お久しぶりです。ハムスター奇譚です。
最近バナナフィッシュという作品にハマってまして
自由を求めた主人公というものに浪漫を感じるんです
とここで思いついたのは主人公であるアッシュ・リンクス(灰の山猫)と共通したキャラがいたという事です
そのキャラこそ
理由として共通点その1
どちらも自由を求めていた
ロジャーとアッシュもどちらも今までの自分の人生になかったものつまり自由を求めていました
今回の考察ではこの自分の人生にないものがキーとなります。
共通点その2
どちらも笑顔で最後を遂げた
次の共通点としてはどちらの最後も笑顔であった事です
その理由として自分の人生になかったものを手に入れた若しくはかけたからではないかと考察しました
ここからはスピリチュアルな話となりますが世の中にはソウルメイトというものがあり人生で出会える人間で深い関わりのある人間の事です。
ではこの2人にはそのような出会いはなかったのかと言うとそうではありません。
それでは次の共通点に参りましょう
共通点その3
仲間はいたけど孤独だった
つまりこれはどういう事かと言うとアッシュにもショーターのような親友であったりロジャーもレイリーのような相棒はいましたがこの2人はそれでも孤独を満たした訳ではありませんでした
アッシュに至っては作者の吉田秋生先生が「アッシュが作中で孤独じゃなかった事なんて一度もなかった」と仰っておりロジャーに関してはラフテルに辿り着いた時に「ジョイボーイ俺はお前と同じ時代に生まれたかった」と言っていました
そしてここで2つ目のキーワードとなるものとして孤独
です。
例えば、ワンピースでも幼き日のサボが自身の境遇を語った際に「お前達には申し訳ないけど俺は孤独だった」と吐露した台詞があったように何も1人になる事が孤独とは限らないという事になります
そして映画REDにおいてもそのワードがありました
詳しくは映画REDをご覧ください。
しかしアッシュにもロジャーにも信頼出来る仲間がいるではないかという意見もあるかもしれませんがではこの2人が求めていたものとは何かを考察します。
それこそ
どちらも自分の人生にない自由を求めていたという事なのではないでしょうか
そしてその2人にとって自分の人生にない自由を与えてくれる存在こそがアッシュにとっては英二でありロジャーにとってはジョイボーイだったと考察します。
話を戻すとつまりアッシュとジョイボーイが求めいてたものは自分の人生の外にあるものそれこそソウルメイト、魂の外にあるものだったのではないでしょうか
結論としてこの2人の求めていた自由とは自身の限りある人生の外にある繋がりであったと考えます。
生涯で出会う存在が限られているようにロジャーには時間、アッシュには場所という概念によってその存在のソウルメイトとなる事は出来なかったがどちらも死に際になってロジャーはワンピース、アッシュは英二の手紙というその繋がりの足掛かりを得る事が出来た。
だからこそどちらも自分の欲しかったものを手に入れた事によって2人とも笑って逝けたのではないかと考察しました。
しかし尾田先生はそんな実は本当の宝は既に持っていたなんて「オズの魔法使い」のような終わり方はさせないと言っていました。
そのため形のあるものにしてもないものにしてもこれからルフィ達が旅の果てで得る物はまだ持っていない物である必要があります。
そこでワンピースとは時間、場所、魂でさえも超越したものつまりそれこそがロジャー、アッシュが生涯をかけて手に入れようとしたソウルメイトの外にある時間、場所、魂さえも超えた繋がりそしてどんな時でも望めばそこに繋がれるまさに自由なのではないかと考えました。
その場合だとルフィ達も未だに手に入れられていないものとなりますしそれこそ「ご褒美」なのではないでしょうか。
どれにしてもこれからルフィ達が旅の果てに手に入れるのか何を見る事になるのか楽しみです。
そして彼らが残した意思はそれぞれの作品で無駄にはならず残り続ける事は確かです。
ちなみに英二がその後に見出した答えを知りたい人はバナナフィッシュアナザーストーリー「光の庭」をご覧ください。