りんご|指定難病|PAH|HHT

りんご|指定難病|PAH|HHT

2006年より肺高血圧症(PAH)、その後 オスラー病(HHT)と診断
30代|休職中|海外出身|
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2つの指定難病とともに生きる日々の記録をはじめ、
小さな声や揺れ動く心の輪郭を、そっと綴ります˖ ࣪⭑

 

少し更新の間があいてしまいました(__)

状況がだいぶ落ち着いたので、
近況を少し綴ってみようと思います °✧˖°

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ヒックマンを入れてから、2週間が経ちました…!

やっと、ここまできたなあ、という気持ちです。

無事に入れられて、
こうして退院を目前に迎えられていることに、ほっとしています にっこり

実は、更新の間が空いたのには理由が…

入れ替えの日が刻一刻と近づくにつれ、
豆腐メンタルが発動して、ナーバスになっていました 赤ちゃん泣き

また自己管理の日々が始まるのか…と。
「次は感染できない」「今回の入れ替えが最後」
そんなプレッシャーに、少し押しつぶされそうになっていました。

とはいえ、時間は待ってくれず。
気持ちの切り替えができないまま、
あっという間に入れ替えの日を迎えたわけですが。

当日の朝、ヒックマンの位置決めを
ケアナースと主治医、担当医で一緒に確認。

女性は特にヒックマンの位置が重要らしく、
ケアナースがとても慎重に判断し、主治医に位置を指定する。

入れ替えは今回で5回目。
とはいえ、前回が10年前だから「ああ、こんなことしたっけな」と
じわじわ思い出しながら、身を委ねる。

当時は、挿入時にかなり力が加わり、
正直それなりに痛みがあった記憶…
だから今回も少し身構えていたけど……

今回は、ぜんぜん違った!あんぐり

さすが10年。
主治医の手技は驚くほどスムーズで、穿刺は一瞬で、
全体でも1時間半ほどで終わって、
痛みはほとんどなかったと言っていい!

まあ、私が強いのも多少ある?(^◇^)

それでも、確実に手技は上がっているし、時間も短い。
あまりに感激して、2日ほど先生を称えまくっていました。
すると、ちょっと得意げになる主治医。かわちい。

うちの主治医は、自らヒックマンを入れてくれるのだけど、
よそでは外科医が執刀することも多いと聞いて驚いた。
そういうものなのか…。

でも、長く診てくれている先生だからこその安心感は大きいな、と
改めて感じる。
鎮静剤なしでも、途中で寝落ちするほどに 大あくび

今回は、血管が詰まらないよう余裕を持たせるため、
子ども用のヒックマンを使用した。



新しい相棒。
仲良くしようね キメてる

 

___________

入れ替え後は、ケアナースの指導と指示のもと、
皮膚の管理や固定の管理を、一つひとつ教わる。

最初の1か月は、3Mテープで何重にも固定。
テープ交換は週に2回。
入れた側の腕はなるべく動かさないようにして、
洗髪は母にお願いしています。
毎日洗ってくれてありがとう…(:_;)


私がお世話になっている病棟は、
肺循環専門でもある病棟で、
ヒックマン管理のマニュアルがとても細かく整っていて感心。

テープかぶれを起こさないための固定の仕方。
テープの糊が残らないように、丁寧に拭き取ること。
そして、保湿の大切さ。

工程は結構多くて、
1回の固定交換と消毒には、それなりに時間がかかる 無気力
でも、その一つひとつが
守るための手順なのだと思うと、自然と手も丁寧になる。

看護師さんに教わりながら練習し、無事に合格サインもいただいた。
昨日は抜糸も終わった!かゆかったのがスッキリした~

 

 

 

被覆材は「メピレックス ボーダー Post-Op」を使用。
その上には3Mを何重にも交差させながら貼り、ヒックマンをがっちり固定。

 

小児外科の先生がヒックマンを抜去してくださったときの傷跡、

どこか分かるでしょうか。

陰圧閉鎖療法をして、丁寧に処置をしていただいたおかげで、

ケロイドになることもなく、きれいに治ってます!

