どれぐらいの時間が経っただろうか。

灰色の空と海を延々と見ていたため、エイジもアイリも時間の感覚が曖昧になっていた。


「ケーキ、食べそこねちゃったね、おにぃ」

「仕方ないさ、下手したら死んでたんだし、もうクリスマス~パチパチ~って気分でもないだろう」

「それもそーだね」

「でもまぁ、残念は残念だったよな。お前楽しみにしてたし」

「ううん。それは大丈夫。おにぃと一緒だったら私は楽しいから」

屈託ない笑顔のアイリを見て、ようやくエイジは肩の力が抜けた気がした。

(無我夢中だったけど、よかった。こいつを…アイリを守れた)


不思議そうに小首をかしげるアイリに微笑みかけ、エイジは優しくその頭を撫でた。

「わにゃ!?」

(どどど、どーしたのおにぃ!?何でそんなやさしー顔して頭をなでるのー!!?)

顔を真っ赤にして驚くアイリに構わず、エイジは頭を撫で続ける。

昔はよく撫でてやったが、流石に大きくなってからはアイリも恥ずかしいだろうと、エイジなりに気をきかせていた。

最もアイリとしてはいつでも撫でて欲しいが、こちらも大きくなって「撫で撫でして~」とおねだりするのも恥ずかしかったので、あまり言わないようにしていた。

なので、不意打ち気味な撫で撫でにアイリは軽く混乱していた。


(ど、どど、どうしよう!は、恥ずかしいけど、スッゴい気持ち良いよぉ~)

落ち着かないのに落ち着く、止めてほしいけど止めてほしくない、そんな矛盾だらけの心中を表に出さないよう、アイリはただただ撫で撫でを享受するのだった。



『おくつろぎのところ申し訳ないが』

と、唐突に声が響く。

“ガンダム”に乗っている片桐からの声だった。


『そろそろ着く。着地の衝撃はなるべく抑えるが、念の為体を固定させておいてくれ』


エイジは片桐からの警告を聞きながら、目の前を見た。

眼前に徐々に大きく映る建造物。

それこそが彼らの目指す場所だった。


『ようこそ、『ソウルエッジ』へ』

徐々に下がる高度からくる気圧の変化を感じながら、エイジとアイリは片桐の言葉を聞いた。






片桐の言った通り、着地は静かなものだった。

基地の中に直接入り、格納庫のような場所で2人は下ろされた。

2人にとって今まで見たこともない風景、感じたことのない空気だった。

アイリは物珍しいそうに辺りをキョロキョロしていたが、エイジは険しい顔をしていた。

(助けてもらったとはいえ、ここが安全かどうかなんてまだわからない。まだ気を抜いちゃだめだ)

痛がらないよう、しかし決して離さない強さで、アイリの手を握る。


「そんなに警戒しなくていい。まぁその心掛けは大切だがね」

エイジの心中を読んだように、片桐が声をかける。

「詳しい話は私の部屋で話そう。こちらに―」

「片桐ぃ!!」


エイジとアイリを促そうとする片桐に、怒声が浴びせられた。


「馬鹿野郎!何勝手に1人で先走ってんだよ!!」

声をの方向から更に怒声を上げて、男が近づいてきた。

ガッシリとした体格に鋭い目付きが印象的だった。

「すまなかったな、リュウ。」

近くで聞いていたエイジは唖然とし、アイリは今にも泣きそうな顔をしていたが、怒鳴られた当の片桐は涼しい顔だった。

「だが、あの程度の戦力に二機もブラッド・フレームは必要なかった。それよりも陽動の可能性を考慮して、戦力を分散しておいた方がいいと判断した」

「だったら一言ぐらい言いやがれ!いきなり出ていくことはなかっただろうが!!」

「リュウなら言わずとも理解してくれると思ったんだが」

「な…!」

「だから後を追ってこなかったんだろう?まぁしかし何も言わなかったのは確かに不味かったな。すまない」

「あ…あぁ!くそ!いいよ、もう…」


(……………………)


