学校で取り組む国語について

「登場人物Aの心情を答えなさい」という設問を例に挙げて

「感情は人それぞれなので、正答は筆者や出題者の主観による」「国語の勉強は無意味だ」と言う人たちがいるけど

設問や解答の選択肢をよく読んでほしいと思う。


例えば

●本文

「A君は自身が大切にしていた花瓶をわざと床に落とし、破片を見て涙を流した」


●設問

本文でA君は涙を流したとあるが、その時のA君の心情にもっとも近いと思われるものを選択肢の中から選びなさい


●選択肢

1. 両親との思い出が詰まった花瓶を自身の不注意で割ってしまい悲しみのあまり泣いてしまった。


2. 両親との思い出が詰まった花瓶を不注意で割ってしまい、両親に叱責を受ける恐怖から涙を流した。


3.花瓶を自ら割ることによって得られた興奮にわけもわからず涙をながした。


4.床に落ちた花瓶は傷一つなく無事だったため安堵の涙を流した。


このような設問ではA君の心情を訊いているし、

選択肢ではA君の心情を

悲しみ/恐怖/わけもわからず/安堵

の4つから選ばせようとしているように見えるけどそうじゃない。


この問題の場合、正答は3の「わけもわからず涙を流した」になる。


それ以外の選択肢では花瓶を”不注意”で割ってしまったり、そもそも花瓶は割れていなかったりするので内容が本文と合致しない。

私はA君とは違い花瓶を割って興奮する人間ではないし、A君の気持ちは全く理解できないけど、これらの選択肢の場合3以外は正答と認められない。


このような”心情”を選ばせる設問でも、その実「いかに本文と設問を論理的に読めているか」を問われている。


正答を選ぶためには筆者やA君の心情にフォーカスしてそれぞれに想いを馳せ本文を読む必要なんか全くなくて

理詰めで正答を一つに絞る力が必要になる。


出題者にしても国語の先生にしても「人の心情は人それぞれ」なんていうことは誰かに言われるまでもないほど当たり前だと知っている


共通テストの科目には「国語」があり

毎年50万人近い受験者がいて

その後ろには学校や塾の先生がいて

試験問題は後日誰でも閲覧できるよう公開されて


登場人物のあやふやな”心情”を問うような設問があるはずがないと思う方が自然だと私は思う


共通テストの「国語」には何十万人を黙らせる、

回答者の主観が入る余地のないガチガチのロジックがある。

またはそう願いたい。