傷が落ち着き、回診の必要もなくなったあとも、

小児外科の先生方は年末もお正月も、

ヒックマン入れ替えの前日まで、毎日お顔を出してくださいました 赤ちゃんぴえん

 

アフターケアというより、メンタルケアになった 赤ちゃんぴえん

手技はもちろんのこと、

それ以上に、向き合い方や心遣いが本当に素晴らしくて。

 

先生方のさりげない姿勢に触れたことも、心穏やかに入院できた理由でもあるなあ、と。

 


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そういえば最近、数値の面でも変化が。

リネゾリドの副作用による血小板減少と、
オスラー病の症状による鼻血で大量出血を起こして、
ショックバイタルとなった後、
もともと酸素なしで96〜97%あったサチュレーションが、
安静時でも93%まで落ちていた。

けれど、ショックバイタルから3か月以上が経った今、
サチュレーションは以前の数値に戻った。よかった…
(酸素吸入では以前も現在も99〜100%はあります)

BNPも、入院中に少しずつ下がってきた…!
ショックバイタル後の最高値は220。
長い安静加療を経て、今は120まで下がっています。

原因を一つに決めることはできない。
それでも、身体を休めたことで数値が落ち着いたのを見ると、
これからの生活のペースや働き方についても、
一度立ち止まって考えた方がいいのかもしれないな…と思うように。

今の仕事は、私にとって大切な場所でもある。
続けたい気持ち、手放したくない気持ちも。

本当なら離職がいいのかもしれない。だけど、色々考えて、

まず「どうしたら無理なく続けられるか」を考えている途中。

相談の上で、希望の働き方が難しければ、離れることも考えている。

すごく悩ましいけど、数値で出ている以上は仕方ない…。



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振り返ると、
10月8日の大量鼻出血での緊急入院から始まり、

ショックバイタルでの輸血、
オスラー病を診られる耳鼻科専門医との受け入れ体制の確保、
ヒックマン感染、ヒックマン抜去、
子宮内膜ポリープの発見、
そしてヒックマンの入れ替え。

本当に、いろいろなことがあったなあ 

主治医、担当医、小児外科医、ケアナース、師長さん、看護師さん、
オスラー患者会の理事長、そして両親。
たくさんの人に支えてもらって、
おかげさまで、私は心穏やかに、安心して入院生活を送ることができた 悲しい

これからは、私自身の自己管理がいちばん大切になる。
退院後は、感染しないようにというプレッシャーや不安も、きっとついてくるはず。

エアウィン(肺高血圧症の新薬)が、血小板減少や鼻血といった副作用の少ない改良型として出てくれて、エポ離脱できたらいいのにな…。

でも、今は、移植まで、できるだけ良い状態を保てるように。
このヒックマンと一緒に、
身体の声を聞きながら、また一歩ずつ進んでいく にっこり


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退院目前なのに、急遽、病棟の移動があった ガーン
数か月お世話になった看護師さんたちに、
きちんとお別れやお礼を言う間もなく、病棟を離れることになってすごく悲しい 赤ちゃん泣き

私のためを思って動いてくださり、言葉にしなくても伝わってくる姿勢があって、
それだけで、どれほど寄り添ってもらっていたかを感じた…

退院後の生活が不安だと察してくれたのか、楽しめることをさりげなく提案してくれたり、
仕事以上の温度で向き合ってくれたことが、本当にありがたかった泣

……転棟して、ちょっぴり泣いた 赤ちゃん泣き

関わってくださったみなさん、たくさんの幸あれ~

 

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さて、帰ったらまずドライブしたい~ そして美味しいもの食べに行くぞ~ 指差し

 

でもあんまりのんびりする暇もなくすぐに業務の復習と、

肝心の、上長に働き方の相談をするか~

 

どうなるかな~

 

どうなったか、はまた次回にて書きます。

グッドラック to ミー

 

では一旦、ここまで。

 

 

愛

 

 

明けましておめでとうございます(^◇^)

 

 

20代の頃も「一年って早いなあ」と思っていたけれど、30代に入ってからの一年は、体感として本当に一瞬だ…

毎年それなりに抱負は立てるけれど、私は大体立てて満足しちゃう(__)今年の抱負も一応立てたけど、きっと1ヶ月後には忘れている。

でも不思議なもので、去年の終わりにメモを見返してみたら、意外と達成できていることが多くて驚いた。

 

今年は、新しい何かを無理に増やすよりも、今すでにあるものを丁寧に育てていく一年にしたい。あとは、楽しむこと、心身ともに穏やかでいること、状況に適応して持ち直す力を高めること。そのあたりを大前提に。

 

 

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今日は【 友人 】の話を書こうと思う!

