今晩は、所沢市田中則行です。夕刊フジZAKZAK芸能ニュースで毎週掲載中の歌姫伝説 中森明菜さんの軌跡と奇跡。今週は「まだ新人だが多彩な楽曲歌いこなし…“花の82年組”アルバム1位に一番乗り!」と題して2枚目のオリジナルアルバム『バリエーション〈変奏曲〉』に関する記事が配信されました。また今週もセカンドシングル曲目『少女A』に関わりますが、同シングル曲目の他にサードシングル曲目『セカンド・ラブ』にも注目されています。

(ドコモdメニューニュース及びGoogleニュース内 夕刊フジZAKZAK芸能ニュース・8月4日報道発表)
昭和57(1982)年7月28日にリリースされ、オリコンシングルチャート初登場40位からスタートしたセカンドシングル曲目『少女A』は発売11週目、つまり2ヶ月以上も経過した10月18日付で5位(最高位)に上がり詰めた。新人アイドルとしては異例のことであった。そのタイミングに合わせるかのように同年10月27日にリリースされたのが2枚目のオリジナルアルバム『バリエーション〈変奏曲〉』であった。

「アルバムの先行が実は『少女A』でした。なので『少女A』のセールスが理想的な形でアルバムに結び付きました。当時の宣伝は基本的にはシングルが重要。アルバム・セールスはシングルを売ってこそその結果でした。それもあって、アルバム1曲目に売野雅勇さんの『キャンセル!』が選曲されましたが、他にもデビュー前にデモ曲として来生たかおさんと来生えつこさんと書き上げた『咲きほこる花に…』も盛り込むなど、とにかくバラエティーに富んだ内容になっていました」とワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージックジャパン)の邦楽宣伝課で明菜を担当した富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は振り返る。



アルバム発売前に『少女A』は100万枚に迫る勢いになっていた。そして収録曲の『キャンセル!』はサードシングルの候補曲として、制作や営業サイトからも「一推しの楽曲」として挙げれた。

富岡氏は言う。「私自身は『少女A』が大ヒットしたので、その路線を引き継ぐシングルとしての『キャンセル!』は最初から大反対でしたが、アルバムの収録曲としてイントロダクションに続く1曲目にしたのは大成功でした。結果的に『少女A』の路線がアルバム・セールスに結び付きました。とにかく明菜は歌唱力のある歌手としてコンセプトを大切にすることがデビュー前からのスタンスでしたので『セカンド・ラブ』をサードシングルにすべきだと言う気持ちでした。勿論、明菜自身も『セカンド・ラブ』を気に入っていましたからね」



アルバムは11月8日付オリコンアルバム総合ランキングで初登場1位にランクされた。“花の82年組”で当初は6番手、7番手と言われた明菜だったが、最終的にアルバム1位の一番乗りとなった。

「彼女の魅力は何と言っても、ずば抜けた歌唱力。歌の主人公になりきる力量もアイドル歌手の中では群を抜いていたことがアルバムを聴くと分かる。アイドルの枠にとどまらなかったことだけ果たしかです。しかも、それが明菜の一面に過ぎないこともバラエティーに富んだアルバムを一聴するだけで分かりました。『少女A』路線のツッパリ風の作品『キャンセル!』『X3(バイバイ)ララバイ』や弦楽器をバックに歌った『・咲きほこる花に…』、更には純歌謡曲、トロピカル風の曲まで、とにかく多彩な楽曲が盛り込まれ、また新人で、しかも2枚目のアルバムと言うのにボーカリストとしての幅や魅力が見事に発揮された作品に仕上がっていました。この時点で明菜は松田聖子と並んで山口百恵の後継的なイメージが付いたと言えます」と評する音楽評論家の声もあった。



アルバムは発売から2週連続で1位を獲得。一方でシングル『少女A』の勢いも止まらなかった。『ザ・ベストテン』(TBSテレビ系列)では発売3ヶ月目となる10月28日の放送で3位にランクアップ。その後もランクインし続け、最終的に11月25日放送分まで11週間に渡って出演した。

デビューから半年、明菜は名実共に「全国区」のボーカリストとなった。明菜の「歌姫伝説」はここから始まった─

(芸能ジャーナリスト 渡邉裕二・談)