こんにちは、所沢市田中則行です。のりちゃんの川越市方面散策の七回目です。最後となりますが、喜多院付近の日枝神社と成田山川越別院をご紹介します。





■日枝神社

◆所在地:川越市小仙波町

旧社格は県社であり元々は喜多院境内にあったが、県道建設により大正年代に仙波古墳群と言う前方後円墳を開削して喜多院門前に移転した。

円仁(慈覚大師)が天長7年(830)に喜多院を創建した折りにその鎮守として貞観2年(860)に坂本の日吉大社を勧請したものであると云われている。都内港区・赤坂の日枝神社(旧官幣大社)は文明10年(1478)、太田道灌が江戸城築城の際にこの川越日枝神社から分祀したものである(赤坂日枝神社も同様に記述している。)

本殿は朱塗りの三間社流造、銅板葺で国の重要文化財に指定されている。拝殿は老朽化が深刻だったため、近年に新拝殿が再建された。










■成田山川越別院

◆所在地:川越市久保町

成田山川越別院は川越別院成田山本行院と称し、いつの頃からか「久保町のお不動様」とも呼ばれるようになった。

本尊は不動名明王で内外の諸難や汚れを焼き払い人々を守ると云われ、願をかける時等に奉納する絵馬のため、境内には絵馬堂も建立されている。

同寺院は江戸時代も末の嘉永6年(1853)、ペリーが黒船を率いて浦賀に来航した年に下総の国新宿(現在の葛飾区)の石川照温が廃寺となっていた本行院を成田山新勝寺の別院として再興したのが始まりと云われている。

農家に生まれついた石川照温は30歳の頃に目が見えなくなってしまった。光明を失くした照温はある日のこと自ら命を絶とうとしたが、その時不思議なことに光を失った眼前に不動明王が見えたので、俄に仏道に目覚め、それまでの生活を改めると共に有名な成田山新勝寺のお不動様を熱心に新仰するようになった。

その甲斐があってか、失明した目もいつか昔のように見えるようになったので、いよいよ仏道に励み当地に寺を建立し、多勢の信者から慕われるようになったとのことである。照温の碑が近くの中院墓地に建てられている。





以上がのりちゃんの川越市方面散策でした