自分が人生で初めて活動したバンド『それでも、まだやり直したい』は

 2020年3月31日をもって解散した。

 丁度、世の中はコロナ禍に突入したての頃である。

 

 「バンドも解散したし、自分の時間ができたから自由にベースの練習しよかな~」

 ぐらいに考えていた。

 が、人と音を合わせる機会が無くなると、意識の高くない自分はまぁ~練習なんてしなくなる。

 

 その年のGWは外出規制されていたこと(を言い訳にしていた)もあり、

 本業以外の時間は、とにかくふらふらとしていた。

 2020年6月17日。
 鬱屈とした日々のなか、突然インスタのDMが来た。

 THE JASON BLUE-RAYのボーカルSHOWからである。

 「ちょっと話したいことがあるのですが、LINE交換お願い出来ますか?」


 THE JASON BLUE-RAYは、それ以前からライブハウスで同じイベントに出ていたこともあり、

 SHOWとはブルーハーツの話で意気投合していたけれど、まさか連絡が来るとは思ってもみなかった。

 

 後日、浜松の居酒屋でサシ飲みした。

 THE JASON BLUE-RAYでベースを弾いて欲しい、という誘いだった。

 それはもう熱烈にオファーしてくれたのを覚えている。

 (3軒くらいハシゴして、終盤は酔っ払ってたからSHOW本人は覚えているかわからないけど)


 ライブハウスで初めて出会ってから、このバンド好きだ!と直感的に思っていた。

 だからとてもありがたかったし、快くOKした。

 サシ飲みしたその場で音源を渡され、翌月にはスタジオで音合わせしていた。

 

 バンドはまだ2つしか経験していないけど、初めて音合わせする瞬間が一番緊張する。

 というか恐怖の時間だ。音源を聴きつつ、久々にまともに練習してきていても不安が拭えない。

 でもその不安はすぐ解消された。

 

 やっぱりバンドやるのって楽しいんよな。

 

 THE JASON BLUE-RAYに加入してからは色んなライブを演る機会に恵まれた。

 その中でも特に印象に残ってるのは、加入してからの初ライブの日のこと。

 ご時世がご時世だったこともあり無観客ライブだった。

 しかも8月の猛暑の時期にもかかわらず、感染拡大防止のために目の前には透明な

 ビニールカーテンが張られた中で演奏しなきゃいけなくて、とにかく汗だくになった(笑)

 その日は2度とないシチュエーションなだけに、よく印象に残っているし楽しかった。  

 ボーカルのSHOWと酒を飲みながら、こんな話題を振られたことがある。

 「好きなバンドをTOP5をランキングするなら、何を選ぶ?」

 

 好きなバンドがいっぱいある中で、ブルーハーツが1番!

 と言いたいところではあるが、本気で答えると順位付けなんて出来ない。

 

 母親に勧められたところからスタートして、ときに苦しい時期に励まされたり、

 ブルーハーツきっかけでバンドを組む、なんてことが起こったり。

 ブルーハーツに出会っていなければ自分の人生は成立しなかったんじゃないか、と思うことすらある。

 

 だから敢えて順位をつけるとしたら、0番と答える。

 そのくらい自分にとって原点であり、特別な存在だから。

 

 

 

 

 …以上、カラオケ好きの野球部員がバンドをやるようになるまでの自己紹介でした!

 

 

 

 

 ~ 一旦、完 ~

 

 

 

 

 浜松に引越してから、自分の中で新しい歯車が回り初めた。

 楽器屋でベースを買うなんて、それまでの自分では想像できなかったことだ。

 初めの1~2ヶ月くらいは生音で弾いて、自宅用アンプを買って弾いたときに、

 やっとエレキベースの音になったのが楽しくて、アンプに繋いでひとりで弾く

 日々が続いた。

 が、ベースあるあるなのか自分が飽きっぽいのかわからないけど、ひとりでベース

 を弾き続けるのって、限界が来るのが早い。

 そろそろ誰かと組めたらいいなと思っていた時期に、某ライブハウスのイベント(というか飲み会)にて、歳の近いお兄さんと仲良くなった。

 話を聞いてみると、趣味でバンドをやってて、パートはギターで、丁度ベースの

 メンバーが抜けたところだという。

 「俺、今年からベース始めたので入れてもらいたいです!」

 「お、いいよ~」 

 二つ返事で了承してくれた。

 初めてスタジオに入ったときは感動した。

 人と音を合わせるのは、ひとりで弾くより100倍楽しい。

 バンド名は『それでも、まだやり直したい』。

 コピー曲とオリジナル曲が入り混じったバンドだった。

 好きな音楽のジャンルは正直全員違ったし、よくバンドになってたなと今にして

 思うけれど、だからこその面白さもあった。

 約2年ちょいの間でライブできたのは5回だったけど、楽器を始めたばかりの自分に

 は運もタイミングも良く、すごく貴重な時間で楽しく音楽をやることができた。

 

