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瀬織津姫No.233

今回は前回、時間切れとなって(何の時間だよ?)言及出来なかったムシュフシュなど11の魔物を生み出したとされるメソポタミア神話のティアマトについて少し見てみたいと思います。ムシュフシュはクンダリーニのことと考察しましたので、それを誕生させたティアマトも何らかの繋がりがあると考えられます。

ティアマトについてウィキから断片的に引用します。

ティアマトtiamat)は、メソポタミア神話(シュメール、アッシリア、アッカド、バビロニア)においてアプスー(淡水の神)と交わり、より若い神々を生み出した原始の海の女神。

彼女は原始の創造における混沌の象徴であり、女性として描写され、女性の象徴であり、きらきら輝くものとして描写される。ティアマトの神話体系には2つのパートの存在が示唆されている。

最初のパートにおいては、ティアマトは塩と淡水の間で結ばれる「聖婚」により、平和裏に秩序を一連の世代を通じて生み出す創造の女神である。次の「カオスとの戦い(Chaoskampf)」ではティアマトは原始の混沌の恐ろしさの具現化と考えられる。いくつかの典拠は彼女をウミヘビ、あるいは竜と同一視しているが、否定されている。

バビロニアの創造神話である叙事詩エヌマ・エリシュでは、彼女はアプスーを夫として初代の神々を誕生させたが、彼らはアプスーを殺し王座を奪おうと画策し、戦いになってアプスーは殺された。激怒したティアマトは巨大な海の竜に変身し、夫の殺害者たちとの間に戦争を繰り広げたが、エンキの息子で嵐の神マルドゥクに殺害された。

しかし、殺される前に彼女は最初の竜をはじめとするメソポタミアの神殿の怪物たちをもたらした。怪物たちの身体を彼女は「血ではなく毒」で満たした。マルドゥクは彼女の殺害後にその身体を割って天と地を創った。』

『メソポタミアでは女神たちの方が男神より年上であると考えられている。ティアマトの始まりは、水の創造力を持つ女性原理であり、地下世界の力とも等しく繋がりを持つナンムへの信仰を一端としていたのかもしれない。』

『アプスーとティアマトは多くの神々を生んだが、増えるにつれて増大する、神々の起こす騒ぎに耐えかねたアプスーは、ティアマトに彼らを殺すよう持ちかけた。 しかし、母なるティアマトはそれを拒否。 更にアプスーは計画を悟ったエアの魔術によって眠らされて殺されてしまう。

ティアマトは、更に続く神々の起こす騒動に耐えていたが、エアの子であり父をはるかに凌ぐ力を持つマルドゥクの誕生と、アヌによって贈られた4つの風によって遊び、騒がせるマルドゥクに苛立ち、配下の神々の批判もあってついに戦いを決意する。

ティアマトは権威の象徴たる「天命の書板」をキングーという神に授けて最高神の地位に据え、更に11の合成獣軍団を創造し、戦いの準備を進めていく。 後に神々により選ばれティアマト討伐に来たマルドゥクを迎え撃つが、マルドゥクの威容を見たキングーは戦意を喪失。 ティアマトは一人でマルドゥクに挑み、彼を飲み込もうと襲い掛かったが、飲み込もうと口をあけた瞬間にマルドゥクが送り込んだ暴風により口を閉じることがかなわなくなったところを、弓で心臓を射抜かれて倒された。

その後彼女の体は二つに引き裂かれ、それぞれが天と地の素材となった。 彼女の乳房は山になり、そのそばに泉が作られ、その眼からはチグリスとユーフラテスの二大河川がの生じたとされる。 こうして、母なる神ティアマトは、世界の基となった。

以前はその姿はドラゴンであると考えられていたが、神話や関連文献の中にそれを指し示す記述は存在せず、現在では否定されている。ティアマトの姿は明確ではないが、神話の中では水の姿をしている描写と、動物(おそらくラクダか山羊)の姿をしている描写の間で揺れ動いている。』

以上、引用。

ティアマトは本来竜の姿ではないと否定されていますが、ティアマトが生んだ11の怪獣には七つ頭の大蛇(竜)であるムッシュマッヘーとかムシュフシュなどの蛇系が多いです。





ムッシュマッヘーは「蛇とライオンと鳥の合成された怪獣」や「七つ頭の大蛇」として表わされそうですが、七つ頭の蛇は日本におけるヤマタノオロチの原形とも言われます。七はチャクラやクンダリーニの七行程ですから、その蛇が原始の地母神から生まれたということは、ムッシュマッヘーもクンダリーニ・シャクティに関連しそうな気がします。

