昨年4月に新型コロナウイルスの感染拡大による全国的な緊急事態宣言の発令によって旅を中止してから1年が経ちました。



今年の3月に旅を再開しようと思っていましたが、やはり新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず再開を伸ばしました。



それ以降の新型コロナウイルスの感染状況を確認していましたが、状況は悪化する一方です。二度目の緊急事態宣言の後に「まん延防止等重点措置」が首都圏に発令されています。



旅に出ていない時は1ヶ月に2回ほど山に登っており、その紀行文を『山と渓谷』という雑誌に投稿したところ、今年の3月号に掲載されました。



また日本縦断の太平洋側ルートについて北海道と東北の設計をしていました。北海道と東北についてはテント持参のてくてく一人旅になる予定です。北海道については2か月間。東北については40日間のスケジュールとなっています。



バードウォッチングについては200 mm 〜600 mm の望遠ズームレンズで月に10回ほど歩いて野鳥観察と撮影をしています。歩く距離は一回で10 km ほどです。野鳥の姿を写真に撮り楽しんでいます。



新型コロナウイルスのワクチン接種については千葉市の方から5月13日に受付を開始するという連絡が届きました。一応申し込んでみようと思っていますが、実際の接種日時がどうなるかは申し込んでから分かることです。ま、あせらずにのんびりやっていこうと思っています。

 4月1日から『日本縦断てくてく一人旅』の第5ステージとして「四国遍路88ヵ所を歩く旅」と位置づけてスタートしましたが、新型コロナウイルス感染拡大のため全国緊急事態宣言の発令によって旅を続けていくことが出来ず、やむなく4月18日に旅を打ち切りました。

 

 

 9月1日から秋シーズンでの旅の再開に向けて準備をしてきましたが、8月中旬になっても新型コロナの感染拡大の勢いは止まず、むしろ第2波の真っ只中に感じられるため、旅の再開は来春に再延期することにし、予約してあった飛行機もキャンセルしました。

 

 

 4月に四国遍路の1番霊山寺札所から35番清滝寺札所まで404kmを歩いているなかで、弘法大師空海のことをもっと知ることを痛感しました。そのため今回の準備期間で『空海入門』『空海三教指帰』『空海性霊集』『空海般若心経秘鍵』『空海の歩いた道』『空海』などの関連資料に目をとおしました。これらの本を読むことによって空海の輪郭がおぼろげながら浮かび上がったきたところです。

 

 

 旅の再開は来春となりましたが、それまでの期間で私自身が新型コロナウイルスに感染しないことは勿論ですが、感染拡大が静まっていることを願っています。

 

 

4月19日 天候 晴れ 気温 最高19° 最低12°

昨日の夕ご飯です。


握り寿司10貫、ヒラアジのたたきと刺身、 鰹の刺身、ウツボのたたき刺身、冷奴、ビールは500ml2本、地酒の土佐鶴と司牡丹でした。以前ウツボの唐揚げは和歌山で食べたことがありますが、ウツボのたたき刺身は初めてです。顔は獰猛ですが美味いですね。 昨晩が高知の最後の夜でした。居酒屋に出かけるも面倒なので、いつものように近くのスーパーで買ってきました。


今回の四国の旅は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う政府の全国緊急事態宣言の発令により、旅の遂行が困難となってきました。誠に残念ですが、いったん幕張の自宅に戻り、コロナウィルス感染騒ぎが収まったならば、再度、土佐市から続けていこうと思います。


昨日開かれた 四国八十八カ所霊場会臨時理事会の討議内容についての詳細はわかりませんが、ホームページを確認すると   全ての納経所を閉鎖するのではなく、各地域単位に対応を委ねたようです。その結果 徳島県では7箇所、高知県では15箇所、愛媛県では13箇所、香川県では18箇所 合計53箇所の納経所が閉鎖されます。


4月2日から歩き出し、昨日までの17日間 に一度だけ雨に降られましたが、それ以外は天候に恵まれ、足下には菜の花が咲き 上を見上げれば桜の花が咲いていました。山に入れば四方八方からウグイスの鳴き声が聞こえ、海沿いを歩けば優しいイソヒヨドリの声が耳に届きました。春の暖かい四国路をのんびり歩けて楽しかったです。ありがとうございました。


"四国お遍路に行くと人が変わる"と昔から言われてきました。どういうことなのか私の短い実体験から考えてみました。


1点目は 毎日30 kmから40 kmを歩き通すことによって生じる体の痛みや足の痛み それに耐えながら遍路を続けていくという精神的にも肉体的にも辛いところを乗り越えていくということにあると思います 。


2点目はお接待に代表されるように 他人から何かをしてもらうことによって 今度は自分から他人へお返しをする という気持ちが芽生えてくることではないでしょうか。


私は最初お接待について、ちょっとびっくりしましたけれども、自分の必要なものを買ってきたにもかかわらず、それをお遍路さんに与えてしまう。それはお遍路さんはお大師様と一緒に歩いているので、お大師様をお接待する。そういう意味合いが続いているのだろうと思います。こういうことをされると 確実に心は変わっていくと思います。

