武蔵は、風の巻で「他流の不足なる所」を九項目に分けて記し、その中で敵の透き間をねらって短い太刀で勝とうとする流派について、これを姑息な後手の兵法として嫌い、同じことならば「我身はつよく直(すぐ)にして」、敵を受身の立場に追いやって確かに勝つべきと述べています。

 そして集団の兵法(合戦)についても同様であるとして、以下のように記しています。


「同じくは、人数(にんず)かさをもって、敵を矢場(やにわ)にしほし、即時にせめつぶす心、兵法の専也。」

 (訳)

どうせならば、大軍で敵を「矢場にしほし」、瞬時に攻め潰す心こそ兵法の第一とするところである。


 ここで「矢場」は、「やにわ(矢庭)」と読み、矢を射る場所、矢の飛び交う戦場という意味です。

これを「やば」と読むと弓術の稽古をする場所、楊弓(ようきゅう)場(江戸時代、楊弓と呼ばれる弓で的を射て遊ぶ遊戯場)の意味になってしまいます。


 また「やにわに」は、ただちに、すぐに、たちどころに、等の意味もありますが、すぐ後に「即時に」という時間を示す同意語があるので、これは「矢庭」という場所を示すものと考えるべきでしょう。


 更に問題なのは、一体「しほし」とは何」かと言う事です。これまで、「仕押し(押し込み)」「四方し(取り囲み)」「し(指示強調の助詞)+干し(=さらし?)」などが当てられていて、意味は何とか通じるのですが、いささか語法に無理があるように思います。

 そこで、これを写本の誤写と考え、「し」と「と」の類似性から、武蔵の原本では「しほし」ではなく、「とほし(通し)」であったと推定しました。「とほす(通す)」は、「部屋に通す」の用例で分かるように、「入れる、導く」の意です。これならば、語意も語法も問題ありません。

 つまり、写本で問題となった箇所は次のように訂正されます。


「同じくは、人数(にんず)かさをもって、敵を矢場(やにわ)にとほし、即時にせめつぶす心、兵法の専也。」

 (訳)

 同じことなら、大軍で、敵を矢庭(矢を射かける場所)に通し、(矢を一斉に射かけるようにして)あっという間に敵を壊滅させる心構えこそ兵法の第一とするところである。