一 兵法の道という事

 

 中国・日本でもこの道(=兵法のまことの道)を(修め)行う者を兵法の達人と言い伝えてきた。武士としてこの兵法を学ばないということはあってはならない。このごろ、兵法者と称して世渡りしている者がいるが、これは一通りの剣術(を心得ている)だけのことである。常陸国(≒茨城県北東部)鹿島や(下総国≒千葉県)香取の社人(しゃにん=神社に奉仕する人のうち主に下級の者)たちが明神(=神の尊称)の伝えとして諸流派を立てて諸国を巡り、人々に伝授しているが、(これとて)近ごろのことである。古来、十能七芸と(呼ばれる様々な武芸が)ある中で、(兵法は)利方(=勝利のノーハウ)といって、(武)芸に当たる(注:「わ」と「あ」の類似性から、写本の「芸にわたる」は、原文「芸にあたる」の誤写と推測。)のではあるが、利方と言い表すからには、通りいっぺんの剣術に限ってはならない。剣術だけにかたよった(勝)利で終わるなら(まことの)剣術も知ることが難しい。もちろん、兵法の道には適うべくもない。

 

 世間を見ると、いろいろなわざを売り物に仕立てて自分の身を売り物のように思ったり、いろいろな道具についても売り物にこしらえたりする心があるが、(これは言ってみれば)花実の二つのうち花よりも実が少ないというところである。とりわけこの兵法の道に色を飾り花を咲かせて、わざをひけらかし、一道場あるいは二道場などといってこの道を教えたり、この道を習ったりして利益を得ようと思うことは、誰かが言っているように、本当に「なま兵法おおきずのもと」となるであろう。