 

年末、友人が忘年会ならぬ面会に来てくれた。

私が入院する前から安静を徹底していたために、何度か会う約束をリスケしていたから、実際に会うのは夏前ぶりだったと思う。連絡やビデオ通話を頻繁にしていたけれど、顔を合わせるのは久しぶりだった(:_;)

 

この友人のことを書こうと思った理由は、今回初めて、移植登録をしていることや、今の病状についてきちんと伝えたから。

 

彼女たちとは中学からの付き合い。

当時の私は、どこにでもそれなりに馴染めるタイプで、いわゆるヒエラルキーの上のグループにも、どこにも属さない一匹狼の子たちとも、平和なグループとも関わっていた。今思えば、カメレオンみたいな中学生だったと思う(゜゜)

でも、ここまで長く付き合いが続いているのは、その中でも一番穏やかな三人組だけ。

 

三人組だから自分たちのことを「さんこいち」って呼んでいたなあ…笑

 

私はこれまで、病院で知り合った友人以外には、持病のことを深く話してこなかった。

中学に転校してきた当時、学校側が私の病気について学年集会で説明してくれたことがあって、それは思春期真っ只中の私とっては本当に恥ずかしくて嫌な出来事だった(__)でもそのおかげで、周囲の配慮にも守られていたのも事実。

 

だから彼女たちも、心臓の病気があることや、治療のための機械を身につけていることは知っている。でも、それ以上のことは話してこなかった。

普通の生活ができていたこともあるし、何より、優しい二人に余計な気を遣わせたくなかったから。

 

ただ、今は生活が大きく変わった。

今までと同じ会い方が、これからは難しくなる。

それでも、これから先も彼女たちと関係を続けていきたいと思ったから、きちんと伝えることにした。

 

移植登録をしていること。

いつ呼ばれるか分からず、突然音信不通になる可能性があること。

今まで通りの自由な予定調整ができなくなること。

 

そう伝えたら、二人はとても静かに、でも迷いなく言った。

「日本国内ならどこでも会いに行く」

「外に出るのが難しいなら、私たちが行けばいい」

 

その日も、子どもを預けて面会に来てくれた。

二人とも、もう二児の母。それぞれ家庭がある中で時間を作ってくれることが、ただただありがたかった。

 

嬉しかったし、同時に、私ももっと彼女たちを大事にしていこうと思った。

 

長く一緒にいるからこそ、形は変わっても続いていく関係がある。

それを静かに実感した日だった°˖✧◝

 

 

 

 

 

(中学卒業式の日。当時入院していて、看護師さんたちに絶対に参加するように言われて、外出許可をもらって参加した!セーラー服、黒髪ぱっつんロング、懐かし、かわいいなあ…)

 

(三十路になったさんこいち。年齢言わなければまだ20前半いけるよね…?('_'))

 

 

(Hの結婚式°˖✧◝ もう3年も前だけど、好きな写真なので載せとこ。あ、ポンプ上手く隠せてるでしょ?)

 

 

 

以上、今日はここまで°˖✧◝

今日は、外出許可をもらって、家族と一緒に外へ出た。

食事をして、少しだけ買い物へ。

 

ここ数カ月、BNPが200を超えたこともあり、主治医からはできるだけ安静にと指示を受けている。

それを受けて、親の計らいもあり、長距離の移動では体力を温存するために車椅子を使うようになった。

とはいえ、それはつい最近始まったことで、人の多い公共の場で車椅子に乗るのは今日が初めてだった。

 

以前の私は、なるべく家族に迷惑をかけないように、自分でできることは自分でするようにしていた。

自分で車を運転して、行きたいところに行き、好きなタイミングで歩いて、立ち止まって。

それが当たり前だった。

 

____

 

今日の外出は、行く前は楽しみにしていたし、最初は純粋に嬉しかった。

兄弟が自然に交代で車椅子を押してくれて、それが嬉しかったし、気持ちがありがたかった。

 

けれど、買い物の帰り道、人混みの中で思うように進めず、周囲に気を遣う時間が増えるにつれて、心の余裕が少しずつ削られていった。

以前は、気になるお店に入って、出て、また歩いて。

当たり前にできていたことが、今日はできなかった。

 

車椅子だと、気軽にお店に入ることも、立ち止まることも難しいことを初めて実感した。

自分の足で自由に歩けていた頃の感覚と、今の現実との差を、思った以上に突き付けられたのだと思う。

誰かに押してもらわなければ移動できないという事実が、こんなにも心に影を落とすものだとは、正直知らなかった。

 

