いつか父母の死を迎える時。
想像もつかないくらい恐ろしい。
拒絶したい未来。
だけども一方で、おっぱいを一生懸命吸う千寿を見ててふと思うのは
きっと、私の方が千寿より早く死ぬ。
でも、千寿。私が死んだとしても悲しまくていいんだよ。
あなたを産めただけで私は充分に幸せだった。
だから、あなたが悲しむことはないんだ。って
そーゆー気持ち。
なんかこれ、遺書みたい 笑笑
産んだだけで満たされた。
妊娠期間は楽しかった。
最後の数ヶ月、ろくに眠れないのは辛かったけど。
ゆっくり、育んでいくのは思いの外たのしかった。
ふっかーーーーい古い感情が次々と顔を出してきてはその度に打ちのめされて死んでしまった方が楽なんじゃないかってほど絶望や惨めさをその身に浴びて…。
あまりの絶望さに
いじけて死にたくなっても
本当の本当はどうしたいの?ってちゃんと訊いてあげられるようになった。
本当の望みは死んで「それ」を終わらせることじゃなくて、何?
思わず死を選んでしまいたくなるほど
欲しいくせに手を伸ばすのが怖いモノ。
惨めさに吐きそうになりながら、それでももう自分に降参するしかなかった。
そうやって。ゆっくりじっくり千寿を育てていった。
千寿が育つ度に
わたしの中が深まってゆく。
たくさんの感情を掘り出しながら。
そう、だから
こどもってお腹に宿ってくれた時点で一生分の親孝行してくれてるなって
いま、ふと思ったよ。
さながら考古学者のように
えっさほいさと私の中を発掘してくれるのだから。
だからもういいんだ~。
千寿がわたしに何かしてくれようとしなくても。
親孝行もしなくていいし
悲しむ必要もない。
もちろん、どうしたいかどう感じたいかは千寿にお任せするけどね^ ^
子を宿らせ育み産み出す。
その奥深さは思ってもいないモノだった。
これ、つづきます。
綴ってたら2記事分になった。
ただいま、古代龍からの目覚めのひと言メッセージを受け付けております。