死ぬ、とはなんなのだろう。
気がついたら産まれていて
気がついたら生きている。
気がついたら死にたくなっていて
気がついたら踏みとどまっている。
生きる、とは何なのか。
気がついた頃には、
母と父が怒鳴りあっていた。
気がついたら、
私の存在は《責任》になっていた。
私がいないと家族が成り立たない。
私は家族の《保険》になった気がした。
そんな歪んだ家庭になっていた。
「出て行っちゃえばいいよ」
「カワイソウ」
「おとうさん、障害者なんやろ?」
「おかあさん、キ○ガイやな」
いくら親子ゲンカをする仲といえど
他人に言われては腹が立つ。
ああ、そうか
私が《心の大黒柱》なのか
気付いたのは遅かった。
好き放題してきたくせに、
こんなにも周りに祝福され
産まれてきた自分を恨み、
さらには産まれた時に
泣いて喜んでくれた親をも恨む。
そんな時期が続いた頃
私は己の愚かさに気付くのである。
〝ワシは、お前が産まれてきてくれたから生き延びていられるんや〟
〝産まれてきてくれてありがとう〟
〝お前がおるから〟
私がいるから?
私がいるから何なんだ?
と思っていた自分を悔やむ。
〝そうか〟
〝私がいるから〈皆いる〉〟
肩の荷が重くなるような、
軽くなるような、そんな気がした。
〝健康だったなら、この家族を笑かせてあげれたのに〟
そんな自己嫌悪を繰り出す中、
一つわかったのである。
〝私がいるからこの家族が笑っているんだ〟
自信を持ってそう言えたのは
産まれて24年も経つ頃だった。
~続く