ありがたいことはたくさんあった。

エレベーターを譲ってくれる人、道を開けてくれる人、付き添ってくれる家族。

それなのに、私は途中で気持ちをうまく保てなくなってしまった。

 

自分の未熟さに、後から気づく。

 

感謝よりも先に、悲しさや悔しさが前に出てしまったこと。

家族に甘えられるからこそ、感情のコントロールが難しくなる自分がいること。

 

それでも、泣いてしまった帰り道のあと、ちゃんと謝れて、ちゃんと「分かっているよ」と返してもらえたことに、救われた。

 

完璧でなくても、関係は続いていくのだと、静かに教えてもらった気がする。

 

自立できたら、もっと軽やかに感謝できるのだろうか。

そんなことを考えながらも、今の私は、こうやって揺れながら生きている。

 

きっと、今日の経験は、弱さの記録でもあり、学びの記録でもある。

いつか振り返ったとき、誰かの気持ちを想像できる自分でいられるように。

そんな願いを込めて、今日はここに残しておく。

 

また少しずつ、

今の自分のペースで、外の世界と折り合いをつけていけますように。

 

 

 

10年以上ぶりの友人が面会に来てくれた。

彼女も私と同じ肺高血圧症(PAH)で、5年前に肺移植を受けた人。

 

ひょんなことからまた連絡を取るようになって、

仕事終わりに、わざわざ会いに来てくれた。

 

顔を見た瞬間、言葉より先に感情が溢れてしまって、二人で泣きそうになりながら、

というか、普通に泣きながら抱き合った…(:_;)

 

さいごに会ったのは、彼女が高校を卒業したばかりの頃。

肺動脈圧も当時の私と同じ40くらいで、酸素をつけていて、多感な時期にフローランを使わなければならなくなって、

悩んで、苦しんで、それでも前に進もうとしていた彼女を、私は知っている。

 

だからこそ、今、目の前で元気に笑っている彼女を見られたことが、本当に、心の底から嬉しかった…

 

彼女は今、フルタイムで仕事をしている。

海外旅行にも行って、ショッピングモールもディズニーも、「歩き回ってもしんどくないんです!」って、笑いながら話してくれた。

 

自分の時間を、ちゃんと取り戻している。

「移植して本当によかった」

その言葉が、胸に残った。

 

そして彼女が、こんなことを話してくれた…

「あの時、本当に憧れていたんです。

○○ちゃん(私)と元パートナー(当時は婚約者)の姿を見て、フローランをつけていても恋愛ができるんだ、

ちゃんと寄り添ってくれる人がいるんだ、

こんなふうに生活できるんだ、って思えたんです」

 

私は、そんなふうに思ってくれていたことに少し驚いた。

 

さらに、差し入れにクッキーを渡しながら、

「当時、○○ちゃん(私)にクッキーをいただいたの覚えていて」と。

 

…全然記憶にないけど(''_'')

彼女の中にはその記憶があったと。

 

今は、立場が逆だ。

 

私が、彼女に力をもらっている。

彼女の姿に、希望を見て、未来を想像している。

 

すごく、不思議で、あたたかい…

 

コロナ禍直前での移植は、想像以上に大変だったと思う。

緊急事態宣言下という異例の状況で、移植後から退院まで、わずか2ヶ月ほど…

 

リハビリは、ほぼ自力で家で行っていたという。

その孤独や不安、怖さは、きっと計り知れない。

 

それでも彼女は、ここまで来た。

 

今日聞いた話の一つひとつが、貴重で、重みがあって、そして何より、彼女の強さと優しさが滲んでいた…

 

彼女が友人であることを誇りに思う。

そして、今もこうして繋がっていられることを、心から幸せだと思う。

 

とても有意義で、温かい時間だった…!

 

未来のことを考えるのは、まだ怖いけれど、

今日の再会は、ちゃんと、その先はある。

そう、静かに教えてくれた気がする。

 

 

少し近況の記録を。

 

 

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最近気になる症状があり、今日、入院している病院の婦人科の診察を受けたところ、子宮内膜ポリープが見つかりました。

 

次から次へと…と思ってしまう瞬間もある…けど、一つずつ片づけていくしかない

むしろこのタイミングで見つかってよかったのかな

 

ただ、いまはヒックマンカテーテルの感染部分の治療、入れ替えが優先なので、全身の状態が落ち着いてから、PAH(肺高血圧症)とHHT(オスラー病)のことも含めて慎重に考えていく予定です。

 

 

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そんな中、ハピなこともっ

 

 

 

 

 

同じ病気で長年付き合いのある友人から誕生日プレゼントに、高級そうなりんごジュースとスノードームをいただいた(^◇^)

 

「スノードームには、少しでも心を穏やかにしてくれますようにって願いを込めた」って…あったかぁ…

暇さえあれば振って眺めてるよ~~!りんごジュースもすごくおいしいよ~!

