のりちゃんは暇潰しにGoogleを拝見してる。時々、懐かしのクルマの画像を拝見するときがある。今回は懐かしのクルマ宣伝広告を拝見しますた




その第一陣は―




スバル・レオーネだ。富士重工乗用車の代名詞の一つ一つと言うべく、当初は2ドアクーペでスタートを切ったが後に4ドアセダンと2ドアセダン、5ドアエステートバンもラインナップに加えていた。更に世界初の乗用車4WDを登場させ、バリエーションが豊富となった




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一つ目はのりちゃんが生まれてから二年後の昭和四十六年にデビューした初代モデルで、翌四十七年に4WDモデルが登場。4WDと言えばジープがその一つの代名詞で有名であるが、乗用車ではスバル・レオーネがその第一号である。量産乗用車で世界初の4WDとして君臨し、開発当初は東北電力が冬季の現場巡視用車としての開発を宮城スバル販売店に要望し製造された「スバル1300 4WD」の活躍を受けた後に量産商品化された。その第一陣がレオーネ4WDエステートバンであった。後にセダン4WDも追加で登場し、「雪に強い!!」のキャッチコピーで知らしめていた。小さなオフロードドライビングにスノードライビングに幅広く使えた一台と言っても過言ではない。その頃に開発されたのがパートタイム四駆方式で、チェンジレバー操作により前輪駆動から四輪駆動へ切り替えると言ったシフトパターンであった。尚このセダン4WDモデルは1978年に公開した五木寛之原作・郷ひろみ主演の松竹映画『ダブル・クラッチ』にも使われていたが、郷さんが乗ったのはボディカラーが赤である(松竹映画『ダブル・クラッチ』の一部のシーンがYouTubeにて配信中です)




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初代モデルでは某女性モデルを起用した経緯もあったそうだが、後に怪人20面相も起用した。その頃にフジテレビのドラマ「怪人20面相」がオンエアしていた時期であった




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七十年代後半に初のフルモデルチェンジを実施。のりちゃんが小学校四年生の頃であった昭和五十四年にデビューした二代目である。この時期の乗用車では角形ヘッドライトの着手が施されるようになり(トヨタも日産も問わず)、富士重工でも二代目レオーネで初の角形ヘッドライトを採用した。先代とほぼ同様で前輪駆動と四輪駆動を用意、4ドアセダンと2ドアハードトップとエステートバンのラインナップで構成されたが後に「スイングバック」と呼ばれる3ドアハッチバックもデビューした。スイングバックとは富士重工独自のハッチバックの意味である。尚、ヘッドライトは丸型二灯式が使われている(エステートバンも同様)。この頃、トヨタでは「リフトバック」と呼ばれるハッチバックを開発しカローラに採用されていた頃でもあった。





二代目では昭和五十六年にマイナーチェンジを実施、ヘッドライトの形状が角形二灯式から角形四灯式に変更(1.8リッター車のみ。セダン1.6リッター車とスイングバックでは角形二灯式である)となった。後にツーリングワゴンが誕生し、翌年の昭和五十七年には4WDターボモデルを、更に翌昭和五十八年にはセダン1.6リッター4WDとFFターボもデビューし、大幅なラインナップが続出していた。





日本の乗用車史上ではあんましピンと来なかった富士重工・レオーネだが、世界初の乗用車四駆が開発したのもトピックであった。七十年代から八十年代にかけて乗用車四駆が出たのもこのクルマだけであったことも忘れられない存在であろう