1789年。とある初夏の1日の、オスカル・フランソワさまのモノローグ。
(※『☆新たなる地獄への旅立ち』シリーズと対(ツイン)をなしております)
ちなみに、大昔、6月にパリに行った時、夜10時頃でも明るくてビックリして
しまったのが、文中の時刻と明るさの表現の元となっております。
記憶違いでしたらお目こぼしくださいませ。
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今日は19時少し過ぎに退勤することができた。
これは、ふたりして大車輪で書類処理に励んだ成果だ。
普段は22時前後になるのも稀ではないのだから。
ダグー大佐に手伝ってもらうことも考えたが、彼には彼の仕事があり、
私事都合がかなり絡んだ〝急ぎ処理〟なので、大佐を巻き込むのは
良心が咎めて断念した。
いつもならアイツが室内の最終確認をして最後に司令官室を出るが、
今日は馬車を引き出すために先に出て行ったので、わたしが最終退室した。
退室時の最終確認について、アヤツの事細かな指示に辟易したが、
雑務だろうとなんだろうと、わたしの抜け漏れのない手腕を、明日の朝
入室した時に思い知るがよい。
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馬車の戸口まで来て、わたしは唖然とした。
「なんだこれは!」
馬車の中からわたしを振り仰いだおまえがクスクス笑いながら答えてきた。
「かなり狭い仮眠室」
馬車の中は、なんと、前向き座席と床がクッションで埋め尽くされている
ではないか!
「おまえ、アタマ大丈夫か?」
「まとも至極。すこぶる理にかなった措置だ」
床のクッションの上に座って、座席のクッションをパンパンと膨らませ
ながら、〝やれやれ、わからんのか?〟と言いたげな顔。
わたしはまだ口アングリ。
「今夜は何時にベッドに入れるかわからないだろ?
だから、横になれる所で少しでも体を楽にして眠っておけ」
あ…そうか。屋敷でのおまえの仕事次第で、何時にばらの植え込みに
行けるのかわからないものな...
つまり、そのおまえの発言から導き出される論理的帰結として、
始まりが遅い時刻でも適当なところでさっさと切り上げるつもりはない…
ということだな、ふふ。
つい、ニンマリしてしまった。
「あ... だが、おまえが屋敷の仕事をしている間、わたしは休めるのに
おまえは...」
「気にするな。ただの体力仕事だし慣れてる。
隊長のおまえにかかる重圧や気苦労疲れは そんなのとはワケが違うからな。
......よし、準備できた」
おまえは、馬車からストンと飛び降り、踏み台を置いて、例によって、
乗車介助の掌を差し出してくれた。
「立たせっぱなしですまなかったな」
「で、床のクッションは、もし落ちてしまった場合の緩衝用というわけか」
おまえの掌に手を預けながら、あいかわらずの用意周到さに嘆息する。
「ご明察。いつなんどき、急停車の必要があるかわからないからな」
おまえが一緒に乗っていてくれれば、絶対に受け止めてくれるから、
床に落ちるなんてありえないのだがな...
そんなことを思いながら馬車に乗り込み、
床のクッションの柔らかさが靴底に触れた時。
自分にもわからない衝動に駆られ、
わたしは踏み台を蹴り飛ばして、おまえの手をぎゅっと掴み、
くずおれるように座席に沈み込みながら、おまえを間近に引っ張り寄せた。
「メルシ…アンドレ」
長い指に唇を押し当てた。
突然わたしに引っ張られてよろめいたおまえは、咄嗟に戸口の桟を掴んで、
呆然としている。
わたしも自分のしたことに呆然としている。
気づくと、おまえが、握り合った手を反転させて、
かすかに震える指先でわたしの唇に触れていた。
わわわっ! 何をしているのだ、わたしたちは!!
ふたり同時にパッと手を放して、おまえは踏み台を拾いに駆け出した。
踏み台をかかえて御者台に向かって走りながら、背中を向けたまま、
おまえは叫んできた。
「ブ、ブーツは脱いで寝ろよっ」
素直にブーツを脱ぎ、足をたたんで、クッションの敷き詰められた座席
に横になった。
ふと窓に目をやると、朝と同様、カーテンが隙間なく閉められている。
初夏ともなれば、22時前頃まで、昼間と変わらないほど明るいからだ。
「メルシ…アンドレ」 もう一度つぶやいた。
今朝は鳩尾、家路につく今は唇...
おまえの感触に包まれて、胸が早鐘を打ってうずいている。
馬車がゆっくりと動きだした。
おまえが作ってくれたゆりかごにそっと揺られながら、
わたしは満ち足りた夢の中に入っていった。