 

 

 

 

そして、前職の社長から、りんごを一箱!

今でもこうして気にかけてくださって、ありがたい…

 

 

父からは、アップルを貴重とした香水、ランバンのモダンプリンセス

おんなのこって感じのかわいい香り °˖✧

 

 

hai、私のりんご好きは、周知の事実です。ブログ名もあからさまに。

体臭がりんごになるのもそう遠くない。

 

 

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治療の話に触れますが、

創部の治療として続けている陰圧閉鎖療法はまだ継続中です。

傷は少しずつ、確実に良い方向に向かっているよう…!

 

ただ、私はかなりの敏感肌(年々より敏感に)で、アルコール・イソジン・テープ類がだめ。

普段使えるテープ、点滴やPICCラインの固定、ヒックマンカテーテルの固定もカテリかエウォールくらい。

 

やはり今回も、陰圧閉鎖療法のテープ部分が痒くなってしまい、かぶれた…

外科の先生方が試行錯誤しながら、貼る範囲を小さくしたり、方法を変えたりしてくれて。

 

それでもかゆみが出たため、昨日、シリコン製の素材をパッチテスト。

幸い問題なさそうだったので、今日はその素材のものを使って(商品名は失念)、陰圧閉鎖療法のテープ部分が直接肌に触れないようにカスタム仕様で治療を続けます。

 

 

小児外科の先生方…

とにかく優しくて、配慮や気遣いが細やかで、土日も様子を見に来てくださるんです(''_'') シフトどうなってるんだろう、ありがたいけど心配。

ホスピタリティ高いあまりに、これまで持ってた「外科の先生」のイメージがいい意味で完全に払拭された。偏見ごめんなさい。

 

さらに今日は、お母さん(高校生の頃からずっとお世話になっている皮膚・創部専門のケアナース)も同席してくれて、5~6人に囲まれて処置を受けました、

 

私なんぞの肌のこと”だけ”で、手厚いな、わあ

もう、ひたすら、ありがとうございます

 

なんていうか、自分自身がここまで自分の肌を大切にできていたかな、と。

長年の治療で全身の肌は弱くなっていき、過去に入れ替えた傷はケロイドとなって残り、そんなもんだから肌のことなんて正直諦めていて…(__)

それでも、こんなに一生懸命に方法を考えて、丁寧に扱って処置をしてくださる方々がいると、底なし沼だった自己肯定感も、少しずつ引き上げてもらえる気がします

 

おかあさん(ケアナース)「女性だからね、ケロイドのとこもきれいにしてあげたいね。○○ちゃんはもうきれいだけどね」

…むすめ泣いてええですか…

 

上がるのを待つものじゃなくて、ちゃんと自分でマインドを変えていかなきゃいけないな

 

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時間はかかっても、ひとつずつ。

治療も、気持ちも、生活も。今はそれで充分。

 

 

 

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ブログの文章について、もっとありのままの言葉で書きたいと思って、少しずつそうしています。ただ、文章にすると、自分の中の幼い部分がそのまま滲み出ているようで、毎回、記事を公開する直前に少しだけ躊躇してしまう(゜゜)

 

 

 

 

誕生日のこと

 

先日、誕生日を迎えました。

 

この一年は、身体のことも心のことも本当に色んな出来事があって、ひとつひとつに揺れながら、それでも前に進んできた時間だった。

 

思考が全く動かなくなって、食事も喉を通らないほどの出来事があったけれど、親がウィスパーボイスでバースデーソングを歌いながら病室に入ってきてくれたことで、これまでの出来事は全てチャラにできました。(笑)

 

いつもありがとう。32年間、たくさん心配と迷惑をかけてごめんね。

そしてこれからも迷惑をかけてしまうと思う…

それでも親は、「これからも一緒に進んでいこう」と言葉をかけてくれました。

 

親孝行をたくさんするために、元気になれますように…

 

 

 

 

 

 

揺れた心

 

今日は少しだけ、心の揺れを書くので、重たく感じたらごめんなさい。

けれど、これは私の一部なので、記録として。

 


