オスカル・フランソワさまのモノローグ。

(※『☆新たなる地獄への旅立ち』シリーズと対(ツイン)をなしております)

 

『☆新たなる地獄への旅立ち』当日の朝。

 

 

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今日、〝ばらを見に行こう〟とアイツに言おう。
詰襟をクイッと締めて臨戦態勢を整え、部屋を出ようとして...
もう一度戻って、鏡を覗き込んだ。

 

強い酒のガブ飲みをやめたから、顔色もそこそこ良い。
目の下に隈もない。
髪は、先程、ばあやの部屋に行って、しっかり梳いてもらったから、
ハネも結構落ち着いている。
途中でおまえが入って来て、
「おっ、きれいに梳けてるじゃないか」と軽口に紛らしながらも、
まぶしそうに見つめてきたので、嬉しくてドギマギしてしまった。
...なのにっ!

わたしがばあやの部屋を出る時についてきて、ドアを開けながら、
「おまえさあ、すぐまたハネてくるんだから、労多くして益少ない
ことで、弱っているおばあちゃんの手を煩わせないでくれよお」
なんぞとコソコソ気弱な小声で言いおったから、足を踏んづけて

出て来てやった。
 

ばあやはわたしの髪を梳く時とても幸せそうにしてくれるのだから、
これは、ばあや孝行のひとつなのだ。
そんなことがばあやに聞こえたら、足を踏まれるくらいでは済まんぞ。
わたしなればこそ…のやさしい制裁をありがたく思え!


...なんだか本末転倒なことをしたような気がするが、

済んでしまったことは致し方ない。

 

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庭に出ると、おまえがひとりでシャキシャキ馬車の支度をしていた。
「御者はまだ出てきていないのか?」そう問うと、なんと、
「今朝は男手が足りないから、おれが御して行く」と答えてきた!
ええっ! では、わたしはひとりぼっちで馬車の中…なのか...
馬車の中で〝ばらを見に行こう〟と言おうと思っていたのに。

急速に気持ちがしぼんでしまった。

 

「往復とも馬車の中はおまえひとりだから、気兼ねなくひと眠りできるぞ。
いびきをかいても大丈夫だ」
「わたしはいびきなどかかん!」筈だ...
まさか、わたしはおまえの前でいつもそんなことを...?
わたしが少し泣きそうになっているのに、
「へーーーぇ、そうかな?」
などと抜かすので、もうヤケッパチになって蹴りを入れてやった。
……が、コイツはそれをヒョイとかわし、
踏み台の脇からスッと上向きの掌を差し出してきた。

 

〝女子供ではないのだから乗降の介助など要らん〟と何百回言ったか
知れないが、頑固にやめない。
おまえはクックッともれる笑いを嚙み殺しながら、
しつこく何百回も同じ返事をしてくる。
≪お嬢さま≫が足を踏み外してケガでもしたら、おれがおばあちゃん
のお仕置きで十倍のケガをする羽目になるから、イヤでも我慢してくれ〟


≪お嬢さま≫を強調するな!


大喧嘩した後でも、仏頂面でそっぽを向いて掌を差し出してくる。
あの翌日ですら、俯いたままで掌を差し出してきた...

 

そんなことを思い出しながらおまえの掌に手を預けると...
あ……。 なつかしくて…あたたかい。
なぜか胸がズキンとして、足元がふらついてしまい、
踏み台のヘリにつま先をぶつけて前のめりにつんのめってしまった。

 

「うわっ!」 「あぶない!」 ふたり同時に叫んで、
軽く触れていた手を、ふたり同時に がしっと握り合い、
わたしは咄嗟に左手で馬車の戸口の桟を掴み、
おまえがわたしの鳩尾に左腕をまわしてグッと抱き留めた。

 

なっ、なっ、なっ、なんだコレ! しっ、しっ、心臓がバクバクする!!

 

わたしが戸口の桟をしっかり掴んでいるのを確かめると、
おまえはさっと腕を解いて、
「何やってんだ、おまえ!」とめずらしく怒鳴ってきた。
 

知らんっ! なんなのだ、このクソ三文小説のような状況は!