エイジは今の会話で何となく2人の関係が見えた気がした。


「そいつらは?」

話を逸らすように、リュウと呼ばれた青年はエイジとアイリを見る。

「新しい“適正者”だ」

「ふん、ガキが2人か」

見下すような視線にエイジは顔をしかめる。


「まぁせいぜい長生き出来るよう祈っておくんだな」

そう言って、リュウは3人に背を向けて去っていった。


「すまなかったね。少々血の気が多い奴なんだ」

「う~、あの人苦手」

涙目でリュウの去った方向を見るアイリ。

「『せいぜい長生き』…か」

先程のざわついた気持ちはまだ残ったが、それよりも、リュウの残した言葉にエイジは引っ掛かりを感じたのだった。







「さぁ、入ってくれ」

格納庫から案内されたのは、基地内にある片桐のデスクだった。

広くはないものの、整理整頓され、手入れも行き届いた白銀色の部屋は清潔感がある。

同時に、物の少なく生活臭のない雰囲気に冷たさも感じるが。

エイジとアイリは来客用のソファに腰掛ける。

片桐も向かいのソファに座った。


「さて、今日は疲れているだろうから、手短に話そう」

自分で淹れたコーヒーに口をつけ、片桐は切り出した。

因みにアイリにはホットミルク、エイジには砂糖入りのコーヒーが出されている。


「君達が今日知った事に付いてだが」

カップを置く。

アイリも釣られてカップを置いた。

「まずはそうだな、順を追って話すなら、“閉ざされた世界”の事――からだろうね」

「“閉ざされた…世界”?」

「君達が今日入り込んでしまった、簡単に言えば別次元の世界、のようなものさ」

厳密には違うがね、と片桐は言った。

詳細を説明してもわかるまい、という空気を言外に感じ、少し不快感を感じるエイジだったが、事実説明されても解る自信がなかったので、何も言わずに聞くのに徹することにした。


「“閉ざされた世界”では、人間を含めた生物は“停まる”。文字通りの意味でね。体感時間だとか、相対的だとかではなく、言うなれば時間そのものが停止する」

「時間が…停まる?」

「まぁこれはおいおい解ってくる…嫌でもね。だから詳しくは省くけど、重要なのは“閉ざされた世界”で起こる事象は全て、現実世界に反映されるということなのさ」

「それはつまり、“閉ざされた世界”で人が死ねば―」

「現実でも死ぬ、ということだ」

それは恐ろしい事だよ、と片桐はコーヒーを一口飲んで続ける。

「つまり“閉ざされた世界”で人を殺せば、絶対捕まることはない。人を刺してその場から離れるだけで、完全犯罪の完成さ」

なんて事無く話す片桐。

しかしエイジは僅かだが片桐の目に何かが灯ったのを感じた。

エイジは先を促す。

「その“閉ざされた世界”って場所で動けるのが、“適性者”って訳か」

「その通り。話が分かるようで助かるよ」

対して助かったなんて思っていなさそうに片桐は言った。

コーヒーを飲む。

「始めは街中での盗難や強盗。それから殺人に至り、近年ではテロ行為にまで及ぶ輩もいる」

「テロって…」

「国内情勢の不安定でない国で起こる大規模な火災や倒壊現象は、大体が“閉ざされた世界”で起きたテロだよ」

淡々と話す片桐を見て先の戦闘を思い出し、エイジは肌があわ立つのを感じた。
無意識に、隣でちびちびとホットミルクを飲むアイリの手を握る。

「私が“適性者”に覚醒して間もなく、日本政府は“閉ざされた世界”で起こる国内での犯罪、テロ行為に対抗するために、ここ『ソウルエッジ』を設立した。無論、世間では全く知られていない」

「じゃあアンタはソウルエッジの最初のメンバー、って訳か」

「そうだね。今も実質的な対策指揮を取っているよ」

(じゃあここで一番偉い人じゃん…)

今更ながら緊張したエイジだったが、悟られるは癪だったので、今まで通りの口調で話すことにした。

「対策っていうのは?」

「シンプルだよ。力には力。彼方がナイフを出せばこちらは銃を、彼方が爆弾を使えばこちらは戦車を、という具合さ。長いイタチごっこが始まったわけだ」

「んじゃああのロボットは…」

「そう。“閉ざされた世界”で起こる犯罪、テロ行為に対抗する究極の手段。究極の力。それが――」

空になったカップを置いて、まるで勿体ぶるように間を置く片桐。

まるで舞台役者のようだった。

「対異相空間戦闘用機動兵器『ブラッド・フレーム』。私が開発した戦闘用兵器だ」

「アンタ…が?」

エイジは驚嘆していた。
先の戦闘を見る限り、片桐はパイロットだと思っていた。

まさか自分で開発していたとは思わなかったのだ。

「“閉ざされた世界”は日本だけではない。世界中で起こっている。日本は特に対処が早かったからね。今や世界中で『ソウルエッジ』は引っ張りだこなんだよ。そこで様々な兵器、状況に対処するために開発したのが『ブラッド・フレーム』だ」