今日は、自分には届かない現実との差に苦しくなる日だった。

 

病気で諦めてきたもの、どうしても届かない自分を突き付けられるようで、久しぶりに黒いのが出てきてしまった。誰にも見せたくない、誰にも触れてほしくない、引き出してほしくない部分…

 

なにをどう足掻いたって、これで歩むしかないんだ…

そんな運命に、わーっとなる日も、定期的にあります。

 

病院から抜け出して、とにかく、泣き叫びたくて仕方なかった

鼻血が怖いのと、一人になれない環境なので泣くのをがんばって堪えた(:_;)ツラー…

 

いつもは複雑な状況の中で感謝を、と心掛けているけれど

感謝?は、なにそれおいしいの?!となる日ももちろんあります。

 

32歳、悟って、潔くなれたらいいな(゜_゜)

 

そして、またひとつ歳を重ねた私が、これから少しずつでも自分を嫌わない日も増やせたらな、と。
 

 

 

 

灯り

 

入院当初は、ひとりで抱えきれない痛みや不安に押しつぶされそうで、自分の輪郭が少しずつ薄くなるような気がしていた。

 

前に、元パートナーとの会話の中で、「病気の私を中心にしか見られない」そんなふうに受け取れる言葉をもらったことがある。

 

今となれば、あの言葉は誰が悪いという話ではないのは理解している。縁の切れ目だった、ただそれだけ。

 

ただ、その一言は私の胸の奥に刺さったまま抜けずにいた。

私は、女性として誰かに選ばれる存在ではない、そういうふうに、自分で自分の可能性にふたをしてしまうきっかけになってしまった。

 

だからこそ今、心を寄せられる存在が現れたことは自分でも驚くほどおおきいことで。

 

深い関係でも、特別ななにかでもない。ほんとうになんでもない関係。

それでも、その人のおかげで、張りつめていた心がほどけていく瞬間が何度もあった。

「私だってまだ誰かを想っていいんだ」

諦めていた心をもう一度そっと手に取ってもいいのかもしれないと、小さな光を灯してくれた(:_;)

 

それがたとえ淡く短い出来事になるとしても、私の人生の中で、静かに大切な光であることに変わりはない。

 

もしかしたら、これが最後の恋心なのかもしれない。

複雑な状況に立ち向かう私の心に、穏やかさと安心をもたらしてくれて、心から感謝しています。

 

私がこの気持ちを打ち明けること絶対にないけれど、感謝の念をいつも送っています…伝われぇ…

 

 

 

 

 

昨日、ヒックマンカテーテルの感染部に対する処置をしていただきました。

 

 

外科の先生が洗浄をしてくださり、今後、感染部をしっかり治していくために陰圧閉鎖療法を行うことになりました。

私にとっては初めての治療方法です。

 

 

処置の途中、空洞がどこまで続いているか確認するために、切開したところをピンセットでほじほじされるのですが、思わず(ううっ…)って声が漏れそうになりました。

でも先生方が優しくて、なんか頑張っちゃったな(゜゜)

 

 

外科の先生から、ヒックマンを培養に出したけれど何も出なかったと聞いて…

じゃあ、あのカフ部分の赤みと腫れと熱感はなんだったんだ?

一瞬抜いてよかったんだろうか…とも思いましたが、この2ヶ月、リネゾリド → セファゾリン → バンコマイシン → ダプトマイシン と、色々な抗生剤を投与してきました。

入口からの膿はもうかなり前に止まっていたけれど、カフの赤みと腫れと熱感だけがずっと引かない状態が続いていたので、抜かざるを得なかったと思います。

 

 

そして今回初めての陰圧閉鎖療法の装置。

 

機械で患部を真空パックするように密閉して、一定の陰圧をかけて治癒を促すのですが、空気を抜くときに傷が吸われるような感覚があって、この時も、うっ…新感覚…と新しい痛みを楽しんでいました。

 

 

あとは、圧を調整するタイミングで、「ブー、ブー」と規則的に振動するので、スマホのバイブと間違えてしまうくらいですかね。

 

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下に、どんな装置なのか参考として陰圧閉鎖療法の写真を載せます。

患部の出血が少し映っていますので、閲覧注意でお願いします…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

機械はとても小さいです。こんなものがあるんだなあ…

 

 

 

 

 

以上、現状はこんな感じです °˖✧◝

 

 

 

こんにちは。

 

今日は治療の話から少し離れて、私が好きな映画やドラマ、アニメのお話をゆるっと書いてみます。

 

作品の世界に入り込む時間は、私にとって大切な”心の休息”のひとつです。

 

このブログを覗いてくださる皆さまのおすすめも、ぜひ最後に教えてください!

