神は全てお見通し 

そして自分の心も 又しかり 


自分が今回の人生で何を考え 

何を思い、何をなしてきたのか 


自分の心には

全部記憶されているだろう 


だからそういう意味で 

自分の浅はかな考え くだらない欲

 ごまかし というのは

全くもって通用しない 


一番近くにいる自分が、自分自身の心が

 それを全部わかっていて

やってるわけだから 


だから くだらない事は

やらなくていいのだと思う 


あの世での 答え合わせではないけれど 

自分が今回の人生を終えて 

あの世に帰った時 

嫌でも自分が何をしたのかを


 全部 洗いざらい 見直すことになる 

だから 生きてるうちに

どれだけ ごまかして

自分をいい人間に見せて

いいことをしたように見せたとしても

結局何の意味もない


綺麗事で、誰かに100円の1000円を

あげるぐらいだったら


本当に心を込めて 愛の心を込めて

10円をあげる

 それを本当に誰かのために使う方が

よほど徳になる 


それぐらい 自分の心というのは

偽れない


ごまかせるのは 表面的なのもの、

間違った常識の中、

目先の 浅い 段階だけ 


結局 私たちは、心ということ


 その心にあるもの、本質を、

 それが ただ 問われているだけ


それが本当の意味での

結果につながるだけ 


だから自分の顔だったり 雰囲気や オーラ 

そこに全てが現れる


それこそが 自分が本当に積んできた

 徳だと思う 


自分が今回の人生で

何をしてきたのかが

 そこに偽りなく現れる 


だからその人も顔だったり 言葉だったり 

雰囲気、心というもの 

それに思いっきり表れている 


だからその人に本当の意味で

プラスのエネルギーを感じるのか 

愛の心を感じるのか 


それとも お金は身なりは

すごかったとしても

嫌なものを感じてしまうのか 


一緒にいて落ち着かないのか

 怖く感じるのか などなど 


それもまたその人の

本当の意味での徳を測る

物差しになるだろう