 一方で、活動を続ける中でメンバー各々の目標の違いにみんなが気づいてしまう。

 それがきっかけで、メンバー同士で話し合い解散することを選択した。

 

 ~ つづく ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 就職してから、仲のいい同期2人としょっちゅうつるんでた。

 長期休みには四国まで旅行に行ったり、同期の住んでるマンションで飲み食いして

 寝泊まりする程の仲だった。

 

 その内の一人が、社会人バンドをやっているという話をしてくれて、

 泊めてくれたマンションでエレキギターを弾いてくれた。

 

 同期が弾くエレキギターは上手かった。

 

 いろいろ弾いてくれたので全ては覚えていないけど、けいおん!!のOP曲を弾いて

 いたのだけは記憶している。

 当時は全く知識がない状態で聴いてたけど、生音であの上手さなら、是非アンプを 

 通した音も聴きいてみたいなと今でも思う。

 

 楽器できる人に憧れる。

 

 が、憧れるだけで終わってた。

 

 そこから数年後、仕事上がりのコンビニに立ち寄ったとき、布袋さんのライブ

 ポスターが貼ってあるのを見つけた。

 

 布袋さんが高々と脚を上げているポスター。

 行ってみよっか。

 ポスターのインパクトにそそられて、チケットを取ることに成功し、

 その翌月に静岡市民会館まで参戦してきた。

 

 衝撃だった。

 

 ギターの技術は言うまでないけど、それ以上にステージ上を縦横無尽に動きながら 

 演奏する姿に没頭していた。

 

 その日のライブMCがとても印象に残っている。

 「皆さんは夢を見ていますか?俺の夢はワールドツアー!」

 布袋さんが当時50代なのは、なんとなく知ってた。ヒット曲も数多く出しているし

 もう満足していんだろうな、と恥ずかしながら思っていた。

 そんな布袋さんでも、夢を追い続けている。心に残る言葉だった。
 

 その日を境に、自分の中で布袋さんブームが始まった。元々BOØWYを聴いてた

 こともあって、思った以上にハマり、CDやライブDVDを買っては自宅で鑑賞する

 日々だった。

 

 やっぱり、楽器できる人に憧れる。

 

 布袋さんブームによって、自分の奥底に眠っていた感情が再び目を覚ました。

 けどギターにはトラウマがあった。

 実家にいた頃、父親から借りたアコギを時々弾いていて、簡単なコードは知って

 いる、くらいには弾いていた(Fも音出せてた!)のだが、初めて自分で弦交換して

 から一週間足らずで弦を切ってしまったことがあり、バチンと跳ねた弦の先で指を 

 切った瞬間に気持ちも切れ… それきり全く弾いてなかった。

 

 でも、何かやってみたい。

 

 気が付いたら、自宅から徒歩圏内のとある楽器屋に足が向いていた。

 中古のベースが売ってある。

 “ ギターは挫折したけど、ベースならできるかも ” 

 自分の直感を信じ、勢いで購入。18,000円だった。

 当時のレシートは今も保管している。

 2017年1月7日。もうひとりの自分の誕生日だと思っている。

 

 持ち帰って早速弾いてみるも、アンプが無いと全然音が出ないことに気付く。

 エレキベースは生音だとより聴こえない。

 それでも楽しくて、しばらくの間はひたすら生音で弾き続けたのであった。

 

 

 ~ つづく ~

 

 中学校を卒業してから、地元の高専に入学した。

 

 高専ってマイナーな世界だと今でも思っているけど、近年では某アニメの登場人物達がで呪術を学ぶ高専に在学しているのもあって、少しは知名度上がったんじゃないかな?

(もちろん呪術は学んでいません)

 

 高専でも野球部だった。

 バントは割と決めてた気がする。それ以外取り柄の無い選手だったけど、より野球というスポーツを好きになれて良かったし、現在の自分の基礎を作ってくれたと思っている。

 

 グラウンドのそばには軽音部の部室があった。

 防音なんてされてないから、音漏れがドゥンドゥン聞こえてくる環境のなか練習に励んでいた。

 野球部の先輩で、軽音部と兼部している人がいた(そんな二刀流ある⁉)のもあり、興味関心はあった。けどギター持たないでボーカルしかできないか、と思っていた。今思えば甲本ヒロトだってピンボーカルだし、そういうバンドは世にいくらでもあるんだけど、”何かしら楽器やってないと軽音部に入れない”という固定観念があった。

 そんなわけで、軽音部に関わることは無かった。

 

 学校の近くにGEOが出来てからは、CDを借りることが多くなった。自分の足で借りに行けることが嬉しかった。「よくわからないからとりあえずベストアルバム借りよう」が基本スタンス。