 

心臓のバクバクを気取られぬよう、わたしが中の座席に腰を落ち着けると、
笑っているとも泣いているともつかぬ、おまえの声が聞こえてきた。
「手を放せ。つま先を見てやるから」
ふと見ると、なんと、わたしはまだおまえの手を握っているではないか!
慌てて手を離した。

温もりが消えてしまった...

 

「痛むか? 突き指をしたような感じはあるか?」
つま先をそっと押しながら聞いてくる。
「なっ無い。なんともないから平気だ」
「ん…そうか。けど、痛んできたらすぐ言うんだぞ」
ああ… おまえ、どこからそんな胸に沁みる声が出てくるのだ...
「うん…」と素直に頷いた。

 

あ…おまえがつま先から手を放そうとしている...
わたしは聞かずにいられなかった。
「あ、あの…わたしはいびきをかくの…か?」
「さあ、おれは聞いたことがない。スースー寝息を立てているのは
子供みたいにかわいいけどな」
こんのやろう! 今日はもう口をきいてやらん!!
...だけど、〝かわいい〟と言ったよな、確か。
それなら、特別にプラスマイナスゼロにしてやってもいい。

 

馬車の扉が閉められ、わたしは箱の中でひとりになった。
おまえの腕の感触がよみがえってきて、抱き留められた鳩尾から、
あのうずくような感覚が体中に広がっていく。
おまえの腕…衣服越しに見た感じではやたら長いだけで細っこいのに、

実際は頑丈で強靭だ。ついでに言えば、筋肉の動きが実にしなやかだ。

...そうだ、わたしはそれをよく知っている。

軽々とわたしを抱え上げて運ぶことができるし、苦しいほどきつく固く、

それでいてわたしの躰の形にぴたりと吸いつくように抱きすくめることが

できる。

 

...ばっ、ばか! 何を考えているのだ、わたしは!

 

あ…あ、だけど...
あの腕の感触が消えてしまうのがさびしくて自分の手を鳩尾に押し当てる。
溜息をついて座席の背にもたれ───
おまえがくれる ゆるやかな揺れの中で、わたしは眠りに落ちていった。

 

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トントンと頭の脇をつつかれ、何度か瞬きをするうちに、馬車の戸口で

すまなそうな顔をしているおまえに焦点が合ってきた。

わたしがどうにか目覚めたのを見計らったように声をかけてくる。
「気の毒だが兵舎に着いてしまった。降りて、伸びでもしてシャッキリしろ」

 

しかし、だ!

これ見よがしに介助の掌を差し出しながら、余計なひと言がくっついてくる

のが、コイツ、まことに以て小憎たらしい。

「降りる時は踏み外さないでくれよな。≪お嬢さまのお美しいお顔≫を地面に

打ちつけでもしたら、お・れ・が、おばあちゃんに縛り首にされちまうんだから」

 

「ふん、≪軍人の顔≫に傷の一つや二つあって何が悪い!

そもそも、先程のことは百年に一度の珍事だ。このわたしに限って、金輪際、

あんな失態は起こり得ん」

 

...だけど。

万が一、万々が一、万々々が一の時は、きっとまた、おまえが抱き留めてくれ

るのだろう? と、チラとおまえを見たら、おまえの目も同じことを語っている。

 

...が、おまえは、思いもかけなかったことばを返してきて、わたしを著しく

赤面させた。

 

「ほーお。百年に一度の珍事、ねぇ…。 ま、そういうことにしておこう。
だけど。万が一、万々が一、万々々が一、おまえが踏み外した時にどうにも

止められなかったら、おれが先に地面に転がって、ケガさせないように受け

止めるさ」

 

 

...ということは、ということは......

おっ、おまえの躰の上に…わたしの躰が転がり落ちて全身が重なり合って……

わたしの躰が地面に触れないよう、その腕がしっかりと包み込んで守ってくれて…

 

 

...いっ、いかん!💦

また……しっ、しっ、心臓がバクバクして止まらないっっ!!

 

 

 

 

✿『開花への新たなる旅立ち③ ≪グランディエ氏の超読心力も時にはハズれる≫』

に続きます≫