「でも、ならブラッド・フレームは今日アンタと戦ってたよな?まさか仲間割れとか…」

いや、と片桐は苦笑しながら言葉を遮った。

「恥ずかしい限りだが、数年前にブラッド・フレームの設計データが流出してしまってね。最近になってテロリストが使用し始めてたのさ」

「!……それって不味くないか」

「当然不味いさ。だからこそ、こちらもより強力なブラッド・フレームを生み出そうとしているのさ」

「ナイフには銃を、か」

「そういうことさ」

現実にはなかなか難しいがね、と。

片桐は立ち上がり、カップを部屋の端の小さな棚に置いた。

どうやらカップの返却口らしい。


「そこで、だ」

エイジ達に向き直り、片桐は微笑を浮かべ。



「霧島エイジ君。ブラッド・フレームに乗らないかい?」

まるでドライブに誘うような気軽さで、片桐はエイジに言った。
ブラッド・フレーム“轟天(ゴウテン)



”強力な長射程砲と汎用ライフルを持つ機体。

量産機ながらその火力は極めて高い。


その“轟天”の武器の最大出力が、「ガンダム」に向かい放たれようとしている。


直線上にうずくまる、2人の人間を巻き込んで。






しかし、その砲火は放たれる事はなかった。


接近戦を仕掛ける2機のブラッド・フレーム、“雷切(ライキリ)”と“巖断(ガンダン)”を、今まで防戦一方だった「ガンダム」が一瞬にして切り裂いた。

そしてそのまま、砲撃態勢に完全に入った“轟天”を、黒く伸びるゴムのような刃で、砲ごと凪ぎ払ったのである。


ほんの一瞬で、灰色の「ロボット」は全て破壊された。


(助かった…?)

目を開けたエイジはアイリに目をやる。


「アイリ」

「だ、大丈夫。おにぃ」

頬を赤らめてアイリは返事をする。

心臓がドクドクと騒ぐ。

(顔が!近いよおにぃ!)

そん妹の心中を察する事無く、エイジは目線を上げる。


その先には――「ガンダム」がいた。




『大丈夫か?』

「ガンダム」から声が聞こえる。

男の声だった。


『まさかこんなところで“適性者”に会うとはね。それも2人も』


「ガンダム」がエイジとアイリに近づく。

敵意がないのが伝わったのか、2人は逃げようとはしなかった。


近づいた「ガンダム」のハッチが開く。

機体と同じ黒い色をしたライダースーツのような格好の男が出てきた。


男が胸に手を当てると、シャボン玉のような球体が男を覆い、そのままゆっくり地上に降りてきた。


フルフェイスで顔はわからない。



(何なんだ、こいつ…)

警戒心を露に、アイリを抱き寄せる。

妹の心臓は更に悲鳴を上げるが、エイジは気付かない。


「警戒しているようだね。その対応は酷く正しい」

エイジ達の手前1mぐらいの所で立ち止まり、男はヘルメットをとる。


年の頃は二十代半ば、といったところだろうか。

少し冷たい印象を受ける端整な顔には、柔和な、しかしどこか機械的な印象を受ける笑顔が浮かんでいる。


「その警戒心は大切にしたまえ。『この世界』で生きていくには必要なものだ」

エイジは男を凝視した。

何かが、自分の中で疼いた気がした。

それが何を意味するかはわからない。


「あんたは、何者だ」

男の目を真っ直ぐに見て、エイジは男に問う。

少しの違和感も見逃さない、そんな視線を浴びせながら。


「大丈夫だよ」

男は言った。

「嘘を付くつもりはない。つく必要もない。まぁその猜疑心もまた、大切なものだがね」

まるでエイジの心を見透かすように――いや、実際見透かしているのだろう、男は笑みを絶やさずエイジを見据えながら続けた。


「私は片桐トオル。日本政府直属対適性者対応機関『ソウルエッジ』のメンバーだ」

「ソウル…エッジ……?」

「君達は巻き込まれたようだね。そして目覚めてしまったようだ。とりあえず、君達には“気の毒に”と“おめでとう”――この言葉を送らせてもらうよ」


エイジには全く理解出来ない。

(ソウルエッジ?気の毒?おめでとう?何言ってんだこいつは)