この2点は 歩き遍路でこそ体験できることであり、車で移動する遍路では体験できないことだと思いました。


高知龍馬空港から羽田空港への航空便は JAL と ANA を合わせて 7便あるのですが、そのうち4便は欠航しています。 私は JAL 11時20分発 の予約を取りました。高知駅から高知龍馬空港までのバス便も半分に減便されていました。


今朝も素晴らしい朝日を見ることができました。健康でいられることに感謝します 。


高知龍馬空港に到着しましたが 乗客は数えるほどです。仕方ないですね。妻へのお土産を買いました。


今回も たくさんの方に私の拙い旅日記を読んでいただきました。ありがとうございました。第2ステージの丁度中間で旅を休止しますが秋に再開しようと思います。再開した時は、よろしくお願いします。😄
4月18日 天候 晴れ 気温 最高22℃ 最低12℃

昨日の夕ご飯です。


鰹のたたき、煮魚、ほうれん草の胡麻和え、胡麻豆腐、筍と芋の煮物、お新香、イチゴでした。鰹のたたきにはミョウガ、アサツキ、シヨウガが乗っており、酒の肴に抜群でした。


民宿に到着すると 洗濯するものは全てこのカゴに入れてください。 こちらで乾燥まで全ていたします と言われたので 靴下 パンツ T シャツ 長袖シャツ を出しました。夕ご飯の後に きちんとに畳まれたのが手渡されました。全て無料でお接待でした。ありがたかったです。

今日のコースは 第34番札所の種間寺と第35番札所の清瀧寺のコースでした。


種間寺に向かっていると ビニールハウスが目立ち 真ん中にオレンジの棒がありました。その棒のことについてハウスで仕事をしている人に聞いてみました 。その黄色い棒は 温度調整をするための 覆いシートを操作する棒でした。太陽の光が強すぎて 中の野菜も作業する人間も弱ってしまうので 調整しているとのことでした。


ハウスの中には トマト、キュウリ、ミョウガが育っていました。ミョウガは半年ずつに植え替えるとのことです。理由は茎が太くなりすぎて良いミョウガが取れなくなってしまうということです。トマトは1本立てで2 mぐらいの高さになり 実がたくさんなっていました。


第34番札所の種間寺の御本尊は薬師如来です。お寺に行くと"おびんずる様"はよく見かけますが 大黒さんが本堂にあったのには驚きました。唐の浜の民宿で同宿した人に出会い、お礼を言われました。足のマメの治療方法について教え、薬局で抗生物質軟膏を買うアドバイスをしたところ、翌日 買って対処したので足は快調となり、今日は第36番札所の青龍寺まで向かうと言っておりました。よかったよかった。


納経所で御朱印を押してもらっていると 、歩きお遍路さんですよね? 霊場会からの周知はご存知ですか? と言って4月16日付の周知文を見せてもらいました。 その文書には 22日に理事会を開くことになっていましたが、昨夜泊まった民宿の情報によると、急遽今日臨時理事会が開催されるとのことでした。この理事会で全てのお寺が閉門になる可能性もあります。


日本最後の清流といわれている仁淀川は 河口ともなると川幅もすごく広くなっていました。 この仁淀川大橋の中央が高知市と土佐市の境目でした。堤防の土手には黄色い花がいっぱい咲いていました。


土佐市内の商店街を歩いていたところ、おばあさんに呼び止められました。 "お遍路さんご苦労さん たまにはこういう甘いものも 食べると元気が出るよ" そう言いながら 自分で食べるので買ったのであろうと思われる 薄皮饅頭5個入りを お接待してくれました。おばあさんは88歳で ニカッて笑うと歯が2本だけ残っていました 。ありがとうございました。


 今回の旅で度々お接待を受けました。飴、せんべい、おにぎり弁当、ジュース、ポン菓子、饅頭、マスクもありました。ありがたかったです。


私がお遍路さんの姿をして歩いていることもあって 、歩いている途中はもちろんですが、民宿、旅館、ホテルでも 大変面倒を見てくれました。ありがたかったです。

第35番札所の清瀧寺の御本尊は薬師如来です。清瀧寺も山の中に建っているお寺なので、随分坂を登って行きました。境内から土佐市内を一望できました。


今日泊まるビジネスホテルです。
今、私は土佐市にいます。第36番札所青龍寺から先に踏み込むと、今後お寺が閉まっていくであろう状況と交通の面から考え、今回は第35番札所の清瀧寺を最後に幕張に戻ることにしました。誠に不本意ではありますが、新型コロナウイルスの感染拡大状況を踏まえれば致し方ないと考えています。
4月17日 天候 晴れ 気温 最高20℃ 最低12℃

昨日の夕ご飯です。


握り寿司8貫、マグロ寿司4貫、冷奴、ローストポーク、酒は 缶ビール2缶、地酒は司牡丹と土佐鶴でした。


昨晩政府によるコロナウイルス感染に対する全国緊急事態宣言が出されました。NHKが全国各地のインタビューを流していましたが、政府の対応が遅すぎ、という意見が大半でした。これは当たり前のことです。


