今、読んでいる本の中に
こんな事が書かれていました。
お釈迦様の教えの中に、『托鉢』
というものがあります。
托鉢をお釈迦様が考え付いたときに
弟子達にこう言ったそうです。
明日から托鉢に回るから、
お金とか食べ物を入れるお椀のようなものを
用意するようにと。。。
そして、こんな事を付け加えました。
『お金持ちの家を回ってはいけない。
貧しい人々の家を回って托鉢しなさい』と。。。
弟子達はお釈迦様が言い間違えをしたのでは
ないかと思いました。
しかし、お釈迦様は
貧しい家を回って喜捨をして貰いなさいと
もう一度言いました。
お釈迦様の教えには・・・
『貧しい人たちというのは、今まで自分が貧しい
と思って他人に対して施しをしてこなかった人たち
である。その故に貧しさという苦界の中に沈んでいた。
私達が喜捨を頂きに行くのは、その貧しい人を
貧しさという苦界の中から救ってあげるためなの
だから、貧しい人の家を回って来なさい』
駅とか橋のたもとで編み笠をかぶって立っている
ことがありますが、托鉢の僧侶は
幾ら喜捨をしても「ありがとう」とは言いません。
お経を言って鐘をならし、片手合掌をして終わり。
このときに、向こうが「ありがとう」と言ってくれないと
思うのは、こちらの未熟さ。。。
托鉢の正しい作法とは・・・
喜捨させて頂いた側が「ありがとうございました」
と言って立ち去ること。
仏門に帰依した人たちに、私のお金を正しく、
美しく使って貰う。そのために、今、生活に
かかわりのないお金を持って行き、喜んで
出させていただく。その施しをすることで
神仏から微笑を頂く。。。
ということが喜捨の意味。
托鉢に来てくれている僧というのは、
お金を頂きに来ているのではなくて、
施しをさせてあげるために来てくれている。
本当だったら、お寺まで行って喜捨をしなければ
いけないのに、施しをさせにわざわざ出向いて
くれているということ。
すご~く、深いなと思いました。
そして、日々の生活を振り返り
自分の未熟さを痛感しました![]()
起こってくる現象に対してつい、自分側から
物事を捉えてしまっているように思います。
「させて頂いている」 「ありがとう」と捉えられたら
全ての現象は『ゼロ』の状態なんだなと・・・![]()
最後まで、お読みくださって
ありがとうございます![]()
今日も
嬉しい
楽しい
幸せ![]()
が沢山の人に起こりますように![]()


・・・それがかえって良かったみたいです
