息子に学校に行かなくていいよ。と言ってから、私は適応指導教室と言う市町村の不登校の小中学生が行く場所を見つけた。

息子の生活リズムを崩したくなかったことと、誰か私以外に関わる人が欲しかったから。

まずは、見学に行ってみた。

見学と言うより、児童がいない時間に職員さんと雑談をする感じだった。

適応指導教室がどんな場所か説明もあった。

時間は毎日2時間くらいで、1時間は自習で、その後はみんなで話したりゲームをしたりするようだ。

事前に行く日は決めており、朝の時間も決まっている。

ただ、来れない日は休んでもいいし、遅刻もしていいとの事だった。

無理なく自分が行けそうと思ったら来て欲しいと言っていた。

息子は、初めは週2回、それから毎日行くようになった。

その時の適応指導教室には中学生が数名いるだけで、小学生は息子だけだった。

小学生は親の送り迎えが必要だった為、一緒に通った。

初めのうちは、教室入口まで付き添い息子が教室にいる時間に、職員さんと私は別の場所で話をした。

イジメにあった話、学校の話、発達障害の話、息子の父親の話、これからの話。

きっと、不登校の子供の親はみんな苦しみや葛藤の中にいて、それを知ってケアしてくれたのだろう。

職員さん方は、崩れそうになる私の支えになってくれた。

きっと息子もそうだったのだと思う。

教室に通うことで寂しさを埋めていた。職員さんは、傷ついた息子にもプロとして良い環境を作ってくれていた。

また、教室に通うと小学校に登校した事になる。不登校だけど不登校では無い。


毎朝、送り迎えをしてその日の話をする。

今思うと、苦しかったけれど親子らしい生活が出来ていた貴重な時間だったのだと思う。


学校とも色々あったが、先生がプリントを取りに来てと言うので定期的に学校にも顔を出すように息子に話した。

それは息子を学校から遠ざけたくなかったからで、いつかはまた学校に行けるようになって欲しいと思っていたからだ。

ただ、学校の友達に会う時間は避けたかったので、みんなが下校した後にプリントなどを取りにいくことにした。

また、勉強の遅れがないように自宅で学習し、単元のテストは時間外に学校で受ける事にした。

テストが良い結果でも、成績にはあまり反映されてはいなかった、、。

みんなと一緒に受けないと、問題を知っていて受けている状態だと言うことなのだろう。

結果ではなくて適応指導教室と、学校に行けているだけで頑張っていると私は思った。


2学期が終わる頃、3学期はどうする?と聞いてみた。

すると、「今の学校には行けないから転校したい」と言ってきた。

転校したら学校に行けるの?

「学校に行く」

うちの小学校は殆どそのまま学区の中学校にみんなが行く為、環境が変わることはないのだ。

このままでは、6年生は勿論、中学校も不登校。


卒業まであと1年。6年生のタイミング。とても微妙な時期。

しかし、学校に行くと言う言葉を信じて本人が希望するなら選択肢は無いと思った。


年明けから、家を借りるために仕事を探した。

そして、何駅か離れた別の市で引越し先の物件を探した。

仕事は見つかった。

職場の近くにちょうど、ペットが飼える物件が1つあった。家にはネコがいる。

時間もなく、息子と内見に行き決めた。

引越しも、仕事が始まっていた為バタバタで、捨てる物の選別も出来ないまま、大物以外は全て持ってきた。

あの時に、捨てていればと思うものが今も沢山ある。

しかも、息子の3学期ギリギリまで引越しを待ったので、1番の引越し屋さんの繁忙期で出費がかさんだ、、。仕方なし。


終業式は勿論欠席。

仕事が終わったあと、息子を連れて学校に通知表を受け取りに行った。

担任が1人で職員室にいた。

お世話になりました。

そんな言葉が出てきた。

今思うと、なんで私たちの人生をめちゃくちゃにした先生にあんな最後の言葉を言ったのか。

先生にしたら、教え子の1人でしかなかったかもしれない。

でも、先生が担任ではなかったら、あんなに苦しまなかったし、きっと今とは違う生活があったのだと思ってしまう。

先生、私たちの平和な日常を返して。

もう、戻れないし、あの時はやれる事は全てやった。

でも今でも、ふと思い出した時には悔しくてたまらない。

こんな事になるなんて思ってなかったから。