オリンピックの中止だけを防ごうとして 、日本はコロナウイルス感染者を少なく見せるために検査を規制していました。その結果が感染者が拡大した今の状態です。


私はコロナウイルス感染者ではありませんが、 基本的な感染予防の"手洗い"と"うがい"を実行しながら、予約した宿から断りの電話がない限り、淡々とお遍路を進めていこうと思いますが、お寺が参拝を中止する可能性があります。


今日は、31番札所の竹林寺、32番札所の禅師峰寺、33番札所の雪蹊寺の3つのお寺をお参りする28 kmのコースです。


第31番札所の竹林寺は五台山という山の上にあります。参道を登っていく途中に植物学者の牧野富太郎記念館がありますが、時間の関係で今回は立ち寄ることができませんでした。😑


お遍路道が牧野植物園の中を通過しているため、トビカズラ という今まで見たことがない紫色の花をしたつる植物に出会えました。びっくりです。植物園の中のルートが複雑で途中で道に迷い、ハスの世話をしていた女性に道案内していただきました。😅


日本に植物学を作り上げた 牧野富太郎博士の自筆の細密植物画が見たかったですが、またの機会にしました。


第31番札所の竹林寺の御本尊は知恵の文殊菩薩です。キリッと引き締まった朝の空気のなか、落ち葉が重なり苔むした石畳の坂道を上っていくのですが、朝一番の登りはきつかったです。新緑の境内は清々しい感じがしました。


田んぼ道を歩いていると、すでに田植えが終わったその先に、ドーム型の屋根、体育館、球場のスコアボードが見られました。市民公園になっている風景でした。


竹林寺から禅師峰寺に向かう途中に、国史跡の武市半平太の旧宅が建っていました。半平太が22歳まで過ごした家とのことです。 半平太は土佐勤王党の首領として活躍しましたが、1865年(慶応元年)に切腹を命ぜられ37歳の生涯でした。屋根は藁葺き屋根でしたが、現在は銅板葺きになっていました。現在も民家として生活がなされています。


禅師峰寺も山の中です。マムシに注意の看板を横目に、落ち葉の積もった山道を登っていくといました。マムシではなく トカゲのカマヘビでした。


禅師峰寺の境内から土佐湾が展望できました。空は薄曇りなので海は青く輝いていませんが静かな凪状態です。


第32 番札所の禅師峰寺の御本尊は 十一面観世音菩薩です。禅師峰寺をお参りし、参道を下ってくると、吉良川町の民宿で同宿した方と出会い話をしました。その人の情報によると、高知県で 1つの寺が閉まった、香川県でも2つの寺が閉まったと、いうことでした。3つともこれからお参りするお寺の名前だったので、いやはやなんとも。


種崎渡船所に向かって歩いていると、フルフェイスでオートバイに乗った若者が突然私の前に停車し、フェリー乗りますか?フェリーの次の便は13時10分発です。私が分かりました、と言った途端、 U ターンして 戻って行きました。なんだったんだろう。 疾風のようにやって来て、疾風のように去って行く、まるで月光仮面のようだった。 これもお接待だったのだろう 。😆


種崎渡船所というのは浦戸大橋ができるまで、高知県営のフェリーとして市民の足でした。県道ですから乗船費はタダでした。


フェリーは1時間に1本の運行ですが、ヘルメットの若者に時刻を教えてもらわなければ 、1時間待機するところでした。 ありがたかったですね 。私が乗った便にはバイクが2人、歩きお遍路が2人でした。


第33番札所の雪蹊寺の御本尊は薬師如来です。境内で地元の物産品を売っていました。珍しいことです。


民宿にチェックインするまで時間がありましたので桂浜に出かけました。雪渓寺から往復3時間もかかってしまいました。西側から海岸に降りたため、桂浜に行くルートが落石で通行禁止になっていました。正規ルートに戻ると時間がかかるので、通行禁止の所を無理やり通過しました。


桂浜に降りると波打ち際でカップルが話をしていました。管理事務所から波打ち際には近づかないでください、という放送を流していましたが、若い二人には届かなかったようですね 。月夜の桂浜で仲間と1升瓶を片手に飲み明かしたいですね。


高台に上がると坂本龍馬が懐手で太平洋を眺めていました。 龍馬の像は大きいですね。



今日の宿です。今日は6人の宿泊予定のようです。

4月16日 天候 晴れ 気温 最高22℃  最低12℃

昨日の民宿の夕ご飯です。


金目鯛の煮付け、ホタテの焼き物、茄子の煮浸し、サラダ、ホタテの刺身、鯛と石鯛の刺身、お新香、汁は伊勢海老でした。 


伊勢海老は身が詰まっていて美味かったですね。石鯛の刺身も味は淡白ですがコリコリして実に美味いですね。


瓶ビールと地酒の土佐鶴を飲みながら料理を味わっていると夕日が静かに沈んでいきました。民宿の前は住吉漁港なので魚介料理が抜群に美味いです。😍


今日は3つのお寺にお参りし、歩く距離は30 kmです。藤の花が咲き出しています。 以前お参りした第11番札所の藤井寺の藤も咲き出すと見事でしょうね。 昨日は20℃近く気温が上がり 体がぐったりしましたが 今日は20℃を超える予定です。