BOØWY、ハイロウズ、ウルフルズ、米米CLUB、JUDY AND MARY、スピッツ、Mr.Children、QUEEN、Deep Purple …

この辺りをひと通り聴いていた。

 カラオケに行くのは相変わらず好きだったから、レパートリーも増えて一石二鳥、という感じだった。

 

 そんな学生時代が終わり、就職を機に地元を出た。生まれも育ちも明石だったし名残惜しかったのが本音。頼んでもないのに実家前まで来て送りだしてくれた地元の友達には感謝している。

 でも、新しい場所に出たいという思いが勝った。

 それで良かったと思う。

 

 自分の人生を変化させるきっかけになったから。

 

 ~ つづく ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部活に明け暮れる毎日だった中学時代の合間に、友達とカラオケに行くのが

 束の間の楽しみだった。

 野球部員をやっていると、文字通り喉が枯れるまで声出しするので、我ながらカラオケで歌うときは

 声量に自信があった。(今は全くない)

 

 大抵、1曲目に入れるのは「リンダ リンダ」だった。発声練習に丁度良い。

 

 歌うのはロックに限らず、J-POPも歌ったりしていた。

 母親が槇原敬之を聴いてた影響もあると思う。片や父親はジャズを聴く人だったこともあり、

 ジャンル問わず聴くタイプだと、自分では思っている。

 

 因みに初めて買ったCDはスキマスイッチの「夕風ブレンド」というアルバムだった。

 祖母の家に遊びに行った帰りに、母親の運転で近所のジャスコ(!)に寄った際にお小遣いで買ったものだ。

 

 今でも時々聴く。CD屋のポップには「ハズレ曲ありません!」的なことが書かれていた記憶がある。

 (今思うと雑な褒め方な気もするが…)

 当時の高校野球のテーマソングや映画の主題歌も収録されていたけど、この時初めてアルバム曲に出会う

 楽しさに出会えた。

 

 狙って買った訳ではなかったが、初回限定盤だったので特典DVDがセットになっていた。

 DVDの中で、アルバムのレコーディング映像が収録されている。

 初めて見るレコーディング風景は新鮮で、同じフレーズを何回も練りに練って収録しているのを見て

 「こんなに苦労して作っているんだ」と衝撃を受けた。

 レコーディング終了後にボーカルの大橋卓弥が涙を流していたことも印象的だった。

 

 以来、スキマスイッチも聴くようになっていった。

 インタビュー記事を読む中で、ピアノの常田真太郎が高校生からピアノを始めたことを知った。

 「高校生から始めてプロになれるんだ」と驚いたことを覚えている。

 

 実家にアップライトピアノがあり、母親と妹は弾けたが、自分は全く弾けなかった。

 というか、母親によると興味を示さなかった、らしい。

 (今でも五線譜は見るだけで嫌になるから、合わないのだと思う)

 

 その頃の自分は楽器に縁がなかったけど、常田真太郎のエピソードを知ってから、心のどこかで

 「楽器を演奏すること」に憧れるようになったのかもしれない。

 

 ~ つづく ~

 

 

 

 

 

 

 中学校に入学してから、野球部に入部を決めた。

 

 実は他の部活も見学していたけど、小4から始めたソフトボールの経験を

 無にしたくない、というのが大きかったかな。

 

 部活をやってて得たものは、野球部の仲間と楽しい時間を過ごせたこと。

 今でも時々会ってる仲間もいるくらいで、間違いなく自分の財産だと思ってる。

 

 一方で、部活をやる中でしんどいことや理不尽なことも多々あった。

 純粋に一日中練習するのがキツかったのもあるし、何より顧問の先生が嫌いだった(笑)

 

 そんな中で心の支えになったのがブルーハーツだった。

 

 歌詞がストレートに心に飛び込んでくる。

 

 部活の練習で疲れながら、毎晩のように寝る前に聴いていた。

 一番好きな曲は決められないけど、当時の自分に一番響いたのは「ハンマー」だった。

 

 

 “悲しみが多すぎて 泣いてばかりいたって 何もみえなく なっちゃうよ”

 

 

 この歌詞を初めて聴いたときは衝撃を受けたし、悪い状況の中でも前を向かせてくれた。

 

 もしブルーハーツに出会っていなかったら…?