「得心いかないようだね。当然だろう。良ければ君達には私と来てほしいのだがね」

「嫌だ…って言ったら」

「言い方が悪かったね。私と来てもらう。申し訳ないが、君達に拒否権は無い」

笑みを浮かべる片桐の瞳の奥に、背中を粟立たせる何かを、エイジは感じた。

(こいつは多分、何の躊躇もなく俺達を殺せる。そんな奴だ)

8歳という年齢で世の中を妹を守りながら生きてきたエイジには、人を見抜く力が備わっていた。

勘、みたいなものだ。

しかしその勘に何度となく助けられてきたエイジは、こういう時の自分に疑問を感じない。


(アドバンテージは向こうが圧倒的だ。逆らうのは得策じゃあない。アイリを守るには今はこいつの言う事を聞くしかないな)

努めて無表情を作りながらエイジは思考する。

相手に自分の考えを悟らせない。

これはクセのようなものだった。


「…わかった。ついてく。ただ、少なくともアイリ――妹には安全を保障しろ」


「おにぃ…」

エイジの腕の中で悶絶していたアイリだったが、当てられた胸から感じられた鼓動に気付き、不安げにエイジを見た。

幾度となく兄の鼓動を聞いてきたのだ。

今の兄がどんな事を感じているのかぐらい分かる。

だが、だからこそ、アイリは何も言わない。

自分なりに自分の無力さはわかっている。

今は兄に従うことが、兄が望む事だと、無力な自分が兄に出来る事だと、幼いながらも聡いアイリは理解していた。

それでも兄に声をかけることは我慢出来なかったが。


「この状況でも考える事を止めない…そして従いつつも決してなびかず、最低限の結果を達成しようと躊躇なく動く」

片桐は誰に聞かせるでもない言葉を紡ぐ。

笑みを絶やさずに。


「その精神、度胸。実に素晴らしい。君はどうやら良い“人材”になりそうだ」

片桐の瞳から殺意が消えた。

怪訝な視線をエイジは投げ掛ける。


「安心したまえ。危害を加える気は全くない。何せ、君達は仲間になるかもしれないんだからね」

「仲間…?」

「来たまえ。伝えたい事が山程あるが、こんなところでするものでもない」

全てはそこで語ろう――片桐はそう言って背を向けた。

一瞬、逃げる事を考えたエイジだったが、無駄だと言う事が分かり切っていたので、大人しくついていった。

アイリの手をしっかりと握って。




再び「ガンダム」に乗り込んだ片桐は、機体を膝をつく姿勢にし、エイジ達に向かいマニュピレータを差し出した。

(乗れ、ってことか)

差し出されたマニュピレータに乗り込むと、2人の体が透明な膜に覆われた。

『なるべく安全運転を心掛けるが、乗り心地はご了承頂きたい』

片桐の声。

『とりあえず座っていてくれたまえ。その“中”にいればとりあえず心配ない』

そう言いながら「ガンダム」は立ち上がった。

2人を気遣うような素振りのない立ち上がり方だったが、確かに安全のようだった。

振動も圧力も殆ど感じない。

(何なんだ、これは)