昨日同様に自転車専用道路を歩きました。トンネルも度々出てきます。この自転車専用道路は 国道55号線と並行して走っています。廃止になった土佐電鉄安芸線を再利用したものです。


第28番札所大日寺の御本尊は大日如来です。 境内はモミジがいっぱい植えられていて、現在も若芽が素晴らしいのですが、秋に来れば紅葉で素晴らしいお寺でしょう。


境内で埼玉県川口から車でやってきた80代2人の方と話をしました。持病があるのでコロナウイルス関係で埼玉県を脱出し、島根県出雲市のおばさんを訪ねたのですが、駐車場に首都圏ナンバーの車は入ってくるな、帰れ、というのが貼ってあったそうです 。1ヶ月滞在する予定でしたが、おばさんに迷惑がかけるといけないので、四国の八十八ヶ所を回っています、と言ってました。あちこちで変になり、ひどいことになっていますね。心があれ荒んでいます。


大師堂の前に独鈷が置れていましたが、こんな大きな独鈷は初めて見ました。独鈷に触りながら"南無大師遍照金剛"を3回唱えました。


ここら辺りでは、ビニールハウスがたくさん並んでいます。ハウスの中を覗いてみるとニラの栽培でした。ニラは露地植えもありました。年商1億円を超える農家もあるそうです。


第28番札所の大日寺から第29番札所の国分寺へ向かう途中の農道を歩いていると、 後ろから自転車に乗って来た方に呼び止められました。その方は千葉市の習志野台に住んでいた方で、病院勤務の方でした。四国霊場は自転車で4回まわったと言っておりました 。30分近く一緒に歩いて様々な話をしました。楽しい方でした。松本大師堂でひと休みです。ここが大日寺と国分寺の中間点になります。


大師堂の前に新しくトイレが設置されましたが、そこに向かう細道でおばあさんが草取りをしていました。ボランティアでしょうね。 今日も暑い日差しなので草取りも大変です。


高知県は農業と漁業が主産業で 、高知県農業技術センターが寒さに強い稲の品種改良に成功し、この辺りでは早いところは3月下旬から日本で一番早く田植えが始まるとのことです。4月中旬ではあちこちで田植機が活躍しています。


第29番札所国分寺の手前1 km のところに 元祖へんろいし饅頭を売っていたので、お店に入るとおばあさんが店番をしており、10個750円と5個400円の2種類しかありません。バラ売りはしていませんでした。そこで私は5個入りを買い、国分寺にお参りした後に境内で食べました。甘い饅頭でした。


第29番札所国分寺の御本尊は観世音菩薩です。本堂の屋根が檜葺で重層感がたっぷりありました。さすが土佐の国の国分寺です。


納経所に御朱印をいただくために向かうと庭園ではボタンが花盛りでした。特にピンクの牡丹が綺麗でした。庭もよく手入れが行き届いていました。


第30番札所善楽寺の手前2 kmあたりに蒲原遍路休憩所がありました。ボランティアで建てられた当時の写真が休憩所の壁に貼ってありました。


休憩所の手前にはアマリリスが朱色の花を咲かせ始めていました。これもボランティアが世話をしているのでしょうね。


第30番札所善楽寺の御本尊は阿弥陀如来です。コロナウイルス感染対策で手水場の水が枯れて使えなくなっていました。


お寺の入り口に11面観世音菩薩立像が立っていました。とても優しい顔の観音様でした。


お参りを終えた後、納経所に行って御朱印をいただきましたが、その際に3点質問されました。出身県、年齢、お参りの期間です。 質問に答えると ここの住職がデザインした弘法大師1100年記念のティッシュペーパーをいただきました。可愛らしい絵を描く坊さんだと思いました。


今日宿泊するホテルです。今日は朝から気温が上がったので、ずっと半袖でした 。距離も長かったので疲れ気味です。😂

4月15日 天候 曇りのち晴れ 気温 最高19℃  最低12℃

昨日の民宿の夕ご飯です。


アジの塩焼き、ナスのおひたし、厚揚げとエノキ茸のあんかけ、大根と人参の酢和え、野菜の胡麻和え、お新香、味噌汁はワカメとアサリでした。 風呂上がりにビールを飲んでいたので、地酒土佐鶴をコップ2杯でした。お遍路宿としては、このくらいシンプルなのがいいですね。私は、これに刺し身があれば言うことなしです。😄


今日は第28番札所大日寺に向けて、香南市まで移動の日です 。


お寺にお参りするために山道を歩いていると感じるのですが、明らかにかつてはここに何かがあっただろうなと思われる場所があります。きちんとした石積みがあり石垣の上は平らです。多分 明治元年の神仏分離令と廃仏毀釈によって、全国各地のお寺が潰されて行きました。その結果、石垣だけが残っているという事態になっているのだと思います。仏教文化の多くが失われてしまったのですが、これも時代の流れだったのでしょうね。


チベットやネパールを訪れると、今も仏教が人々の心の支えとなっていますが 、日本では怪しげな新興仏教は別として、昔からの仏教は葬式仏教へと変化し 、日本人の精神的基盤を支えていないと思います。


