改めてここに記しておきたかったことがある。
私を産んで、今の今まで育ててくれた私の両親のこと。
父は、
裕福な農家育ちの末っ子。
かわいがられてぼんぼん(後に祖母が言っていた)で、
何不自由なく育ったそうです。
一方、母は、
七人兄弟の末っ子。
早くに私の祖父(母の父ね)を亡くし、祖母(母の母)は女でひとつで
戦中、戦後に、七人の子を育てたそうです。
戦後生まれの母は、自給自足的な生活をしていたそうで、
鶏の首を絞めて殺し、食料にしていたとか、
中学のときのお弁当は、だいたいがさつまいもで、
みんなの前で食べるのが恥ずかしくて、お腹が痛いと言い、
保健室へ行っていたとか。
さつまいもが大好きな今現在の私には、そのときの母の苦しさ、辛さが
イマイチぴんときません。
山にあるきのこや木の実は食べられる食べられないを知っていました。
高校は行けず、16歳で旅館に勤めに出たそうです。
幼少の頃、バイオリンにあこがれていて。でも高価すぎて、習いもできなくて。
なので以前母は言ってました。
『死んだとき、棺おけの中にバイオリンを入れてくれ』と。
母は誰が見ても字が下手です。
教養もありません。
なので、私達姉妹にはせめてきれいな字を書いてほしいと、ふたりともに、
小学校に上がると書道と英会話を習わせました。
お蔭様で、書道は(実際私の書く字は置いといて)段を取ることができ、
英会話は学生時に海外にホームステイに行かせてもらい、
日本じゃ体験できないことを経験をしました。
一生残る、とても良い思い出です。
私にとって、父はあまり思い出に残ってません。
遊んでもらえなかったからかな。
母も、、、
仕事ばかりでちっともかまってもらってないですが。
小・中学のイベント、入学式、授業参観、運動会、卒業式など。
私の両親は一回も来たことがありません。
驚き?なのかなー・・・。
当時の私は、それが当然と思ってました。
家の中に、
自分の周りに、
傍に、
親は居ない
、、、それが当然と思っていました。
もちろん鍵っ子でしたし。
私は結婚をし、子供が出来たら、
自分の子供にはそんな寂しい思いは絶対にさせたくない。
仕事は辞めて、子供と一緒に過ごし、
一生懸命働いて帰ってきた旦那様に温かく栄養のある
おいしいご飯を作って待っていたい。
地味・・・?
かなぁ。
最近、両親のこと、考えたら、、、、
余裕の無く、潤ってない、ギスギスした家庭は勘弁で。
結婚願望芽生えた私は、平凡がとーっても!幸せに思えます。
両親がこの世に出してくれた私の体。
大切に使いたいし、
当たり前だけど、幸せになりたい。
こんなささやかな妄想(笑)ができるのも両親のお陰。
産んでくれてありがとうございます。
でも・・・もうそろそろ妄想ではない現実が欲しい今日この頃なのです。
このご時世、こんなささやかな願もなかなか叶わない。
縁って、いったいどこにあるの?