今晩は、所沢市田中則行です。夕刊フジZAKZAK芸能ニュースにて好評掲載中の歌姫伝説 中森明菜さんの軌跡と奇跡。今回は「『ベストテン』が“メジャー進出”の第一歩!初出演に緊張『トイレに行きたくなって…』」と題してセカンドシングル曲目『少女A』とベストテン入りに関わる記事を配信します。

(ドコモdメニューニュース及びGoogleニュース内 夕刊フジZAKZAK芸能ニュース・7月14日報道発表)

セカンドシングル『少女A』のリリース(昭和57年7月28日発売日)から1ヶ月。芸能誌を始めテレビ各局からの問い合わせが殺到し始めた。ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージックジャパン)の販売担当者は振り返る。

「宣伝担当者はこれまでお願いしても反応が鈍かった芸能誌からインタビューや撮影の問い合わせなどが相次ぎ、逆にスケジュール調整が難しくなってきたと言っていました。レコード店からの受注は私達営業担当者が直接受けてもらいましたが、それもリアルに高まっていて売れていくと言うのはこういうものかと何処かモチベーションも高まっていました」



オリコンのシングルチャート初登場40位(昭和57年8月9日付)でスタートした『少女A』は4週目の8月30日付で24位にまで上昇、ロングヒットの様相を見せてきた。その人気を一気に押し上げる起爆剤が当時、木曜日の21時からTBSテレビ系列でオンエアしたランキング歌謡番組『ザ・ベストテン』への出演であった。

同歌謡番組は平均視聴率が28.0%(昭和57年実績)と言う驚異的な音楽番組であった。明菜は9月16日に初登場9位で出演。9999点が最高点の中、6189点であった。



これまでデビューの切っ掛けになった日テレ系列『スター誕生!』は別として出演した音楽番組と言えば日曜日夕方・夜間のNHK総合テレビ『レッツゴーヤング』とテレ東系列『ヤンヤン歌うスタジオ』位だっただけに「デビュー4ヶ月で漸くスタートラインに付いたような思いだった」 (前出の営業担当者)



司会の久米宏の呼び込みで登場した明菜の笑顔は何処か強張ったようであった。黒柳徹子さんから初登場の感想を聞かれ「嘘みたいです」と緊張気味に答えると、更に「トイレに行きたくなってしまって…」。思いもよらない一言に一瞬、周囲も戸惑いも隠せなかった。

「言い方が悪いかも知れませんが、ある意味ランキング番組だったから出演できたと思います。通常の音楽番組ならまだ先になっていたかも知れません。しかし『ベストテン』への出演はメジャー番組進出の第一歩になったことは確かです」 (前出の営業担当者)

事実、『ザ・ベストテン』を切っ掛けに翌週9月20日オンエアのフジテレビジョン系列『夜のヒットスタジオ』にも初登場し『少女A』を熱唱した。



ワーナーの邦楽宣伝課で明菜のプロモートを担当した富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は「この時『ベストテン』と『夜ヒット』の力を改めて実感しました。この2本だけで、これまでの何十倍もの反響が寄せられました。ただ、明菜が他の新人アイドルと大きく違ったのは地方のファンが圧倒的に多かったことでしょうか。デビュー以来、地道に続けた全国キャンペーンの効果だと今でも思っています。地上戦と空中戦が結び付いて大きなパワーになったのです」と言う。



9月27日付オリコンのシングルチャートは一気に14位にアップし、10月4日付で遂にベストテン入り(9位)を果たした。アイドル新人歌手のシングルが発売2ヶ月後にベストテン入りするのは異例であった。ところが『少女A』がチャートを急上昇する中、“勝負曲”となるサードシングルが大きく問題になっていた。富岡氏は振り返る。

「『少女A』がロングセールスになっているタイミングもあって、ツッパリ路線をサード・シングルも貫くべきだと言う声が出てきたんです。しかも、シングルの前にセカンド・アルバム『バリエーション〈変奏曲〉』も予定していたので、その流れを止めたくないと言う意見が販売担当者から出ていたんです」

社内の意見は二分していた

(芸能ジャーナリスト 渡邊裕二・談)