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「不便益」とは何か――便利の弊害、不便の安心

不便益システムデザインの魅力と可能性(1)「便利・不便」「益・害」の関係

川上浩司

川上浩司 京都先端科学大学教授

情報・テキスト

『不便益という発想~ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも
行き詰まりを感じているなら、 不便をとり入れてみてはどうですか?』
(川上浩司著、インプレス)

「不便益」とは「不便だからこそ良いことがある」ということで、そうしたこと・モノなどを指す言葉である。テクノロジーの進化によって、私たちの生活は日々便利になっている。多くの手間や時間が省かれ、人びとの生活水準が向上する一方、時にその利便性が害になることがある。「便利=益」「不便=害」というかつての認識に対して、ユーモア溢れる豊富な事例を紹介しながら「便利・不便」「益・害」の相互関係を再考する。その結果、見えてくるのは、不便なことが生活を豊かにする例、つまり「不便=益」があるということだ。(全7話中第1話)

時間:10:17
収録日:2020/12/08
追加日:2021/04/23

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≪全文≫

●「便利・不便」の関係


 京都大学(収録時)と京都先端科学大学の川上浩司です。本日は「不便益」についてお話します。

 まず前提ですが、私はもともと工学部の出身です。そのときには「便利で豊かな社会を!」という言葉を何の違和感もなく飲み込んでいました。違和感もなくどころか、それが工学の使命とさえ思っていました。そのとき私は、以下の図にあるように、「便利・不便」の軸と「益・害」の軸が同じ方向を向いていることを前提としていました。あるいは両者同一で、便利だったら何でもいいだろうと考えていました。

 まず、このオレンジの矢印にあるように、便利と不便は真逆だと思っていましたが、これはオッケーだと思います。さらに、「不便」というときには、「手間がかかったり、頭を使わなければならない」という意味で使っていました。これは日本語の国語辞書の定義と少し違いますが、英語で言うと「time and effortがかかる」ということです。これは英語的な意味での不便です。

 このように定義すると、「便利・不便」を説明するのになかなか好適な例があります。
 

●手間を省いて便利にしてみる


 「甘栗むいちゃいました」というお菓子があります。私が子どもの頃は、甘栗は硬い殻に、爪でスリップを入れて、横からうまい具合に押さないとパリンとうまく割れてくれない不便な食べ物でした。しかし「甘栗むいちゃいました」は、硬い殻を割る必要がないため、とい非常に便利です。殻を割らずに、ユーザー様の手間をかけずに食べられる便利な商品なのです。

 この「甘栗むいちゃいました」を出しているクラシエというメーカーは、実は「ねるねるねるね」も売り出しています。ご存知のように、「ねるねるねるね」というお菓子は中に粉が入っており、食べる前にこの粉を水で溶いて練って飴ちゃんにしなくてはいけません。このようにユーザー様に一手間かけさせます。

 これは人気で、すごいロングセラー商品ですが、人様に手間をかけさせているという意味では不便な商品であるため、工学の使命を果たしていません。そこで私が考えた新たな商品が、「ねるねるねるね練っときました!」という製品です。これで工学の使命が果たせたというわけです。

 手間を省けばなんでもいいのかということで、少し調子に乗って別の製品も考えてみました。プラスティックモデルは自分で組み立てるのが楽しい製品です。しかし先ほどの定義からいうと、ユーザー様が自分の手間をかけて組み立てなくてはいけません。これは工学の使命を果たしていないということで、私が考え出したのが、「プラモ組み立てときました」という製品です。

 さらに調子に乗ってみました。ディアゴスティーニは皆さんご存知だと思います。毎週ちょっとずつ部品が届いて、少しずつ組み立てて、完成するまで何週間も待つのが楽しみという製品です。戦艦大和に至っては全90巻ですので、90週待たなくてはいけません。先ほどの「便利・不便」の定義からいうと、これは不便な製品です。ということで、工学の使命を果たすにはどうしたらいいかということで、「ディアゴスティーニ揃えときました」という製品を考えてみました。先ほどの戦艦大和に至っては、全90巻を一括でお届けです。

 さらに富士山登山です。少し話が換わりますが、富士山登山も、あのしんどい長い道のりを一生懸命頂上まで歩いて登ります。5合目からは歩いて登らなくてはいけません。しんどいです。これをしんどいままにしておくというのは工学の使命を果たしていないことになります。そこで私が考えたのが「富士山エスカレーター」です。これに乗っていれば労せずに頂上に到達できるという製品です。

 このように労せずにいければなんでもいいのだと、さらに調子に乗って考えたのが「ゴールデンバット」です。このバットを使えば必ずホームランが打てるので、練習いらず、手間いらずでいいでしょう、便利でしょうというわけです。
 

●便利な製品がもたらす弊害


 ここまでは皮肉めいた感じで空想上の話をしてきましたが、実は空想ではなく似たような話が現実に起こったことがあります。2008年の北京オリンピックです。ここでは競泳でオリンピックレコードが量産されました。このときに選手たちが着ていたのが「レーザーレーサー」という製品です。これは、この水着を着るだけでタイムが縮まるという便利な製品です。ですが、これはレース、競泳の意義を失わせたのではないでしょうか。

 これは過去の話のようですが、実は2020年の正月の箱根駅伝でも同じようなことがありました。選手たちがみんなピンクのシューズを履いていたのです。あのピンクのシューズを履けばタイムが縮まり、あのシューズを履いていないと履いている人に負けるという状況...

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