依存にしても そこには必ず きっかけがある 始まりがある

自分が一人で ちゃんと人生を立つことができていたら おそらく そちらに流れていくことは ないだろう

自分に足りない何かを補うために
自分の心が本当に必要としてるもの 代わりのために どこがそれが行われるような感じがある

偏ってしまった心のバランスを 元に戻すために 依存によって補うかのように


依存というのは続けていくと どこか加速して言って 強化されていく

坂道による加速のように
最初のうちだったら自分で ブレーキを踏んで コントロールしたり とまることができる

その道をやめることもできる

しかし 月日が経つと それが何年も 何十年もになった時には もうコントロールがとても難しくなってくる あまりにスピードが 上がってしまっているのと もはや ブレーキがほとんど効かなくなっているのと

自分がそれだけのスピードを出して 動き続けているのすら、 感覚的に分からなくなっていく