浦和学院、2年ぶり15度目V!

天国の三浦貴コーチに捧げた

「僕のことよりも…」遺言を胸に

森大監督涙の頂点/埼玉大会

埼玉では浦和学院が宿命のライバル・花咲徳栄に快勝し、
2年ぶり15度目の甲子園出場を決めた。

24日に、巨人、西武でプレーしたOBの三浦たかコーチ(享年45)が急逝。

悲しみを乗り越えて森大監督と選手は団結し、
天国の恩人に優勝をささげた。

優勝が決まった瞬間、森監督は両手で何度もガッツポーズをつくった後、
膝に手を当てグラウンドを見つめ、涙を流した。

「貴さん、ありがとう。貴さんに勝たせてもらいました」

7―2というスコア以上に厳しい戦いだった。

花咲徳栄に打たれた安打は、自チームより3本多い13本。

「完全に相手の打撃が上。負けても不思議ではありませんでした」と

指揮官が振り返る試合でチームを支えたのが、
4回に4点を勝ち越した直後に2番手で登板した渡辺聡之介(3年)だった。

投球練習を始める前、

マウンドの土に指で「三浦先生」と記した背番号10は
「先生のために、どうしても勝ちたかった」と懸命に腕を振った。
4回無失点。流れを渡さなかった。

主将の江口英寿中堅手(3年)は、
9回の攻撃に入る前、ナインに三浦さんが使用していた帽子とグラブを見せ、
「一瞬に生きる」という三浦さんの座右の銘を口にして思いを束ねた。

「一緒に戦っている気持ちでした」。

その裏に1点を返されたが、全員の力で3つのアウトを重ね、聖地への切符をつかみ取った。

「三浦さんのために甲子園に行くという気持ちが強くなって、一体感が生まれました」

沖縄県出身の3番打者、
喜屋武夢咲(きゃん・ゆめき)外野手(3年)が
1-1の四回2死満塁から
右前へ2点打を放ち、3者連続タイムリーの口火を切った。

巨人、西武で投手、
野手としてプレーした三浦さんが24日に病で帰らぬ人となった。
三浦さんは6月まで政治経済の教師として教壇に立ち、
7月上旬まで野球部の部員を指導。
喜屋武は故人から授かった『最後は気持ち』という言葉を強く胸に刻み、
チームは翌25日の準々決勝からの
3試合を計23得点、計2失点。決勝で花咲徳栄との強豪対決を制した。

1996年夏。まだ5歳だった森監督が初めて浦和学院の応援のため
甲子園に行った時、エースとしてマウンドにいたのが三浦さんだった。

「格好良くて、ピッチングの物まねもしていました。一番尊敬する選手であり、コーチでした」。
27年の歳月が過ぎ、監督として初めて夏の甲子園の舞台に立つ。恩返しの戦いは、これからが本番だ。

45歳の若さで急逝した三浦コーチの魂が浦和学院に宿り、
2年ぶり15度目となる夏の甲子園大会出場をつかみ取った。