元カープの二軍監督の内田さん。
あっしの記憶によると、現役の時は日ハム(旧東映)からカープにトレードでこられ、主に代打の切り札として活躍されました。
引退後は、讀賣とカープでコーチなどをされとったはずです。
※あっしの記憶だけを頼りに書いとるので!間違いがあったらすんまそ。
【これぞプロ 内田さんの見抜く力】
打撃コーチとして讀賣に入団されたんですが、あの長嶋さんから手腕を買われてのことじゃったそうで。←なんで長嶋さんが内田さんの打撃理論をしったんじゃろ?接点が分からん?
打撃コーチとして、元カープの正田(左右両打ち初の首位打者)をはじめカープの若手(緒方や金本)を指導されたんじゃけど、一躍その手腕が野球界で広くみとめられたのが、赤ゴジラこと嶋選手を二軍から全く実績もないのに一軍に抜擢、しかもしかも首位打者にしたてあげた方なんですな。
←因みに赤ゴジラと命名したのは、懇意にさせてもろうとる野球ジャーナリストの田辺一球さんです。大野練習場などの取材にも何回か一緒に参加させてもろうとります。モデルの大井チサコさんも同席してたこともありやす。
顔見知りの大竹(寛)投手なんて、アレッ、このおっさん、なんで一緒におるん?て顔されたりしとりますわ(爆)
ただここでも余談の余談(笑)
カープ二軍に精通しとる人は、当時、嶋をなんで上に上げんのかという意見があったのも事実。首位打者になる前の2年くらいの間の嶋の打撃は、それはもう凄まじいものがあったなあ。素人目にもわかるほどの一軍レギュラー当確のレベルでした。
あっしもそう思った一人。
コレはコレで裏事情を聞くと、いろいろあるなあと思いやす。複雑な事情がね。
人間関係はムヅカシイなあ。
【鈴木誠也を紹介してもらう】
内田さんが二軍監督の時、鈴木誠也がカープに入団しとりやす。
翌年の春、由宇の練習日にのぞいたところ内田さんがあっしに気がついて、近づいてこられて、今年の高卒の新人を紹介しますわといって、練習途中だけど誠也達を呼んでくれやした。
高卒ルーキーのうち真っ先に来てくれたんが鈴木誠也。
彼が来るまでに、ドラ1じゃないんだけどコイツを覚えといて。とにかくコイツ将来のカープを背負って立つやつだからって。はち兵衞さん他の選手には内緒よって。
高卒野手は全部で三人いて、ドラ1はほかのTという選手だけど、内田さんはそう言って去られやした。
コレには内心???と思うたんじゃけど、あの内田さんがあそこまで言い切るなんてなあと思い気にかけてはおりました。
誠也はまだその時はショートを守っていて、その日は守備練習ばかりしてたんで打撃練習は見とらんのです。
どうやら、高校時代は投手なんでショートの経験はなし。従ってまず守備になれるのがいちばんの課題じゃったんで仕方ないですからね。
とにかく、この内田さんの言葉だけはよく覚えております。
あっしとしては打撃は見とらんし、どれほどの凄さはわからんかったんですが、その後の活躍は皆さんの方がよく知っとられると思いやす。
ただ体の線はまだ細かったですね。
そして、ドラ1のあの選手より誠也をと推された内田さんの眼力にさすがとしか言えないんであります。
誠也の練習量もすごかったらしいですな。
大野にある練習場、その敷地内に寮がありやす。
その寮は練習場の中といっても門限がちゃんとありやす。
そこの寮長がカープ初優勝のときの捕手の道原さんなんです。
この道原さん、あっしのバイト先のゴルフ場のお客さんで、顔はよく知ってるんで来場されたらいろんな話をしてもらうんです。
この道原さんいわく、門限の時間になってもまだマシン打撃をやめない若手がおって困るわ。
大目に見るのも限度があるんで、30分くらいで辞めさせるんじゃけどねって。
この選手が誰あろう誠也だったんです。
【誠也、鼻を低く描いてと注文】
前回のブログに載せたイラストに、本人にサインをしてもらいやした。
ここでも忘れられないことが。
サインをしてと言ったら、練習終わってからにしてもらえませんか、監督がまってるんで遅れるとまずいからと言うんです。←クソまじめな誠也。
そしたら球団職員のガ◯さんが、監督がしてあげろって言ったんだから大丈夫。なんかあったら俺が言ってやるからって誠也に言ってくれました。
それを聞いて誠也がイラストをじーと見るんです。
そして、自分は鼻は低いんですよ。コレより低く見えるようにしてもらえません?って。
普通は、高くしてってのがと思うんですが、低くしてくれって注文には、あっしの本音はちょっと複雑でしたね。
【内田さんとの馴れ初め】
じゃ何故内田さんと親しく話しできるようになったのか。
はっきりは覚えていないんじやけど、この画像の孫娘のカープドレスが、由宇で内田さんの目に留まった時かなあ?
可愛いねェ。
作ってもらったんですか?って聞かれたんで、実は球団のショップで買ったとへんじしたら、孫に女の子がおるんで着させてやりたいなあ、探してもらうわ。
など話したことがあるんです。
それから顔を覚えてもらい、あっしのニックネームも覚えてもらい、孫などを由宇に連れて行くと、特に孫に声をかけてもらえるようになりやした。
男の子には、野球やってるんて?大きくなったらカープに入りんさい。カープは足が速くないとだめよ。はやくなるには・・・のような練習するといいよ。って本気かどうか分からんような話をしてもらってました。
今思い出すのはコレくらいでありやす。
でも、あの時の誠也が今ではメジャーリーガーでんな。あっしが生で目にしたり、口聞いたりしたんは三人目でありやす。
黒田さん、前ケン、そして誠也。
うーん。
あっしの凄い経験というか財産というかですな。