 

 

 

 

 洋画:

 

ショーシャンクの空に

何の落ち度もないのに突然降りかかる不幸。

それでも希望を手放さず、状況が開けるのを静かに待つ主人公の姿は、私自身の治療ともどこか重なるところがあって、感慨深い作品。

 

 

◆ リプリー

万人受けしないかもしれないけど、記憶に残る作品。

寄せてはいけない相手に心を向けてしまう切なさと美しさ。

ジュード・ロウ演じるディッキーより、ピーターがよき…

 

 

 

 

 洋画:恋愛もの

 

◆ ジョー・ブラックをよろしく

ブラピ史上一番”メロい”作品なのでは…と思っています。

ブラピに溶かされたい時は、こちら一択!静かで甘い。

 

 

◆ ワン・デイ

曖昧な関係なのに、お互い深く想い合っている…

そんな2人が年月をかけて実る感じがとても良い。むず痒くて、尊い。

静かな余韻が残る恋愛映画でした。

 

 

 

 

 洋画その他:

 

◆ LION~25年目のただいま~

これも忘れられない作品。

私自身、いつか自分の人生を「救いの手が必要な子どもたち」に捧げたいという小さな願いのようなビジョンがずっと心の奥にあって、だからこそこの映画は胸が避けるほど苦しくて、でも目が離せなかった。

舞台はインド、迷子になった幼い主人公が、たった一人で世界の中に放り出される…

観終わった後、自分にできる「誰かを守る力」を考え続けた作品。

 

 

◆ トップボーイ

好みが分かれると思うけど、私はドハマりしました。

”リアルな世界をそのまま映した”かのような演技力が圧巻。

特にサリーというキャラクターが魅力的です。

 

ドラッグや暴力の世界に生きる人々の人生が描かれていて、「この世界ではこうなるのか…」と考えさせられる、社会派作品でもあると思います。

 

 

 

 

 韓国ドラマ:

 

◆ おつかれさま

家族代々で視点が変わるストーリー。

主人公の親子関係が、自分と驚くほど重なって何度も泣きました。

不器用で、それでも親の無償の愛で包んでくれて…

「親を大切にしよう」と胸が熱くなる作品でした。

 

 

 

 

 アニメ

 

◆ BANANA FISH

周りにすすめまくっている作品。

疾走感と切なさと美しさが全部のっていて、観た人の心を持っていく…!

 

 

スラムダンク

私のバイブル。小学生の時、再放送でハマってそのままバスケ部へ。

3年ほど前、人生で色々あった時期にスラムダンクが「当時の自分」をまた奮い立たせてくれた。(スラムダンクが…?と思いますよね、私も思います(笑))

 

病気でできなくなってしまったからこそ、今もずっと憧れるスポーツです。

バスケしてる人はどうしてこんなに輝いて見えるんだろう。

 

 

◆ さよならの朝に約束の花を飾ろう

泣く。とにかく泣く作品。

会社に”ベルセルクが一番好き”という強めのテイストの女の子がいるんだけど、その子に頑なに進め続けて……

しぶしぶ観たら号泣しすぎて3回も中断したらしい。笑

ジャンルの好み関係なく刺さる、優しくて深くて、胸に残る物語。

 

 

 

 

質問です

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

よかったら、おすすめの映画やドラマ、アニメを教えてもらえませんか?

入院中の楽しみに、ぜひ参考にさせてください。

 

コメント欄でも、匿名でも、短い一言でも大歓迎です。

 

 

 


 

昨日、無事にPICCラインを入れることができました…!

今回は通常の方法では難しく、バルーンで血管を拡げながらの挿入となりました。

 

 

同じ手技でも血管を拡げられずに終わってしまったという方を知っていたので、正直不安でした…

ですが、信頼している先生が処置をしてくださったおかげで、落ち着いて挑むことができました。

大きなトラブルもなく終わり、ひとつ山を越えられたような気持ちです。

私自身、PICCラインの挿入はこれまでにも何度か経験していますが、年々血管が閉塞したり細くなったりして、だんだん難しさが増しているのを感じます。

「たかがPICCライン」とはとても言えません(:_;)

 

そして今日は、外科の先生にヒックマンカテーテルの抜去と、感染部分の洗浄をしていただきました。

こちらもトラブルなく無事に終えることができました°˖✧ 10年も一緒にいてくれてありがとう。

処置は少し痛みますが、担当の先生がそばにいてくれたこと、そして周りの空気がとても穏やかだったことで、安心して身を任せられました。

 

その穏やかな空気というのが、なんとまさかの再開がありました…!