"遍路とは 歩くことなり 感謝と行" という言葉があります。現在、土佐高知の"修行の道場"を歩いているわけですが、今まで歩いてきた阿波徳島県でお寺とお寺で最長の距離は第12番札所の焼山寺から第13番札所の大日寺までの 27 kmでした。


そして徳島県から高知県へ移動する時の第23番札所の薬王寺から第24番札所の最御崎寺の間が75 kmでした。高知県に入って第26番札所の金剛頂寺から第27番札所神峰寺は33 km、第27番札所の神峰寺から第28番札所の大日寺は38km、まだまだあります。


第36番札所の青龍寺から第37番札所の岩本寺までは51 km、最大なのが第37番札所の岩本寺から第38番札所の金剛福寺までの94 km、更に第38番札所の金剛福寺から第39番札所の延光寺までは56 km、まだまだ続き、第39番札所の延光寺から第40番札所の観自在寺までは29 km です。そして、あなたの歩む遍路は 山あり谷あり 修行の道 けれど笑顔の花が咲く、となっております。😅


いやはやなんとも。土佐高知になると凄い距離を歩いていますよ。まさに修行の道場ですね 。これからも花を愛で、 野鳥の囀りに耳を傾け、薫風を頬に受け 、海の大きさを感じ、自然いっぱいの四国路を楽しみながら歩きます。


野菜や果物の無人販売所がありました。文旦は大きなのが3個入って200円、小さいのは6個入っていました。ウスイ豆は1袋300円、竹の子は一本150円、赤ピーマンが大量に入って50円、トマトは200円で売っていました。 安いですね。


大山岬に寄ってみました。 海蝕洞窟がたくさんありますが、落石注意の看板とコーンポットだけが目立っていました。海は凪状態ですが曇っているため灰色をしています。


"愛妻の碑"というのが大山岬に立っていました。歌詞は "秋風の ふくいの里に 妹をおきし 安芸の大山 越え勝てぬかも" というものです。1871年(天保2年) 鹿持雅澄さんが安芸郡に役人として赴任する途中、大山岬で残してきた妻を想い歌ったものでした。


浜千鳥公園に浜千鳥の歌詞と楽譜が碑となって立っていました。この浜千鳥の作詩した場所は北陸にあったと思います。 日本縦断てくてく一人旅で 日本海ルートを歩いていた時に、その地を訪れた記憶があります。


道の駅大山がありましたので寄ってみました。火が消えたように静かで、お客はいませんでした。 聞こえてくるのはイソヒヨドリの綺麗な囀りでした。


約3 kmの長さの防波堤歩道を歩いていると、甘い香りが鼻に届きました。初めて嗅ぐ香りだったので、なんだろうと思って周りを見渡すと、グミの白い花でした 。小さい花にミツバチが飛び交っていました。 赤く熟したグミの実を 口の中に頬張ると 渋みの効いた甘酸っぱい味が口中に広がる感覚は今でも忘れられません。


土佐くろしお鉄道の伊尾木駅横の貯木場の作業をしばらく見ていました。大型トラックで運んできた原木を、クレーンリフトを操作し 5〜6本の原木をトラックから貯木場に並べていきます。原木の長さは5 mほどで、その中心部をクレーンで鷲掴みにし、持ち上げて並べる作業は手馴れたもので見事なものでした。


貯木場の次に材木置き場を見ました。 製材した板を 天日干しにしているのを初めて見ましたが、このような形で天日干しするんですね。天日干ししないで建築材として使うと、板が歪んでしまいますからね。


安芸川の橋を渡る手前でミカンの白い花を撮っていると、大阪から3月にやってきて 88番札所の大窪寺からスタートした逆打ちの歩き遍路の方と話をしました。その方によると歩き出した当初は毎日 7〜8人の方と出会っていましたが、最近は3〜4人しか会わず 、1人の時もあったそうです。急速に歩き遍路の数が減っているのはコロナウイルスの感染拡大に伴う自粛によるものと思われます。


"人の世に熱あれ 人間に光あれ" は、全国水平社宣言文の有名な一節ですが、安芸市市民館本館の庭に立っていました。


"日本で一番高い防波堤"という堤防の海側に入ってみました。下から防波堤を見上げると確かに高い防波堤だというのが実感できます。しかし重要なのは地震が来た時は防波堤に頼るのではなく高台に逃げることですね。


安芸漁港に"安芸しらす食堂"というのがあったので入ってみました。頼んだのは釜揚げちりめん丼プラスどろめ丼セットで950円でした。オレンジジュースがついていました。配膳係のお姉さんが食べ方を教えてくれました。 釜揚げシラスと生シラスの両方が食べられたのでラッキーでした。美味しかったです。アンパンマン作家のやなせたかしさんが食堂のキャラクターデザインをしていました。


お昼ご飯を食べた"しらす食堂"から、今日泊まる民宿までの10kmほどが自転車専用道路になっていましたので安心して歩けました。


赤野自転車休憩所から綺麗な砂浜の渚が見通せました。波は静かです。潮騒の音が聞こえてきます。真下の干潟では シラサギが羽を休めています。桜の花びらが 風風に舞っています。


