秋葉原といったらタリーズ

ども、飴屋三十郎です

AKB48劇場があるドンキの裏に、タリーズがあるんですけど

よくそこで待ち合わせしたり、手紙書いたりしてたんですよ

そしたら、タリーズ部とかね、いつの間にか言われてたのも

今となっては良い思い出ですね

さて、2007年にAKBでは、劇団員追加オーディションという、謎のオーディションが開催され

後に、4期生と呼ばれるメンバーが選ばれました

当初はSEEDとも呼ばれていましたが、紆余曲折があって呼び名が研究生に統一された、その4期生のなかに

後の藤江れいなさんがいました

その4期生が、ダブルキャストのメンバーに選ばれ、劇場デビューしたのがひまわり組で

このひまわり組を結成するために、チームAや、チームKは解体されました

その理由については、いろいろ後付けされていますが、実際の理由は簡単でして

前田さんをはじめ、個人の外仕事が増えて、チーム公演を維持するのが難しくなったからです
(当時はアンダー制が無かったですからね)

そのひまわり組の、『夢を死なせるわけにはいけない』公演中に

藤江さんのチームA昇格という発表がされました 

ひまわり組じゃなくて、チームAへの昇格ってことで

3チーム制が復活するんじゃないか?

そんな噂が出てきた頃、公式から3チーム制復活が発表されました

当時はチームBが『パジャマドライブ』をやっていて

チームKは『最終ベルが鳴る』をスタートさせ

チームAは新公演が始まるまでの間、リバイバルで、『ただいま恋愛中』をすることになり

昇格した藤江さんは、自分のポジションの他に

前田敦子さんが休演の時は、スライドしてセンターをやっていました

そういえば、研究生公演も『ただいま恋愛中』だったんですが  

研究生の人数が足りないので、藤江さんはそこでもセンターをやってました

前田さんの代役というのは、プレッシャーが凄かったとおもいますが

コールの量も多かったし、運営からもファンからも

期待されていたとおもいます

そして、チームAが新公演の『恋愛禁止条例』がスタートし  

藤江さんは、始めて裏メンでも、アンダーでもなく
(ひまわり組の時は、まだアンダーという制度がなく、表メンと裏メンって言ってました)

自分のポジションを得て、自分のための衣装も作られるようになったわけです

それからAKB48も売れて、NMB48が結成され

藤江さんが移籍してきたわけですが

その藤江さんが、『恋愛禁止条例』で卒業を発表されたの見て

なんかね、売れる前のAKB48を思い出して

ちょっと懐かしくて、ちょっぴりせつなくなりました

もしかしたら、あのコンサートで、『アイドルなんて呼ばないで』をやったのも

アンコールのMCで、カンペを使ってまで

伝えたいことを、全部伝えたのは

大切な意味があったのかもしれませんね

前田さんが卒業して直ぐの頃、ポスト前田敦子みたいな話があったじゃないですか
 
あれの元祖って、藤江さんだったとおもうんです

でも、前田さんが卒業する頃には、ポスト前田敦子は、別の人になっていました

でもね、おもうんですよ

NMB48に移籍してきて、後輩からも慕われるようになった藤江さんは

種から芽が出て、花を咲かそうとしてるのかなって

そして、藤江さんはNMB48にも、種を蒔いるとおもうので

残された時間が、メンバーにとっても、ファンにとっても

もちろん藤江さんにとっても、大切な時間になることを願っています