今晩は、所沢市田中則行です。夕刊フジZAKZAK芸能ニュースで掲載されている『歌姫伝説 中森明菜さんの軌跡と奇跡』の3回目です。今回は「デビュー曲17万枚で満足するな!300万枚売る戦略を考えろ」と題してデビュー曲の売り込みとその戦略を取り上げます。

(ドコモdメニューニュース及びGoogle内 夕刊フジZAKZAK芸能ニュース・28日報道発表)
中森明菜デビュー曲『スローモーション』はチャート初登場58位(5月10日付 オリコン調べ)であったが、その後次第に注目され、発売2ヶ月半後の7月26日付で30位に異例のジャンプ・アップ。2週連続で30位をキープした。

「結果的に39週間に渡って100位圏内に止まったわけですから、結果的にはクリーンヒットと言っていい。業界的な知名度はイマイチだったかも知れませんが、デビュー後の明菜さんはどちらかと言うと目立たない感じながら、着実にファンを増やしていた。ユーザーの注目度では、おそらく新人の中ではトップクラスだったと思います。店頭で直接、ユーザーと接していたので分かるのですが、歌唱力も当時の新人ではピカイチでしたし、その盛り上がりは肌で感じましたね。おそらく業界とユーザーの間に、かなり遊離した部分があったと思います」

東京都豊島区・池袋の老舗レコード店『五番街』で販売を担当していた店員は当時をそう振り返った。



セールス的には16~17万枚であった。ワーナー・パイオニアで明菜のプロモートを担当していた富岡信夫氏(現 モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は言う。

「新人のセールスとしては決して少ない数字ではなかった。ただ新人としても巨額な宣伝を費やしていましたから、上の人間からしたら、その倍近く…出来れば300万枚位は行ってほしかったんじゃないでしょうか」

そんな「社会事情」が分かっただけに、明菜の制作と宣伝を統括していた寺林晁氏(現 エイベックス・エンターテイメント レーベル事業本部アドバイザー)が、第2弾でデビュー曲に近い路線の『あなたのポートレート』とは全く違う路線の『少女A』に変更しようとした気持ちも十分に理解できた。

「デビュー曲の候補にもなった作品なので、第2弾シングルとしても全く問題はないのですが、その時の寺林の意見が実に粋だったことを今でも覚えています」と富岡氏は振り返る。

「とにかく16万枚とか17万枚程度のセールスで満足しているんじゃないと言うんですよ。勿論我々も満足していたわけではないのですが…ただ、寺林が言うには日本の人口が1億2000万人いる中の高々16万人だと。だったらこれから200万枚、300万枚位売るアーティストにするには、どうしたらいいのかってことを考えなきゃダメだと言うです。『少女A』のイメージについて文句を言うことではない。ちゃんとした戦略を持つことが明菜を大きくすることだろうと。なるほどって思いましたよ。その考え方は、今でも間違っていなかったと思っているし理解できます」



結局、『あなたのポートレート』はデビューの2ヶ月後の7月1日に発売が決定していたファースト・アルバム『プロローグ〈序章〉』の収録曲となり、2枚目のシングル『少女A』は7月28日発売と決まった。

「アルバムについてはデビュー前からレコーディングして完成していました。表向きはロサンゼルスでレコーディングしたことになっていますが、実際は日本でレコーディングしており、単なる話題作り。余り意味のないプロモーションだったと思いますが、ただロスではプロモーション用のビデオとかジャケットの撮影はしました」

因みにアルバムには宣伝コピーとして「〔あ・き・なNo.1〕あらゆる可能性を秘めて待望のファースト・アルバム完成。歌唱力・ルックス・スター性その全てをとっても、あきなはNo.1です」との言葉が帯に踊っていた (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二 談)