ADHDは発達障害らしい
脳の構造が先天的に違うとのこと

定常発達の人から見たら、
ADHDは発達障害と定義されている風潮

私から見たら定常発達の人が
発達障害のように思える

流行ばっかり追いかけていて
きっちりしないと気がすまない

いつも何かの不安に怯えていて
何かを支配したがり
何かに支配されたがる

他人のことばっかり気にして
他人にばっかり要求して
自分は何がしたいの?
誰の人生なの?
って思う

外見やステータスにこだわり
本当の自分を偽って生きている

まるで、プログラムされた
マニュアルどおりのロボット
誰かが書いたレールの上を走っていることに気付いていない

定型発達の人から見るとADHDの人は
自分にしか興味を示さないような人に見えるかも知れない
そんなことは無いと思う

自分軸か他人軸か
ベースにあるのが好奇心なのか不安なのか
そういう違いだと思う

空間、時間の感覚が違う
次元が違うから、見えている世界が違うから
コミュニケーションがとりずらい
だから孤独を好む

だけど定型発達(を装う)人は
自分にない能力を沢山持っていて

学びの対象としての存在であると思う
彼らに魂は見いだせないけど
感謝すべき
宇宙が創造した神のような存在
定型の人を
こっちの世界に導こうとは思わない
学びが終われば、自然と離れていく運命
それがお互いのためだと思う

発達障害の人の中で
逆のエネルギーを感じる人がいる

定型発達のように改心させ
人を不安に陥れ
自分だけが利益を独占しようとする
嫌悪感で察知出来る

飴とムチを使い
こちらを洗脳してこようと
執着してくる場合もある
束縛してくる人もいる

そんなのは偽りの優しさだと思っていて
見抜いている

ただ、争わないよう合わせているだけ
その人の不安を解消するために、
私は生まれてきたわけでは無い
薄情といわれてもしょうがない

ただ、そういう存在は自分を投影した
自分の一面かも知れない
自分が作り出した幻か

私はいつも何かを探していて
心の中では
一緒に生きる
たった一人の人に巡り会いたくて
いつも、誰かを探していた

私と似たような発達障害の人との会話は
多様な価値観を認め合え
互いを尊重出来て
オープンな話しが出来るので会話も心地いい

そんな仲間が自然に集まってくる