務所とはプロデューサーが折衝していたようです。我々には明菜の動きは全く知らされず、役員以下数人が水面下で動いていたようですね。富岡さんも新たな挑戦をしたくて移ったので、後になって明菜の移籍が進んでいたと聞いた時は流石に驚いたと思いますよ。役員は明菜のコアスタッフを根こそぎ引き抜けば明菜も自然についてくると考えていたようです。ただ甘かったのは実質的に明菜の制作宣伝を統括していた寺林さん(現エイベックス・レーベル事業本部アドバイザー)の意向を無視したことです。寺林さんは明菜のお母さんにも信頼を得ており、何より明菜を騒動に巻き込みたくなかったようです」

勿論、田中氏にも転職の話があった。新しいレコード会社『ハミングバード』(後のマイカルハミングバード)は広告代理店の東急エージェンシーの仲介で、総合小売業のニチイ(後のマイカル、現イオンリテール)が出資することも決まっていた。

「僕の場合、元々東急エージェンシーの子会社だった東急エージェンシーインターナショナル(現フロンテッジ)で売野雅勇さんと一緒にCBSソニー(現ソニーミュージックエンタテインメント)のコピーライターをやっていて、ワーナーに転職してきたので正直複雑でしたね。結局はそれも断った理由の一つでした。勿論上司の転職に追随することに疑問もあったことは確かですが…」



寺林氏にも役員から打診があった。しかし、新レコード会社の設立に明菜の移籍が絡んでいたことにどうしても納得がいかなかった。そもそも契約を無視したやり方に納得がいかなかったのである。そこで所属事務所に「そんな話があるのか」と確認にいくと真っ向から否定されたと言う。

「デビュー2年目で明菜にとっては一番、重要な時期でしたからね。デビュー前から綿密にコンセプトや戦略を立ててきたにも関わらず、移籍となればそれを途中で投げ出してしまうことになりかねない。とにかく、私自身はワーナーの中で明菜ブランドを作るべきだとの考えが強かったですからね」と寺林氏。

とは言え、『ハミングバード』も設立の条件が明菜の移籍だったことは確かで、一旦動いてしまった歯車は止まらない状態になっていた。田中氏は語る。

「移籍については引くに引けなかったと思います。尤も、事務所が『移籍させる』と判断したら決まってしまう話ですからね。でも、その一言がなかなか出てこなかったことも確かでした。結局、プロデューサーは新会社に移りましたが、ディレクターは一転して退社を踏みとどまりました」

(芸能ジャーナリスト 渡邉裕二・談)