4月15日 天候 曇りのち晴れ 気温 最高19℃ 最低12℃
昨日の民宿の夕ご飯です。
アジの塩焼き、ナスのおひたし、厚揚げとエノキ茸のあんかけ、大根と人参の酢和え、野菜の胡麻和え、お新香、味噌汁はワカメとアサリでした。 風呂上がりにビールを飲んでいたので、地酒土佐鶴をコップ2杯でした。お遍路宿としては、このくらいシンプルなのがいいですね。私は、これに刺し身があれば言うことなしです。😄
今日は第28番札所大日寺に向けて、香南市まで移動の日です 。
お寺にお参りするために山道を歩いていると感じるのですが、明らかにかつてはここに何かがあっただろうなと思われる場所があります。きちんとした石積みがあり石垣の上は平らです。多分 明治元年の神仏分離令と廃仏毀釈によって、全国各地のお寺が潰されて行きました。その結果、石垣だけが残っているという事態になっているのだと思います。仏教文化の多くが失われてしまったのですが、これも時代の流れだったのでしょうね。
チベットやネパールを訪れると、今も仏教が人々の心の支えとなっていますが 、日本では怪しげな新興仏教は別として、昔からの仏教は葬式仏教へと変化し 、日本人の精神的基盤を支えていないと思います。
"遍路とは 歩くことなり 感謝と行" という言葉があります。現在、土佐高知の"修行の道場"を歩いているわけですが、今まで歩いてきた阿波徳島県でお寺とお寺で最長の距離は第12番札所の焼山寺から第13番札所の大日寺までの 27 kmでした。
そして徳島県から高知県へ移動する時の第23番札所の薬王寺から第24番札所の最御崎寺の間が75 kmでした。高知県に入って第26番札所の金剛頂寺から第27番札所神峰寺は33 km、第27番札所の神峰寺から第28番札所の大日寺は38km、まだまだあります。
第36番札所の青龍寺から第37番札所の岩本寺までは51 km、最大なのが第37番札所の岩本寺から第38番札所の金剛福寺までの94 km、更に第38番札所の金剛福寺から第39番札所の延光寺までは56 km、まだまだ続き、第39番札所の延光寺から第40番札所の観自在寺までは29 km です。そして、あなたの歩む遍路は 山あり谷あり 修行の道 けれど笑顔の花が咲く、となっております。😅
いやはやなんとも。土佐高知になると凄い距離を歩いていますよ。まさに修行の道場ですね 。これからも花を愛で、 野鳥の囀りに耳を傾け、薫風を頬に受け 、海の大きさを感じ、自然いっぱいの四国路を楽しみながら歩きます。
野菜や果物の無人販売所がありました。文旦は大きなのが3個入って200円、小さいのは6個入っていました。ウスイ豆は1袋300円、竹の子は一本150円、赤ピーマンが大量に入って50円、トマトは200円で売っていました。 安いですね。
大山岬に寄ってみました。 海蝕洞窟がたくさんありますが、落石注意の看板とコーンポットだけが目立っていました。海は凪状態ですが曇っているため灰色をしています。
"愛妻の碑"というのが大山岬に立っていました。歌詞は "秋風の ふくいの里に 妹をおきし 安芸の大山 越え勝てぬかも" というものです。1871年(天保2年) 鹿持雅澄さんが安芸郡に役人として赴任する途中、大山岬で残してきた妻を想い歌ったものでした。
浜千鳥公園に浜千鳥の歌詞と楽譜が碑となって立っていました。この浜千鳥の作詩した場所は北陸にあったと思います。 日本縦断てくてく一人旅で 日本海ルートを歩いていた時に、その地を訪れた記憶があります。
道の駅大山がありましたので寄ってみました。火が消えたように静かで、お客はいませんでした。 聞こえてくるのはイソヒヨドリの綺麗な囀りでした。
約3 kmの長さの防波堤歩道を歩いていると、甘い香りが鼻に届きました。初めて嗅ぐ香りだったので、なんだろうと思って周りを見渡すと、グミの白い花でした 。小さい花にミツバチが飛び交っていました。 赤く熟したグミの実を 口の中に頬張ると 渋みの効いた甘酸っぱい味が口中に広がる感覚は今でも忘れられません。
土佐くろしお鉄道の伊尾木駅横の貯木場の作業をしばらく見ていました。大型トラックで運んできた原木を、クレーンリフトを操作し 5〜6本の原木をトラックから貯木場に並べていきます。原木の長さは5 mほどで、その中心部をクレーンで鷲掴みにし、持ち上げて並べる作業は手馴れたもので見事なものでした。
貯木場の次に材木置き場を見ました。 製材した板を 天日干しにしているのを初めて見ましたが、このような形で天日干しするんですね。天日干ししないで建築材として使うと、板が歪んでしまいますからね。
安芸川の橋を渡る手前でミカンの白い花を撮っていると、大阪から3月にやってきて 88番札所の大窪寺からスタートした逆打ちの歩き遍路の方と話をしました。その方によると歩き出した当初は毎日 7〜8人の方と出会っていましたが、最近は3〜4人しか会わず 、1人の時もあったそうです。急速に歩き遍路の数が減っているのはコロナウイルスの感染拡大に伴う自粛によるものと思われます。
"人の世に熱あれ 人間に光あれ" は、全国水平社宣言文の有名な一節ですが、安芸市市民館本館の庭に立っていました。
"日本で一番高い防波堤"という堤防の海側に入ってみました。下から防波堤を見上げると確かに高い防波堤だというのが実感できます。しかし重要なのは地震が来た時は防波堤に頼るのではなく高台に逃げることですね。
安芸漁港に"安芸しらす食堂"というのがあったので入ってみました。頼んだのは釜揚げちりめん丼プラスどろめ丼セットで950円でした。オレンジジュースがついていました。配膳係のお姉さんが食べ方を教えてくれました。 釜揚げシラスと生シラスの両方が食べられたのでラッキーでした。美味しかったです。アンパンマン作家のやなせたかしさんが食堂のキャラクターデザインをしていました。
お昼ご飯を食べた"しらす食堂"から、今日泊まる民宿までの10kmほどが自転車専用道路になっていましたので安心して歩けました。
赤野自転車休憩所から綺麗な砂浜の渚が見通せました。波は静かです。潮騒の音が聞こえてきます。真下の干潟では シラサギが羽を休めています。桜の花びらが 風風に舞っています。
松林の中の太平洋を一望する展望台で休んでいると、エンジン付きパラグライダーが飛んでいました。 沖に向かって飛んでいくのではなく、砂浜に沿って飛んでいるようでした。
本当にあった漫画のような話が民宿の前に記されていました。内容は1945年8月15日に日本は敗戦を迎えたのですが、翌日の8月16日に海軍の小型水上特攻艇に突撃命令が出て、その準備をしていた161名が火薬庫の爆発によって全員即死したっていう笑えない話です。完全な無駄死にですね。海軍の上層部は、なんて無謀なことをやったんでしょうね。
今日泊まる民宿です。 お客は少なく2名のようです。