こんばんは、所沢市田中則行です。のりちゃんの川越市方面散策の二回目です。本日は仙波東照宮をご紹介します。



■仙波東照宮

徳川家康をまつる東照宮は、家康の没後その遺骨を久能山から日光に移葬した元和3年(1617)3月、喜多院に四日間とう留して供養したので、天海僧正が寛永10年(1633)1月この地に創建した。その後寛永15年(1638)正月の川越大火で延焼したが、堀田加賀守正盛を造営奉行とし、同年6月起工、同17年に完成した。当初から独立した社格を持たず、喜多院の一隅に造営されたもので、日光・久能山の東照宮と共に三大東照宮と言われている。社の規模は表門(随身門)・鳥居・拝弊殿・中門(平唐門)・瑞垣・本殿からなっている。本殿の前には歴代城主奉献の石灯籠がる。尚、拝殿には岩佐又兵衛勝以筆の三十六歌仙額と弊殿には岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した十二聡の鷹絵額がある。






■東照宮随身門・石鳥居

境内入口にある随身門は朱塗八脚門・切妻造でとち葺形銅板葺である。八脚門とは三間×二間の門で、門柱四本の前後に各一本ずつの控柱を持っている屋根付き門のことである。以前には後水尾天皇の御染筆なる『東照宮大権現』の額が揚げられていた。記録によるとこの勅額は寛永10年(1633)12月24日とあるから東照宮の創始の時期を知る一つの資料となっている石鳥居は寛永15年(1638)9月に造営奉行の堀田正盛が奉納したもので、柱に『東照宮大権現御宝前、寛永15年9月17日 堀田加賀守従四位 下藤原正盛』の銘文が刻まれており、模式は明神鳥居である。



■東照宮拝殿・弊殿

拝殿は桁行き三間(5.36m)、梁間(3.64m)で、単層入母屋造、正面は向拝一間(1.82m)あって銅板本葺である。弊殿は桁行二間、梁間一間で背面は入母屋造り、前面は拝殿に接続し、同じく銅板本葺である。内部も朱塗で美しく、正面に後水尾天皇の御染筆なる東照宮大権現の勅額が懸けてある。記録によると寛永10年(1633)12月24日とあって、東照宮創建当時に下賜された貴重なものとされている。川越城主であった柳沢吉保や秋元但馬守喬朝の頃に大修復があったと伝えているが、松平大和守の弘化4年(1847)にも修復が行われたと言う。





次回は喜多院をご紹介します