坂本龍馬記念館企画展
龍馬より先に世界を夢見た男
「吉田東洋と開成館」展
2012.6.30-9.28
15枚のパネルで彼の一生を紹介しています。展示物はほぼ書簡、容堂や東洋の掛軸が数点。
地味といえば地味。
以下ネタバレだと思いますので閲覧注意です。
メモなしなので違うところがあったら本気でごめんなさい。
吉田家先祖は長曽我部家の家臣、つまり下士になるはずだった家系。
山内家から臣下の誘いがあったが本家長男は断り隠居、弟がそれを受けて山内家の馬廻役に。
(山内家紹介割愛)
東洋は容堂に抜擢される。
他藩との飲みの席で酒に酔った松下嘉弁衛に頭を叩かれて怒り、頭を叩かれて黙って下を向いているような人間では容堂公に顔向けが出来ない、と頭を殴ってしまう。
土佐藩は東洋に与えなければならない状況になり、高知城下四村に近付くことはならぬということで山を越えた長浜でチッ居生活を始める。
後藤象二郎を始め東洋を慕うものが通うようになり鶴田塾を開く。
世間からその塾生たちは新おこぜ組と蔑称されていた。明治維新後に活躍したものが多く岩崎弥太郎もその一人。
ジョン万次郎に興味を持つがチッ居中の身ゆえ、使いをやって記録を取っている。
東洋の政策
○法を整備すべき、ただし整備するだけではなく、使う側も優秀でなければならない。
東洋自ら編纂した海南政典は完成したものの暗殺され施行されることはなかった。
○当時の土佐は身分制度が細分化して煩雑になっていた。身分制度に拘らず優秀な人材はどんどん取り立てる。
白札は上士とする予定だった。皮肉なことに白札であった武市に暗殺されて叶わず。
○下士と上士が同じ学問を受けられる場所がないといけない、と塾を作りようやく開校。しかし3日後に暗殺。
東洋の博学エピソード
土佐藩で代々学者の家系だった谷干城(たに たてき)が(熊本城籠城で有名だそうで熊本城に銅像がある)
若いながらも塾頭として東洋に抜擢された。
しかし初日に塾生が谷を困らせようとして難解だと言われる漢詩を取り出し、読んでみろと言う。
谷は読んだこともない難しい漢詩に困り果てていると、東洋が出てきてスラスラと読み上げ、この漢詩は私の歳でもやっと読めるようなものだ。もっと優しい言葉で書いてあって、ためになる書物はいくらでもある、そちらを読めと言った。
2に続く。(今日は多分無理ですが)
龍馬より先に世界を夢見た男
「吉田東洋と開成館」展
2012.6.30-9.28
15枚のパネルで彼の一生を紹介しています。展示物はほぼ書簡、容堂や東洋の掛軸が数点。
地味といえば地味。
以下ネタバレだと思いますので閲覧注意です。
メモなしなので違うところがあったら本気でごめんなさい。
吉田家先祖は長曽我部家の家臣、つまり下士になるはずだった家系。
山内家から臣下の誘いがあったが本家長男は断り隠居、弟がそれを受けて山内家の馬廻役に。
(山内家紹介割愛)
東洋は容堂に抜擢される。
他藩との飲みの席で酒に酔った松下嘉弁衛に頭を叩かれて怒り、頭を叩かれて黙って下を向いているような人間では容堂公に顔向けが出来ない、と頭を殴ってしまう。
土佐藩は東洋に与えなければならない状況になり、高知城下四村に近付くことはならぬということで山を越えた長浜でチッ居生活を始める。
後藤象二郎を始め東洋を慕うものが通うようになり鶴田塾を開く。
世間からその塾生たちは新おこぜ組と蔑称されていた。明治維新後に活躍したものが多く岩崎弥太郎もその一人。
ジョン万次郎に興味を持つがチッ居中の身ゆえ、使いをやって記録を取っている。
東洋の政策
○法を整備すべき、ただし整備するだけではなく、使う側も優秀でなければならない。
東洋自ら編纂した海南政典は完成したものの暗殺され施行されることはなかった。
○当時の土佐は身分制度が細分化して煩雑になっていた。身分制度に拘らず優秀な人材はどんどん取り立てる。
白札は上士とする予定だった。皮肉なことに白札であった武市に暗殺されて叶わず。
○下士と上士が同じ学問を受けられる場所がないといけない、と塾を作りようやく開校。しかし3日後に暗殺。
東洋の博学エピソード
土佐藩で代々学者の家系だった谷干城(たに たてき)が(熊本城籠城で有名だそうで熊本城に銅像がある)
若いながらも塾頭として東洋に抜擢された。
しかし初日に塾生が谷を困らせようとして難解だと言われる漢詩を取り出し、読んでみろと言う。
谷は読んだこともない難しい漢詩に困り果てていると、東洋が出てきてスラスラと読み上げ、この漢詩は私の歳でもやっと読めるようなものだ。もっと優しい言葉で書いてあって、ためになる書物はいくらでもある、そちらを読めと言った。
2に続く。(今日は多分無理ですが)