八花庵のリレーコンテンツ

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八花庵メンバーが持ち回りで記事を書く。内容は、小説、コラム・エッセイ、詩、イラストなど。

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 思うに、大学の講義ほど何かに集中できる場所はないだろう。
 何かとは、もちろん講義そのものではない。あるいは私にとってそうであったなら私ももう少しマシな学生生活を送っていたのであろうが、いやはや空に浮かぶ月を欲しても仕方がない。
 ここで言う集中できる何か、否、敢えて集中すべき何かと言おう、集中すべき何かとは、講義内容や教授の話ではなく、自らの脳内でのみ深淵を極め得る崇高な思索や、すこぶる卑近でしかし優しい落書きなどのことである。おおよそ私以外にも、そのように講義を受けてしまう者も多いだろう。
 ここで多動症というものを紹介しよう。多動症とは正しくを「注意欠陥・多動性障害」という。その語が示すとおり、何か一つのことに注意を持続できなかったり、長時間じっとしていられないという症状を持つ発達障害である。発達障害というと物々しいが、あくまで傾向としてこの多動症に近い性格を有している人も多いのではなかろうか、という話である。かく言う私もそういった性格を持っている。
 そういった人間は、例えば平日の午前中に立ち寄った図書館などのような、完璧な静寂に弱いものである。なんとなく落ち着かない。物音が欲しい。ざわめいて素敵。整然よりも騒然。そういった人種は、私を含め少なからず存在する。この人種にとって、大学の講義ほど何かに集中できる場所はないだろう。
 ざわめきが欲しいならば野外で良いではないかと思われるかもしれないが、室内でする作業はそうもいかない。かといってファミレスやジャンクフード店では人の目が気になる。ざわめきを求める癖に人の目は気にするのかという叱責はごもっともだが、多動性の人間はわがままなものなのである。
 そこで、冒頭に始まる大学の講義に帰結するわけだ。
 大学の講義では聴講生は物音を立てなず、基本的には教授のみが話すわけであるから、そこにあるのはジャンクフード店やファミレスのような無闇な騒がしさではなく、多動性の欲求を満たしてくれる程度の音量、そして情報量と言えるだろう。まことに心地よい音楽であると言わざるを得ない。そして、基本的に聴講生徒らは授業内容に集中しているか、あるいは自らの脳内でのみ深淵を極め得る崇高な思索や、すこぶる卑近でしかし優しい落書きその他諸々に目を向けているだろうから、人の目を気にせず我が事のみに集中していられるという寸法である。
 大学の講義を利用すれば、普段は進捗ままならない仕事や自己啓発まで思いのまま。いくらでも自己を高められるのだろうが、しかし単位を取らなければ卒業はできない。教授や親の視線も痛い。したがって学生諸氏には用法、用量を守ってきちんと講義を空費していただきたい所存である。既に学生でなくなった方々には動画サイトなどでこのようなノイズ音源を探して利用するといいだろう。
 それでは、よき多動性ライフを。
 眼前に佇むは、一匹の狸である。
 河原である。三越さんは仕事の帰り、なんとなく河原に降りてぼんやりと考え事をしていた。そこに居合わせたのが、この毛玉であった。
 この狸、見た目は毛むくじゃらで愛嬌があるのだが、狸齢を考えると既にいい歳をしている。人間の年齢に換算すれば、三十路半ばといったところか。狸はごろごろと転がったり、虚空を見つめてみたり、なんとなく所在なさげな風をしている。
 珍しがって、三越さんは狸に向かって言った。
「遊ぼじゃないか」
 狸は答えない。三越さんがそろりのそりと近づいても一向に気にしていないようだ。そのまま抱きかかえると、狸は抵抗も見せずに三越さんの腕の中で丸まった。
 三越さんはそれから、狸を自宅に連れ帰り、餌を与えてみたり、そのふわふわの毛を無闇に撫で回したりなどした。狸は餌は食べたが、それ以外に三越さんに対しては反応らしい反応は見せなかった。動くぬいぐるみであるな、と三越さんはつぶやいた。三越さんは狸を気に入ったので、そのまま家に置いてやることにした。三越さんは独り暮らしなので、狸の一匹や二匹自宅に連れ帰っても、誰も文句を言う人はいないのである。しかし三越さんの住むハイツはペット不可の物件なので、大家に見つかった場合は大家が文句を言う人になる。三越さんは狸の寝床として洗濯かごにタオルケットを敷いて、そこに丸まった狸を置いた。狸は洗濯かごの中で所在なさげにしていた。
 様々な角度で見ても、それは全き狸であった。うむ間違いないと三越さんは一人頷いた。
 狸は、ただ丸々と毛むくじゃらであった。
 学校とは私にとってなんだったのか。この頃大学生活に身が入らず、色々とっ散らかっている為に、こんな疑問を抱くようになった。小学校から中学校へ、中学校から高校へ、更に今大学へと(どうにか)進んできた私は、いったい学校をどのように捉えていたのだろうか。

 数日前からの悩みは、つい先ほど氷解した。大学で真面目にやれない理由、行くことすら厭う理由、それは全て一つの事に起因していたのだ。
「大学は私の求めた場所ではなかった」、たったこの一言だけで言い表せる。
「私は大学を求めていなかった!」入学しといて今更なセリフだが、これは間違いない事だ。三種類の学校を卒業する原動力となったもの、「即ち私の求めていたもの」が、大学に入ってみると物凄く希薄で、あるいは全く無いと言っても良い時期もあったのだ。

 その原動力とは、「他者に認められる事」であった。なにも、私が「何をするにも他人の評価が気になって仕方がない人間」だという事ではない。いや、そういう面も無いではないが、私は「評価」という大仰なものではなく、ただ友人との語らいで良い反応が返ってきたり、「良い成績を取って家族や先生に褒められる」事で精神が上向くような、素直で安い人間だったのである。だがいま、大学にこれまでのような「精神が上向く機会」は少ない。知己も恩師も居らず、五指で足るほどの顔見知りしか居なかったここしばらくは、ただ自分にとって地獄でしかなかったのだ。
・・・・・・振り返れば、酷い言葉の群れである。受験を耐え、安くない金を払って入学し、一年経とうという時にこのような事を言い出す私は、間違いなく親不孝者である。そして何より苦しいのは、自責の念に対して開き直る事もできぬ臆病者である事だ。半端に、宙ぶらりんで、自刃する意気もなければ発起して努力する根性も無い。

今思えば、全く、おれは、おれの持っていたわずかばかりの才能を空費してしまった訳だ。
人生は何事かをも成さぬにはあまりに長いが、何事かを成すにはあまりに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦をいとう怠惰とが、おれのすべてだったのだ。
~山月記より抜粋~(中島敦)

私の山月記に惹かれたのは、語調の良さのためばかりではない。鋭く抉るように、私を照らし出したこの作品だから、私は降伏のような心持でこの作品に向き合っているのである。

私はいま、どんな外形をしているのだろうか。鏡を見れば私は辛うじて人であるようだが、私のなかの猛獣は既に目覚めているのではないだろうか。次に起きた時、私は人の形をしていないとしたらそれは果たして、不幸なのか、幸福なのか。