松林の中の太平洋を一望する展望台で休んでいると、エンジン付きパラグライダーが飛んでいました。 沖に向かって飛んでいくのではなく、砂浜に沿って飛んでいるようでした。


本当にあった漫画のような話が民宿の前に記されていました。内容は1945年8月15日に日本は敗戦を迎えたのですが、翌日の8月16日に海軍の小型水上特攻艇に突撃命令が出て、その準備をしていた161名が火薬庫の爆発によって全員即死したっていう笑えない話です。完全な無駄死にですね。海軍の上層部は、なんて無謀なことをやったんでしょうね。


今日泊まる民宿です。 お客は少なく2名のようです。
昨日の民宿の夕ご飯です。


刺身は カンパチ、タイ、グレ、シシャモの味醂干し、卵焼き 、キュウリの酢の物、シラス大根おろし、切り昆布、野菜サラダ、味噌汁でした。グレの刺し身は美味かったですね。酒は風呂上がりにビールを2本飲んでいたので、地酒の土佐鶴をコップ酒2杯でした。


この民宿は旦那さんと奥さんの2 人で経営していますが、建物が立派なので料理も期待していましたが、奥さんは料理はあまり上手ではないようですね。保健所に届け出ている宿泊者数は10名だそうですが、2人で対応しているので5名までが精一杯で、それ以上になると仕出し屋に料理を頼むと言っておりました。この民宿もコロナ関係で予約がキャンセルされていて旅館業も大変ですね 。


吉良川町は重要伝統的建造物群保存地域に指定されていました。室戸の辺りは台風の直撃をくらう地域ですから、瓦屋根にも右瓦と左瓦があります。向かってへの字に見えるのは右瓦で、逆への字に見えるのは左瓦です。棟の北側は左瓦、南側は右瓦に振り分けて台風の雨風に対応しているとのことです。


雲ひとつない青空が広がっています。真っ青な大海原の脇を歩いて行きます。とても気持ちの良い朝です。所在なげなウミウが1羽 私を見つめていました。昨日はハッキリ見えていた足摺岬も今朝は霞んでいます。


55号線を歩いていると備長炭の材料になるウバメガシがたくさん育っています。昨晩泊まった民宿でウバメガシの年輪を見せてもらいましたが、ものすごく細いので固いことがわかりました。備長炭もあったので2つの炭を叩いてみると、金属音がしました。それで焼き鳥屋で使うと炭が長持ちするのですね。


羽根岬で美しく優しく囀るイソヒヨドリを撮影しました。昨夜泊まった民宿の親父さんが、イソヒヨドリの子育てについて詳しく話してくれました。


羽根漁港では 3人の漁師さんたちが漁網の手入れをしていました。結構手間のかかる作業だと思いますが、この穴塞ぎをしないと網がほつれてすぐダメになってしまいますからね。


 今日は神峰寺まで行く予定で歩き出しました。神峰寺は山の中です。結構厳しい登りと下りがあり、海岸線から往復8 km です。急勾配もあり焼山寺の道よりも厳しいと言われているお寺です。宿泊した宿から 31 km の行程です。


孫と海を見ていたおばあさんと話しました。今日の海はしずかー。ここの風は強いきにー。 昨日の風あんなもんじゃないきにー。ここの風は 。と言いつつ、頑張ってください、と励まされました。


磯でバケツを持った母娘が何かを探していました 。バケツにはまだ何も入っていないようでした。イソガニを捕まえて味噌汁に入れると、とてもいい味になるんですよね。私が手を振ると母親が挨拶返しをしてくれました。😄


室戸市奈半利町の桜は今が満開です。東京の桜はもう散ってしまったんでしょうね。私は今年は何回も花見ができます。


幕末の土佐藩で活躍した武市半平太をはじめとする土佐藩士23人のお墓がありました。 武市半平太は 土佐勤王党を結成しましたが土佐藩上部から弾圧され、竹市半平太も捕われて獄中にあり、1864年 死罪となりました。そのお墓にお参りしました。


道の駅 田野駅屋 があったので寄ってみました。ここで今朝宿でいただいたバナナを昼食がわり食べました。


子どもの成長を願うのぼり旗が上がっていました 。1枚は桃太郎の絵を描いた進仁郎君、もう1枚は豊臣秀吉の武者姿を描いた悠太郎君の旗でした。縦長ののぼり旗は見たことがありますが、大漁旗のような横長の旗は初めてです。 他人ごとながら2人の男の子の健やかな成長を願いました。


神峰寺の山道を登っていくと看板が出てきました。マムシに注意。マムシもおとなしいヘビですからコンコン金剛杖の音をたてていれば逃げていきますね。


第27番札所神峰寺の御本尊は観世音菩薩です。 海岸線から歩いて1時間半かかりました。結構きつい登りでした。


境内一面に手入れをされたツツジがいっぱいです。ツツジはまだ咲いていませんでしたが、登山道にはヤマザクラとヤマツツジが共演しており、とても綺麗でした。


土佐名水百選に選ばれている神峰水も美味しく喉を潤してくれました。


本堂と大師堂の間に不動明王が立っていました。不動明王の憤怒の顔は毎回拝んでおりますが、ここのはオールカラーなので強烈でした。


今日お世話になる民宿です。宿泊者は3名です。
4月12日 天候 晴れのち曇り 気温 最高12℃ 最低5℃

昨日の宿坊の夕ご飯です。宿泊者は2人でした。コロナウイルス対策のために食卓は離れています。話も遠いですね。


鰹のたたき、アジのフライ、きんぴらごぼう、なすの油揚げ、蒸しエビ、野菜の天麩羅、かぼちゃと茄子と豆腐と肉団子 の煮物、 りんごのフライ、 卵焼き、そうめん汁、 デザートは柑橘類と寒天、なすの油揚げが美味かったですね。酒は缶ビール500mlを2本でした。