 きっと中学野球部での日々は成立しなかった。

 おかげで良くも悪くも、妙に根性が強くなった、気がする。

 

 ~ つづく ~

 

 

 

 

 

 「思春期にブルーハーツは聴いときや」

 

 いつ、どのタイミングで言われたかは覚えていない。

 けれど、確かに母親はそう言った。

 

 小学校高学年から中学校入学辺りまで、母親は時々車で20分程のTSUTAYAへ連れてってくれた。

 数年して自転車で行けるような距離だったけど、当時の自分にとっては近くなかったなぁ。

 

 TSUTAYA到着。

 中学生になりたての自分はレンタルCDコーナーへ向かう。

 母親に勧められたはいいが、どれを借りればいいかわからない。

 とりあえずベスト盤を借りるか。

 

 そう思い『THE BLUE HEARTS SUPER BEST』を借りた。

 

 帰宅。

 借りたCDをMDに焼く(!)という技術を習得したばかりだったから、作業を始めたいけど、

 気持ちを抑えて、一旦聴こう。

 

 ・・・思えばここが自分の原点だった。

 


 ~ つづく ~

 

 

 

 

 

 

 

 ご無沙汰しております。

 

 先日、THE JASON BLUE-RAYのアカウントならびにボーカルのSHOWから、

 活動休止の報告がありました。

 

 彼にとって苦渋の決断だったはず。ですが、それを尊重したいと思ってます。

 

 一方で、最近の自分はというと

 

 3月のライブ以降、旅に出たり、趣味に本業に没頭したりと、少し音楽の割合が減った日々でした。

 

 こんな自分ですが、音楽を続けた先に叶えたい夢があります。

 夢については今は明言しませんが、当面の目標は

 

 『50代になってもバンドをやること』

 

 です。この考えに至った経緯は今後少しずつ、記事に残していきたいと思います。

 

 

 ということで、THE JASON BLUE-RAYとしては活動休止に入りますが、

 少しでも永く音楽を続けられるよう、日々邁進していきます。

 

 

 ~ つづく ~

 

 

 

 ご無沙汰してます。

 

 11/13(日)をもって、ジェイソンブルーレイの仲間

 

 ギター SOTARO

   ドラム SERA

 

 の2人が脱退しました。

 

 

 

 すごく残念な気持ちと、それ以上の感謝の気持ちが入り混じりながら

 この文面を書いています。

 

 ジェイソンブルーレイ6期の4人での日々は凄く凄く濃くて

 ここに書ききることはもちろんできません。

 

 

 

 といいつつ、少しだけ思い出を挙げると

 

 SOTAROとSERAが大学のOBOGライブに、自分とボーカルのSHOWを誘ってくれた時のこと。

 夕方からSHOWと飲んでたから、開演時間には既に出来上がったたけど、はっきりと覚えてます。

 

 別のバンドで演ってる2人が、めちゃカッコよかった。

 近くでは気付けなかったけど、外からだとこんな風に見えるんだ。

 

 同じバンドで活動できることが誇らしいと思うと同時に、気合入れ直そう!と思わせてくれた瞬間でした。

 

 みんなから刺激をもらえたお陰で、少しはベース上達できたかな?

 

 ジェイソンブルーレイ6期の4人体制で出演したライブを数えてみたら、22本も演っていました!

 ※2回数えたので合ってるはず!

 

 自分が4人目として加入して

 無観客ライブから始まり、ジェイソン初の遠征、野外ライブ、アルバムのレコーディング。

 ときに逆風を感じながらも、

 ‟この4人だから“できたことが沢山ありました。本当にありがとう。

 

 

 

 さて... 今後のジェイソンブルーレイはどうなってしまうのか?

 

 まだ何も決まってません。

 けれども、いつだって前を向いてバンドをやりたい。

 一番好きなギタリストの言葉をお借りして

 『 最新のジェイソンが最高のジェイソン 』

 であるように、バンドの一員として今後も貢献していきたいと思います。

 

 

 

 ~ つづく ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こーんにーちはー!

 

 ・・・いや、こんばんはですね。

 

 12/18(土)に、我々THE JASON BLUE-RAYとNOZUの合同イベント

 『N.J.P』が一旦、幕を閉じました。

 

 今年の1月からスタートして早6回目。

 すごく良い経験をさせてもらえました。

 県内・県外いろんなバンドを知ることができたのも収穫でしたが

 何よりNOZUと当たれたのが楽しかった。

 

 というのも、某ライブハウスのコンピレーションアルバムに入ってた

 NOZUの曲を初めて聴いたとき、率直に「良いな」と感じたし、

 何かと良い噂を聞いてたから、いつか会ってみたいと思っていました。

 

 中学校の時から結成したバンド、それを8年間も活動して。

 学生時代に軽音やバンドをやってこなかった俺からしたら、凄く羨ましいし、

 みんな年下ではあるけれど、実はこっそり憧れてました。

 

 それだけに、解散するのは寂しいけれど

 彼らなら、それぞれの道で輝けるでことしょう!

 

 てっぺーちゃん、ゆーとくん、はやとくん、れいやくん

 

 お疲れさまでした!

 そして、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも敢えて本音を言わせてもらうと・・・

 7回目のN.J.P

 いつかやりたいな。

 

 

 〜 つづく 〜