お正月に実家に行った時の話。
父と母が居ない初めてのお正月。
母のおせち料理がないことも
出迎えてくれないことも切なかったのだけれど
母の愛を感じた出来事がありました。
父と母が亡くなり1年経ってない事から
初詣は私も姉も行くのはやめていました。
長女と姪は 懐かしの神社に行きたいと2人で
行きました。
そこは思い出のある実家の近くの神社で
お祭りもあり 幼少期はとても賑わっていましたが
少子化で どんどんお祭りも賑わいは失ってきている感じ。
田舎はどこもそうかも知れませんね
母はよくそこに行っていました。
高台にある為 かなりの階段で 行くだけで
結構しんどいかも!!の場所なのだけれど。
足がぷるぷるくる感じ
帰ってきてから長女が写真を見せてくれました。
神社によくある記帳するノート。
立派のが備え付けてあるのだけれど
先ほども書いたように どんどんお参りする人も減り
その記帳も数年前から同じ記帳のが引き継き
使われているようでした。
そこに書いてあったのは
私の名前と母の名前が毎日。
日付を見ると次女が心肺停止からの帰ってきてくれて半年間 意識は戻らなかったものの
人工呼吸器を借りながら一生懸命生きていてくれた時でした。
母が願掛けをして毎日 通ってくれていたことは
母から聞いていました。
しかし、その時は 私も次女のことに必死で
「ありがとう!」と母にお礼は伝えていましたが
そんなに話題に出すこともありませんでした。
でも母は毎日 行ってくれていた
暑い日も 寒い時期も
毎日 毎日 通ってくれていたんです
あのしんどい階段を上がり
お参りできない私の名前と母の名前を
毎日記帳してくれていた。
そして私の名前の所に 時々
『お願いします』と書かれてあった
その文字から母の必死さも愛情も
伝わってきました。
毎日毎日 次女の回復を
必死でお願いしてくれていたのだと思うと
もう涙腺崩壊でした。
今もこれを書きながらやはり涙は出てきます
母の愛に触れて
長女の撮って来てくれた写真数枚が
私の宝物に増えました。
必死で次女の回復を祈ってくれていた母
残念ながら 次女は亡くなってしまった。
そして 母も。
今は再会しているから
その時の話もしているのかな
『ばぁちゃんなぁ 次女が元気になるように
毎日 ◯◯さん(神社の名称)に
お参りに行ってたんよ
)』 って。
うちの母は 天然だし
それだけなら可愛い!で終わるんだけど
何も考えずに思ったことをそのまま喋るから
その言葉のチョイスがこれまた どストレートで
何度も何度も傷付き
何度も何度も泣かされ 悩んんだり 怒ったりもしてきたけれど……
こういう所で母の愛を感じ
涙が出てきてしまいます
写真載せたいけど 実名だから載せられない
宝物がまたひとつ増えたような気がしました。
今日も読んでいただき ありがとうございました