昨日、風呂上がりにビールと日本酒を飲みながらリラックスしていると、突然アオゲラが飛んできました。 前の建物の板壁に穴を開けて自分の巣にしているようです。板壁には15個の穴が開いていました。 どこでも巣にしてしまう逞しい姿にビックリしました。


昨日は雨と風の中を歩きました。靴も靴下もびしょびしょでした。歩いている途中で 右足の小指に違和感があるなと感じていたのですが、宿に入ってから靴下を脱ぐと、足の裏はふやけ小指の外側にマメができていました。今回の旅で初めてのマメです。早速アルコール消毒した後、針で穴を開け、抗生物質クリームを塗った後、絆創膏で処理しました。2〜3日は注意しなければいけません。


昨晩 暴れた低気圧も朝になると過ぎ去っってしまい太陽が出ています。室戸漁港がよく見えます。 左側には 遥か彼方に足摺岬が霞んで見えます。あそこまで歩いていくのかと思うと、すごい距離だと改めて感じました 。爽やかな朝の出発です。


室戸の街の中を歩いていると、昭和9年の地震で来襲した津波の位置が記されていました。今から90年前のことです。過去の教訓を忘れないという意味ですね。


近くには津波が来た時の逃げるコースが表示されていました。 地震後に停電になった場合、夜でも分かるように太陽光発電設備もついていました。


3階建ての津波避難タワー が建っていました。3階まで登るのには階段とスロープの2つのルートがありました。命を守る重要な施設ですね。 全国を旅していて思うのは、海の近くの自治体は津波対策が結構しっかりしてきたなと感じます。


"海の駅とろむ"に寄ってみましたが、コロナウイルス感染対策で営業時間短縮のため まだ開いていませんでした。


第25番札所は津照寺で御本尊は地蔵菩薩です。本堂に行くには急な階段を上り詰めます。このお寺のご利益は海難防止とのことでした。私がお参りしていると 息を切らせながら階段を登ってきた人が、普段鍛えていないことを嘆いていました。自業自得ですが 寅さんではないですが、それを言っちゃ おしまいよ。


水田が広がる元集落の登山口から見上げると、尾根上に1本電柱が見えました。あそこが目指す金剛頂寺だろうと見当をつけました。登山道を上っていくとピンクのツツジの花が散っていました。


 金剛頂寺に到着すると 太子堂では20人ぐらいの方が、お籠りをして坊主を中心に念仏を唱えていました。中に入れない人もいましたが、気温が低くて震えているようで可哀想でした。


第26番札所は金剛頂寺で御本尊は薬師如来です。このお寺には天狗問答レリーフがあります。1粒の米を炊いたら1万粒になったという万倍の釜もあります。誰もが欲しがる釜ですね。😅


"道の駅キラメッセ室戸"に下山し、お昼ご飯にしようと考えていましたが、あいにく休みでした。ガビーン。仕方がないのでカフェオレで我慢しました。😂


お遍路さんとして歩いている理由は皆それぞれです。先立ってしまった妻への感謝と慰霊で歩いているお遍路さんもいました。大病が治ったのでその感謝の気持ちで歩いている人もいました。私のように日本一周てくてく一人旅の四国編という能天気な人はいませんね。


お遍路に向かった理由を相手が話し出すのは聞いても構いませんが、こちらからどうしてお遍路を歩いているの?と聞き出すのはタブーとされています。


午後からますます風が強くなり、海には三角波が立っています。今日の風速予報は17 mです。風速17 mを身体で受けると結構強烈ですし体温が奪われます。パタゴニアの暴力的な風も体験しましたが、室戸の風も海岸線には遮るものがないので結構強烈です。菅笠がガタガタ揺れて歩くのに大変不都合です。


ここあたりを歩いていると、枇杷の実に黄色い袋をかけたのが、たくさん見られます。大きな花が咲いたようです。


吉良川町は昔の格子戸の家や板塀の家などが非常に多い町です。今日の宿です 。自宅を遍路宿に改造したもので、喫茶店もやっていましたが、コロナ対策で喫茶店は休業していました。


庭には白とピンクのハナミズキが咲いていました。敷地内に蔵を改造したような建物がいっぱいあります。


風呂に入りましたが、風呂は檜の樽風呂でした。びっくりです。スーパー銭湯などで陶器の樽風呂に入るのは度々ありますが、檜の樽風呂は久しぶりです。


今日の宿泊者は4人ですが 、私はこの母屋に1人で宿泊です。奥の8畳の部屋が寝室で、その前の板の間でこの日記を書いています。
4月12日 天候 雨 気温 最高13℃  最低8℃

