こんばんは、所沢市田中則行です。新年四日目の本日、西武新宿線経由で川越市方面を散策しました。川越市で人気の初詣スポットとして知らしめている喜多院の他、中院と仙波東照宮、日枝神社、成田山川越別院も散策しました。本日は喜多院より東側へ向かった先にある中院をご紹介します。








■中院

◆所在地:川越市小仙波町五丁目



中院創立の縁起は喜多院と全く同じで、天長7(830)年、慈覚大師によって創立された。元来星野山無量寿寺の中に北院・中院・南院の三院があり、それぞれ仏蔵院、仏地院、多門院と称していたものである。

当初の中院は現在の東照宮の地にあったが、寛永10年(1633)に東照宮建造の折りに現在地に移されたものである。

喜多院に天海僧正が来住する以前は、むしろ中院の方が勢力を持っていたことは正安3年(1301)勅願所たるべき口宜の写しや慶長以前の多数の古文書の所蔵によって知られる。

境内には川越城主・秋元候の家老であった太陽寺一族の墓、島崎藤村の義母・加藤みきの墓等がある。太陽寺一族の墓は山門を入ってすぐ左側にある三墓の墓で、川越の地誌『多濃武の雁』を著した太陽寺盛胤の祖父盛昌・父盛方及び妻のものである。

また、加藤みきは文久3年(1863)に川越松平藩蔵前目付の次女としてこの地に生まれ、4歳の時に母に伴われて上京し、以後大正12年に再び川越に戻り、昭和10年5月に73歳の生涯を閉じた。破壊しに『蓮月不染乃墓』と彫られており、この墓銘は藤村が書いたものである。





のりちゃんの川越市方面散策、明日は仙波東照宮をご紹介します