処置室で、20年前、フローラン始めたばかりの頃にお世話になった看護師さんと再会したのです。しかもお二人。

当時はまだ一年目とか、駆け出しだった方たちが、今はすっかりベテラン看護師さんになっていて、その姿に胸がいっぱいになりました。

 

お互い手を取り合って喜び合って、あの頃と変わらない優しさと温かさに触れて、涙が出そうに…

人が年月を経て成長していく姿って、こんなにも心を震わせるものなんだなって。

そして「看護師になるべくしてなった方たちだ」と改めて感じました。

 

話は変わりますが、同じ病気で長く付き合ってきた、妹のように思っている友人が、ヒックマンの傷口をいかに綺麗に治すか、経験豊富な彼女から細かく教えてもらったので、私もその方法を実践して、今回の傷は綺麗な跡になるように努めてみたいと思います…!

 

 

闘病はどうしても孤独になりがちだけれど、支えてくれる人の存在がどれほど大きいか、改めて気づかされる1日でした…°˖✧

 

季節はすっかり冬となり、気づけば一年の終わりが見えてきましたね。


現在は入院中ということもあり、時間を持て余しているおかげで、ブログの更新がいつもより捗っています(⁰▿⁰)


今日は、少しだけ今の状況についてまとめようと思います ✧˖°



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私はいま、ヒックマンカテーテルの感染で入院しています。
約10年もの間、生活を支えてくれていたカテーテルでしたが、今回は抜去が必要との判断になりました。
これまでにも2~3回は感染で入れ替え、さらに1回はエポプロステノールの成分で狭窄を起こして交換し……。そんな経過の中で、今回はこの20年でいちばん長く保っていたカテーテルでした。

左の鎖骨下静脈はすでに閉塞しているため、まずは今の感染をしっかり落ち着かせたうえで、現在入っている右側に新しいカテーテルを入れる予定です。
そのため、入院期間はかなり長くなりそうです…

そうした状況もあり、仕事は休職扱いにしていただけることになりました。会社のご理解には本当に感謝しかありません。そして、チームのみなさんがすでに恋しいです(;_;)


話がそれましたが、“右”の鎖骨下静脈にも問題があります。

感染が落ち着くまでの間、フローランを投与するためのルートとしてPICCラインを入れる必要があるのですが、右鎖骨下静脈の一部が細くなっていて、PICCラインが通らない状態なのです。
そのため、来週の火曜日に血管をバルーンで広げる処置を試してみる予定です。


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移植登録をしてから、気づけば1年10カ月。
自分の時間の流れと治療の歩みが、こんなふうに静かに、そして少しずつ積み重なってきたのだと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。

 

 

一方で、肺高血圧症の新薬エアウィン(ソタテルセプト)」についても、慎重に検討しなければならないことが分かりました。

私にはオスラー病があるため、副作用として報告されている血小板減少や鼻血が非常に大きなリスクになります。もし鼻血が止まらずショックバイタルに再び陥れば、輸血が必要となり、その量によっては移植に影響する可能性も否定できません。そのため、投与の方針が決まりにくい状況となっています。

 

関東の大学病院の先生からは、「ソタテルセプトはオスラー病の患者さんには危険性が高い」として、学会やメーカーに強く申し入れているというお話も伺いました。

正直なところ、治療の見通しはいまだはっきりせず、漠然とした不安や迷いがつきまとっています。

その間にも、昨年は50~60台で安定していたBNPは、この1年でついに3桁に。いまでは200を超えるのが日常になってしまいました。肺圧は55ほど。

 

酸素なしで96~97あったSPO2も、前回ショックバイタルで輸血をしたあと、現在は93~94までしか上がらず、元の値には戻らないままです。

 

 

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それでも、新薬で症状が改善している仲間の話を聞くと、本当に嬉しくなります。

 

“誰かがうまくいく”という事実は、それだけで大きな希望になります。

どうかこのまま、みんなが良い方向へ進んでいきますように。そんな願いを胸に、日々を過ごしています。





そんな、今日この頃の近況でした✧˖°