今日は、所沢市田中則行です。本日のGoogleニュース内 週刊実話リアルライブで中森明菜さんに関わる記事が配信されました。「ファンの前から姿を消して丸4年、55歳になった歌姫“”の今」と題して今年7月に55歳を迎えた明菜さんの過去の秘密が明かされました。
(ドコモdメニューニュース及びGoogleニュース内 週刊実話・8月10日報道発表)
80年代のトップアイドルとして“昭和の歌姫”と呼ばれた中森明菜さん。ファンの前から姿を消して久しい。コロナウイルス感染の深刻化でワーナーミュージックジャパン在籍時に行った明菜のライブ映像が無料配信され、再び注目を集めている。
「2010年に体調不良を訴えて突然、無期限活動休止に入った。4年後の『NHK紅白歌合戦』で一時復帰を果たしたものの、16年末のディナーショー以降は表立って活動していません」(元ワーナースタッフ)
先月13日に55歳のお誕生日を迎えた明菜。不定期発行しているファンクラブ会員向け会報で日常生活については綴っているが、仕事には殆ど触れていない。
「デビュー同期で明菜の唯一の親友の小泉今日子はラジオ番組で『同士が頑張っていると嬉しい』と呼び掛けたが、小泉にも連絡を取っていないみたいです。一体、明菜はどんな生活をしているのか、所属レコード会社に聞いても分からないのです」(音楽ライター)
10年前に無期限活動休止した際、重度の躁鬱と言われたこともあった。
「一度は回復して復帰したものの、その後再発したのではないかと心配されているのです」(同・ライター)
明菜はオーディション番組『スター誕生!』(日テレ系列)でスカウトされ、昭和57年に『スローモーション』で歌手デビュー。その後、日本レコード大賞の大賞を2年連続受賞と言う偉業を達成した。歌手として頂点を極めた一方で、プライベートではジャニーズ事務所所属の近藤真彦さん極秘交際を続けていた。
「芸能マスコミはジャニーズ事務所に忖度して見て見ぬフリでしたね。平成元年7月に明菜は近藤の自宅マンションで自殺未遂を起こした。近藤が明菜のライバルの松田聖子とニューヨークで密会したことが写真週刊誌に報じられたことで、明菜が不信感を抱いたのが原因だったと言われています」(レコード会社関係者)
結局、マッチとは自然消失のような形で破局。その後の明菜の周辺には有象無象の輩が群がった。
「留学詐欺師のおばさんや、六本木のバーテンダー、それに元暴力団員等々…。明菜の生活は荒れました。筆舌に尽くしがたい辛酸を舐めて来ましたからね。人間不信を拭い去るには時間が掛かりますよ」(女性誌記者)
ファンや音楽関係者は“歌姫”の完全復活を待ち望んでいるのだが。。