幻聴にしても 幻覚にしても
最初に書いた 怒りにしても 切れたり
怒り狂うのにしても
やばいことというよりは 理解不能というよりは
その人が笑ったり 喜んだり 飛び跳ねていたり 優しく微笑んでいたり にっこりしたり
バンザイをしたり 声をあげたり 嬉し涙を流したり
それがマイナスの方向のことなのか
プラスの方向のことなのかと言う
単なる 方向が違うだけで そこに 発生してる
エネルギーとしては その大きさとしては
似たようなものであるということ
ただそれが プラスのエネルギー 幸せのエネルギーの場合は その人にしても その周りの人にしても 基本 良い作用を及ぼす
見てる人まで笑顔になったり 幸せのおすそ分けのように 幸せな気持ちにさせたり いいものが広がっていく みんなが笑顔で幸せと言う そんな力や可能性すら秘めている
そしてネガティブなマイナスのエネルギーや
感情にしてもしかり
それがマイナスというエネルギーそちらの形によってやはり同じように広がる というだけ
光と影のような 太陽と月とような 山と海のような 長所と短所 のような 単なる 反対側の存在
二極という事
ただ それを 日常みる可能性が多いのか
それとも少ない もしくはめったにないものなのか
それによってみるものの反応が違ってくる
しかし プラスのことからにしても マイナスのそういった事柄にしても 何の理由もなしに 起こるということはそもそもない
人間もまた 自然の一部であって 自然な存在であるから 必ず何かが起きるということは
必ず何か 理由が原因が 存在しているということ
そういう意味では 不思議なことではなくて
とても理にかなった 必然的に起きていることだということ
ただその理由がわからないから それがおっかないもの 危険な物危険な人 訳の分からない人
やばい人 そんなふうに 見えてしまうだけ
心の困ったことや 悩みや トラウマどうにもならないことでさえ
やはり必然的な理由があって原因があって
だからそういう現象になる そこにまで至るということ
そしてそれは同時に だからこそどうやったらそこから 回復していくのか どうやったら 元に戻っていくのか 本来のその人の心だったり人生だったりを取り戻していくことに繋がるのか が
存在してるということ