昨日の民宿の夕ご飯です。


刺し身はハマチ、タイ、サワラ、イカ、筍と昆布と蕗の煮物、キンメダイの煮付け、ハマアザミの白和え、天麩羅はシュンギクとキノコとイカ、赤イカ、すまし汁、お新香です。風呂上がりに瓶ビールを飲んでいたので、地酒土佐鶴の枡酒を3杯でした。料理の材料の野菜は自分の畑で作り、その他は地産地消でやっていると言ってました。ハマアザミを初めて食べました。美味かったです。


民宿は若夫婦とお母さんとおばあさんがやっていました 。ビックリしたのは、ここのおばあさんで大正10年生まれの99歳。カクシャクとして台所で料理を作っていました。 風呂上がりでビールを頼んだ時にちょっと耳が遠いかなと思いました。


私のスマートフォンは防水仕様ではないので、今回の旅に出る前に雨が降った場合に備えて、スマートフォン用の防水クリアケースを買ってきました。それを今日は試してみましたがイマイチでした。


土佐高知にある霊場は、第24番札所の最御崎寺(ほつみさきじ)から第39番札所の延光寺までの16ケ所です。札所の数は四国四県の中で最も少ないのですが、札所から札所までの距離が長いことから、"修行の道場"と呼ばれているようです。


風が徐々に強くなっていきました。幸いだったのは風は私の背中側から吹いて追い風でした。逆打ちの方に会いましたが、その方は雨と風を正面から受ける逆風だったため大変だと言ってました。


漁網が干してありました。網を洗うところを見ていましたが、クレーンで吊るした網に対して、消防自動車のような水圧をかけたホースで、ゴミを含めて洗い飛ばしていました。初めて見る作業でした。


廃校になった椎名小学校を再利用した"むろと廃校水族館"があったので寄ってみました。入館料は600円でした 。以前マスコミで取り上げられたこともあり、とても人気のある水族館ですが、知事の外出自粛要請のため、今日は日曜日なのですが見学者は3人でした。


教室が魚たちの展示会場になっていました。毒のあるゴンズイやミノカサゴあるはアカエイも泳いでいました 。


アカエイはお腹側から見ると結構ユーモラスな顔をしています。尻尾に毒針を持っています。


教室の中には色々なものが展示されていますが、アオウミガメの世話をしているスタッフに話を聞きました。アオウミガメはだいたい60年ぐらい生きられるようです。亀は万年ではないですね 。生息する地域と食べ物によって成長スピードが変わりますが、体長は大体120 cm 位になる場合もあるようです。


室戸ジオパーク丸山海岸サイトです。打ち寄せる波が昨日よりもかなり大きくなり、波がしぶきとなって砕け散っていました。


室戸岬に岬に近づくと、巨大な空海の白い像が立っています。私が思うには、このような巨大な像を作らなくても、空海は偉大だったと思いますし、大きなものを作れば作るほど、心は空虚になっていくと思います。空海はこのようなものを欲していなかったんじゃないかなと思いますね。


空海像の後ろに釈迦涅槃像がありました 。黄金色の涅槃像ですが、雨に打たれて野ざらしでした。これでいいのかなぁと思いました。


海蝕洞窟である御蔵洞は空海が厳しい修行の上に、空と海しかないと悟り、自らの名前を教海から空海と改めた修行の場です。大小2つの洞窟があり、向かって左側が大きな御蔵洞、右側が小さな神明窟です 。実際に入ってみると水滴がポタポタ落ち、中の空気は冷え込み身体がゾクゾクしました 。 その洞窟の中で岩の冷たさの上で座禅を組み 、何万回も真言を唱える修行の厳しさに想いを馳せました。


 第24番札所は最御崎寺で御本尊は虚空蔵菩薩です。お寺は室戸岬の突端にあります。第23番札所の薬王寺から途中で2泊し、第24番札所にやってきました。雨風がますます強くなっていきました。


4月9日に高知県知事から県民の皆様へという形で、新型コロナウイルスの拡大防止についてのお願い、が発出されました 。内容は 昼夜を問わず向こう2週間の不要不急の外出の自粛、および家族以外の人との会食の自粛、等の内容となっていました。一週間後に土佐市に住んでいる40年来の友人夫妻と会う予定でしたが、 友人に迷惑をかけるかもしれないし 、無理して会うこともないので 、 連絡を取り今回は中止することにしました。


友人夫妻と飲もうと持ってきた千葉県の地酒ですが、これは毎晩飲んで行くことにしました。😆


"この痛み この疲れこそ 有難きかな" という言葉があります。昨日は 33 km 歩きましたので、歩数計は 52712歩のカウントでした。旅館を6時45分に出発し、民宿に到着したのは16時30分でした。途中で お昼ご飯を摂り、1時間に5分程度の休みを取りましたが約10時間の行動でした。


今日の宿泊は最御崎寺の宿坊です。雨に打たれ 風に吹かれ身体が寒かったので、受付のおばさんは早めに中に入れてくれました。ありがたかったです。