この三年間、人々を苦しめ続けているコロナウィルス。2020年の暮れには僕も感染した。微熱、喉痛、倦怠感。二日後には同居の兄も発症し腫瘍治療後の肺に炎症を起こす。その病院受診に重い体で付き添い、四時間待ったが兄の入院は叶わず自宅に戻ったのが夜十時。冷えた体を温めようと燗酒を口に含んだら辛いだけ。酒が不味い。 

 「コロナ」は私たちのライフスタイルを変えた。大事だと思ってきたものが止められた。人と人の新しい繋がり方を知った。だからなのか、傍らに居ることの大切さが分かる。

 ところで、僕には、〈ケア〉などについて学び語り合う〈場〉があり、これが人生の一部のようになっていた。「コロナ」はここにも楔を打ち込んだ。「〈ケア〉を考える会-岡山」が消えた。「〈ケア〉カフェ in まび」は百回を迎えるのを機に休止となる。残る「〈ケア〉を考える会」は、当面、オンライン+リアルで開催していくが、このありかたも変わらざるを得ない。

 いずれ「コロナ」は明ける。明けて元に戻るものと戻らないものがあるはずだ。また、いつか新しい別のウィルスが人類を襲うかもしれない。これからどう生きるか。大切なことは、「絶対に無くしてはならないものを見分ける」能力を備えていることだと、僕が勝手に師と仰ぐ鷲田清一さんが述べている。※ 

 そうだ。酒の旨さを見分けることができるかどうかで、僕のコロナ回復具合をはかろう。うん?

 

 

※ 『語りきれないこと――危機と傷みの哲学』 鷲田清一著 (角川oneテーマ21新書)82頁