自分を包む透明な膜を見る。

まるでシャボン玉だが、先程からツンツンと膜をつつくアイリを見る限り、水分で出来た脆い物質では無いらしい。

まるでガラスのような感触らしく、カツン、カツンと硬質な音が返ってきている。


『壊れる事はまず無いが、あまり触るのはお勧め出来ないよ』

苦笑しながら片桐がアイリに言う。

えへへ、とアイリははにかみながら手を引いた。

そのやり取りを見て、エイジは自分の警戒心が少し緩むのを感じた。

片桐の人間らしい雰囲気を初めて感じたからだろう。

『では行くとしよう。それ程時間はかからない』

言うやいなや、「ガンダム」は足を地面から離した。
浮遊したのである。

「と、飛んだ!?」

自分の知る兵器や乗り物の常識をあっさり覆す挙動に、エイジは思わず驚きの声を上げた。


「こちら片桐。ターゲットの殲滅を完了。戦闘中に“適性者”2名を発見、保護した。これより保護者2名と帰投する」

通信を基地に送り、機体の出力を上げる。

“浮遊”から“飛行”態勢に移行した「ガンダム」が、灰色の空に飛び立った。
日本のとある町。

クリスマスムードに包まれる町で、一組の男女が歩いている。

男女…というより少年と少女。

仲睦まじく手を繋ぎ歩くその姿は「カップル」というより「仲の良い兄妹」だ。

少年の名は霧島エイジ。
今年で17歳になる。


少女の名は霧島アイリ。
今年で12歳になる。


つまりは兄妹である。


思春期真っ盛りといった年齢の兄妹2人だが、2人の間にぎこちなさや険悪な雰囲気はなく、お互い極々自然体で接している。


「おにぃ、ケーキ買ってないよ!」

「大丈夫。ちゃんと今朝買っといたからな」

「ホントに?やたー!」

「おおい、はしゃぎ過ぎるなよ。転ぶぞ」

「へへ~、だいじょーぶだよぉ」


同じ年代の一般的な兄妹に比べれば些か仲が良すぎるように見えるが、彼らの境遇を鑑みればそれも致し方ない。


彼らには両親がいない。


9年前、原因不明の火災に巻き込まれ、幼い子供2人を残して、当時住んでいた家と一緒に他界したのである。

以来、霧島エイジとアイリは2人で助け合って生きてきた。


「今日の料理はだいぶ張り切ったからな。アイリ失神するかもしれないぜ?」

「美味しいもの食べて失神なんて大歓迎!」

ぱたぱたと嬉しそうにアイリは小走りではしゃぐ。


両親が他界した時、アイリはまだ3歳だった。

元々親戚とは疎遠だった霧島家だったが、9年前の事件以来、全くと言っていいほど交流はない。

物心のつく歳に親を亡くし、周りに「大人」のいなかったアイリにとって、兄エイジは親であり、唯一の肉親であった。

しかしアイリはそれを悲しいとは思わない。

生来の明るさ・前向きさとエイジの存在が、彼女に孤独を感じさせなかったからだ。

(おにぃといっしょ♪今年もおにぃといっしょなんだぁ)

優しくて、カッコいい兄。
アイリにとっての世界は、エイジだと言ってもよかった。



(今年も大変だったけど、こうやってクリスマスを迎えられた。うん、よかった)

エイジにとって、クリスマスは特別だった。

他の家庭に比べて、何かと苦労は多い。

親が残してくれた資産や保険金で何とかなっているものの、それでも世界は厳しい。

学校に行きながら、家のことを一手にこなし、近いうちには働きだす予定もある。

その下積みとしてアルバイトもほとんど毎日している。

妹に寂しい思いをさせないよう空いた時間にはなるべく一緒にいるようにしているため、遊びたい盛りの年齢にも関わらず学校の友人と遊ぶ事もしない。

幸いなのはクラスの友人はそんなエイジの事を理解してくれていることだった。

(来年ぐらいはクラスの連中と過ごしてもいいかもな)

