運動会があった。ボクは体育主任なので職員を動かす立場にあった。
毎年、運動会シーズンでモメにモメることがある。応援合戦で「教員の手を加えるかどうか」だ。もちろん、子ども主体で出来上がれば、それに越したことはない。
だが子どもたちは、1~5年を動かす経験もなければ、パフォーマンス時間5分の構成をしたこともない。ダンスなんてこの田舎ではまだ浸透していない。かなりのムリゲーである。ワンチャンもない。
さあ、今年もとんでもなく問題ありありなアイデアが示された。先生陣は苦笑いすら出せない(笑)。否定して応援合戦の成功を取るか、肯定して地獄をともにするかの選択である。
ボクはこの辺の塩梅がうまい。絶妙に「肯定してるような否定」ができる。体育の専門でもあるから、ここはお手の物。だけど、みんながみんなそうではない。しっかりめの否定をして、6年生と校長先生を怒らせた先生もいた。
「誰の運動会なんですか?子どもたちのでしょう」と。管理職や親や地域の方々はそう言う。ただ、彼らは一切の責任を負わないという点で、色の担当教員とは立場がちがう。つまり、応援合戦の成功も求めつつ、子ども主体を強いる王様政治を展開している。
時代の流れ的に「子ども主体」ってなってるけど、ボクはその考えがキライ。主体なんて『能力のある方が担うもの』だからだ。
子どもを侮らないでほしい。本気でやりたいなら、ボクら先生程度のアイデアをとうに超えてくる。我々をキレイに負かしにかかる。「そろそろ本気を出さないと、みんなに負ける。そんな年齢になったね。」と、4年生1学期に伝えた。そのくらいの力が彼らにはある。
しょーもない子どもじみたアイデアでも、主体になれる経験なんてまったく価値がない。むしろ害である。社会はそんな甘くない。教育実習生の授業案を破り捨てる指導教官もいたもんだ。今の子らは、その理不尽で一発で夢を諦めるようになってしまう。
99回のアイデアが実を結ばない世界で、批判を恐れず100回目を出せるかが鍵となる未来。ささいなダメ出しくらいで折れてもらっては困る。
結論、教員はとことん子どもたちと向き合い、先生の手を加えるべきだ。ただ、モチベーションを下げるだけのオツボネには関わらせないようにする配慮は大切に。