先日、愛するばあちゃんが亡くなりました。

92歳、大往生。。

念願の極楽浄土に旅立ちました。


ばあちゃん、チョイ壊れかけの80代は軽く悪態つきながらも

軽快に札幌や東京と移動して、畑やって。


本格的にばあちゃんを壊しちゃったのは、それまで誰も存在すら知らなかった小脳の腫瘍ちゃんでした。

今年6月、突然ばあちゃんの舌が不随意に動き出したのです。

かなり激しく。

ロバかなんかみたいに…。

みんな声を失いました。

涙しか出なくて。

娘の母たちは逆ギレ?!で怒りだす、、、みたいな(笑)


幸いホスピスに入れてもらえて…

Hrやサーフローの処置を次々にされて

わかってはいてもつらくてつらくて、、、

絶対抜いちゃうだろうし、そしたら迷惑かけるし、って、


しかし全員の予想をくつがえし、

ばあちゃんはお人形さんのように

かわいくにっこり笑って

「はい」「ありがとうございます」「ありがたいです」しか言わない

動かされたまんまの姿勢でじっとしている

ばあちゃんに変身していました。


そして4ヶ月・・・

ばあちゃんはお人形さんのまま

気づけば不随意運動もすっかりなくなり、

元気な頃のように、とんちの利いたことも返せるくらい復活し

Nsさんたちから、とってもかわいがってもらい、

身内からみてもかわいさしかない

お人形のような、ばあちゃんになりました。


モヒを増やすと、さすがにとんちも冴えず

寝ていることが増えても

それでも

行くと必ずにっこり笑ってくれました。

そして

「ありがとう」と。


母たちは

そんなばあちゃんに、

ずっとよく噛んで二膳は食べていたばあちゃんに

ごはんを食べてもらうことが

それしかできることはない、というように

とにかく必死でした


病院としては、

もう食べることも負担だから…と

と思っていたはずだけど

「お母さんたち、食べさせたいもんね」

と、Nsさんが私に確認してくれました。


亡くなる二日前まで

ペースト食を

「たくさん、いろいろ頂いています」と言いながら

ばあちゃんもがんばって

娘たちに応えるように

食べていました。


ある日、突如、下血し、ショックとなり、

慌てて4人部屋から個室に移るとき

ベットの移動で壁に『ガンっ』とぶつかったとき

「はい」とかわいい声で返事をし

医療行為なしで、ショックより復活。(笑)


山あり谷ありの低空飛行の4ヶ月

最期は再びの下血。

それでも娘たちは

食べさせました

それをNsさんたちも見守ってくれました。


そして

無呼吸が増えて3日

最期にも「はいっ」と言ったように息をひきとりました。

なんとその日、立川で仕事を終えて駆けつけた私を

待っていてくれたかのように。。

病室に到着した2分後くらいに。。。


Nsさんも泣いてくれていました

前日、もう今日か明日か、というときのNsさんも

泣いてくれていました。


本当に良い病院で、スタッフの方々で、本当に良くしていただきました。

患者も家族も。。


お葬式のとき、

ばあちゃんが愛してやまなかった菩提寺の住職さんも

泣いてくれていました。

住職の娘さんも。。


ばあちゃんの孫として生を受けたこと

幸せに思いました。。


ありがとうございました。

ただいま、デビューいたします。


今日は職場で自分の中の変化がありました。

虹


考えてもしょうがない、自分ではどうしようもないことに、頭とこころを悩ませていました。

訴えを聞いてくれていた子に

「まじめで熱いんだねメラメラ

と、プラスに言ってもらったときに、上記に気づかせてもらえたわけです。



そこから、ぱあっと心が晴れて、、、

状況は変わらないけど、

しあわせは、じぶんのこころがきめる。

みつおさんもおっしゃってましたっけね。