妹も一緒に――

早くも来年のクリスマスの予定を考えながら、はしゃぎ回っているアイリをそろそろ嗜めようと手を伸ばした。

「だからは危ないって――」






その時。

エイジがアイリの手を取ろうとしたその時だった。

唐突に、世界が褪せた。

エイジの、アイリの目に入る世界が、一瞬にして灰色になったのだ。

「な、何が――」

「おにぃ!」


混乱するまま言葉を発する兄に、妹が叫ぶ。

「あれ…あれ!」

「え…」

アイリの指差した方をエイジは見た。


そこに居たのは…







「ロボッ、ト…?」

「あれって…ガン…ダム?」


そうだ。

いつかテレビ番組で見た。

人の形をした戦うロボット。


テレビなんてほとんど観る暇のないエイジが、たまたまアイリと一緒に観ていた「懐かしのアニメ特集」みたいな番組。

その中で出ていたのを覚えている。

以前に見た物とはだいぶ異なる意匠ではあるが、レイジは真っ先に連想できた。

額とおぼしき場所に付いている2本の角のような突起。

人間の目のように見えるカメラ。


色こそ闇のように黒いものの、その形は正しく「ガンダム」だった。


そして、その「ガンダム」は、エイジとアイリの居る場所からそう遠くない場所で――戦っていた。

この世界と同じ灰色の装甲を持ったロボットが3体。

黒い「ガンダム」を一斉に攻撃している。

腕からビームのような光を放ち、斧を振りかざし、巨大な刃を突き立て、「ガンダム」を攻撃している。

凄まじい振動と轟音が辺りを支配する。



「おにぃ!おにぃちゃん!」

「ヤバイ…、逃げるぞ!」

こんなところに居たら確実に巻き込まれる。

直感的そう感じたエイジは、アイリを抱き抱えて走った。

目の前で巨大な鉄の塊がぶつかり合う。

その音だけでも恐怖に足が震える。


鉄の巨人達に背を向けて、レイジはとにかく走った。
彼を支えているのは「妹を守る」という信念だけだった。

(ふざけるな!こんな訳わかんない所で、アイリを死なせてたまるか!!)


「うああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!」



絶叫しながらエイジは駆ける。

しかし彼の足掻きを嘲笑うかのように、灰色のロボットが一体、彼の頭上を飛び越え正面に降り立った。
「な……!?」

絶句するエイジ。

ロボットの方は単純に、戦略的に「ガンダム」との距離を測っただけだったが、レイジからすればそれは死神の手招きのようなものだった。



(死ぬ…!死んじまう!!アイリが…俺が!こんな訳もわからない所で、状況で!)

道を完全に塞がれ、立ち尽くすエイジ。

目の前のロボットが銃を構える。

先ほど見た光線よりも明らかに強い力だと解る光が、銃口に集まっている。



両親との日々。


9年前の事件。


アイリと2人で生きてきた時間。


今までに自分を支えてくれた人達。


そして、アイリ。




(い、いやだ!いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!)

半ば狂乱しかけていたエイジの精神をつなぎ止めたのは、腕の中で震えるアイリだった。



『アイリは、アイリだけは俺が守る。どんなことをしても、俺が幸せにする』

両親が死んだ時に誓った、己との約束。

それがどれ程強い思いだったのだろうか。

少なくとも、それはエイジの頭に一欠片の平静を取り戻させる程の力はあった。

(せめて、せめてアイリだけは……!)


しかし、だからといって思いが現実に反映される訳ではない。

もう光はいつ放たれてもおかしくなかった。

逃げ出そうとするが、頭の中はともかく、体は根源的な「死」の圧倒的な恐怖に縛られ、動かない。



(くそ!動け、動けよ!!)


もう足は動かない。

ならばと、抱き寄せたアイリを引き離す。


「アイリ!逃げろ!!」

抱えたアイリを半ば投げるように下ろし、エイジは逃走を促す。

「おにぃは!?」

震えながらもアイリはエイジを見る。

兄から離れる事が不安でたまらなかった。


「大丈夫だから!先に行くんだ!!」

何が大丈夫かもわからない。
ただアイリを少しでも安心させるためだけに、エイジは言葉を発する。

「走れ!絶対振り向くな!そっちに逃げれば大丈夫だから!!俺もすぐに行くから!」

エイジの命を懸けた叫びを、だからこそアイリは拒絶する。

「やだ!やだやだやだ!!おにぃが一緒じゃなきゃいやだよ!!!」

1人になんてなりたくない、と。

アイリは泣きじゃくる。

「アイリ…アイリ!」

もう、助からない。

(でもせめて、アイリだけは…!)

その思いに突き動かされるように、固まった体を無理矢理動かし、エイジはアイリに覆いかぶさった。

無駄だと分かっている。

遠目から見たあの戦いの光は、人に向ければ一瞬でその存在を消滅させるだろう。

まして、今向けられようとしている光は、それ以上の力が感じられる。


不幸ながらも懸命にもがいていた2つの命を嘲笑うように奪わんとする…そんな意思すらなくその命を消滅させる光が、放たれようとした…