七つ頭の蛇と言うと、以前にも記したことがありますが、菩提樹の下に棲み、そこで瞑想する釈迦を嵐から護ったムチャリンダが想起されます。菩提樹は本来はインドボダイジュであり、それはイチヂクのことであって、イチヂクはエデンの園のところで解釈したようにクンダリーニのメタファーでしたね。

釈迦伝説における「イチヂク(インド菩提樹)と蛇(ムチャリンダ)」のセットは「エデンの園にあった禁断の木の実(イチヂク)がなる知恵(善悪の知識)の樹とその果実を食べるようにイブをそそのかした蛇」という旧約聖書における「イチヂクと蛇」という組み合わせと同じです。どちらも、クンダリーニに関わることだと自分は思います。釈迦は菩提樹下で悟り、イブにも善悪の知識を得るという悟りに関わる事象がそこにはあります。

グノーシスではイブは地母神であり、シュメールのイナンナの投影であるという説から、話はここに至っています。

ムチャリンダは瞑想する釈迦を見守り『激しい嵐が起こると、自らの体を7回巻きにブッダに巻きつけ、約7日間に渡り雨風から釈迦を守り続けた』とあるように、ここでも「七」が聖数です。釈迦のクンダリーニ起動を(体内の)嵐に例えたと解します。イチヂクは女陰であって創造を司る母性の象徴でもありましたよね。

で、七つ頭の蛇であるムッシュマッヘーは「蛇とライオンと鳥」の合成獣でも表されるということなのですが、その姿はミトラやズルワーンやアイオーンということもできるのではないでしょうか?ミトラも七曜や七大天使など聖数は「七」です。ムチャリンダが釈迦を七巻きしたようにミトラも蛇に七巻きされています。意味するところは同じで、クンダリーニを象徴していると思いますよ。

瀬織津媛からは離れて話をしているようですが、「世界樹(生命樹)、蛇、地母神、クンダリーニ・シャクティ」は瀬織津媛を象徴するものであり、それはメソポタミアにまで遡ると考えられます。というか、同じエネルギーの話ですから、時間や距離といった時空を超えた話なのですけどね。

南米にもインドにも中国にも同じ象徴に関わる話はあります。自分はシュメール(メソポタミア)よりもインダス文明に原形があるのではないかと推測するのですけどね…。ナーガです。

インドのカンベイ湾に9500年前の都市遺跡が水没しているのが2002年に発見されています。海に沈んだ海底都市です。このことはインダス文明より何千年も前に既に文明があった可能性を示唆し、インダス文明はそれを引き継いでいたと考えることもできます。当然、メソポタミア文明(シュメール)より古い。アトランティスとかの海底に沈んだ古代文明が自分はあったと考えるのですが、クンダリーニテクニックはそうした過去の文明から引き継がれていると推察します。なので、世界中に世界樹信仰があったということは、それらも失われた古代文明の遺産であったと考えられるわけです。

さて、ティアマトはバビロニアでの神話に登場する女神で、それより古いシュメールでは上記したナンムが原形ではないかと言われます。メソポタミアは最初にシュメール人、その後にアッカド人、アッカド系のアモリ人(バビロニア人)、アッシリア人、カルデア人が支配しましたが、シュメールの神話や文化はかの地を支配した各民族に受け継がれていきました。

上記のカルデア人はカルデアンマギ(カルデアの神官)ということで、以前プラトンやピタゴラスが接触して影響を受けたということを記しましたが、ミトラ教の主要部分はカルデアンマギがシュメールの宗教を基に作ったものとされますから、ミトラが「ライオン・蛇・鳥の合成獣」でも表されることは、ミトラ(弥勒)はムッシュマッヘーでもあるということではないかと思います。

されば、ムッシュマッヘーは七つ頭の蛇でもありますから、それが時代を経て日本のヤマタノオロチへと変化したとも考えられなくもないです。その可能性はあるでしょう。

ならば、上の絵でミトラが持つ剣は草薙剣であり、草薙剣の魂は猿田彦大神ですから、それがクンダリーニを象徴しているというこれ迄の考察結果に符号します。

キリスト教や仏教などの宗教を遡るとシュメールに行き着くということはよく言われますし、ラガシュ市のグデア王の個人神であったニンギシュジダは蛇神であり、クンダリーニを表すカドゥケウスを象徴とした冥界の神であって、そのことはニンギシュジダがヘルメスと関連することを表していました。

また、ニンギシュジダはムッシュマッヘー同様ティアマトが生んだ11の怪獣の一つであるムシュフシュの原形ともされます。そのヘルメス(=ニンギシュジダ)と猿田彦大神は共に冥界の神であって自分的には同神となります。時を遡れば同じ根っ子が見えます。

シュメールは60進法を発明したとされ、神も60を最高に数字で表されました。60進法は時計の60分がそうですね。

最高神のアン(アヌ)が60、アンの妻のアントゥが55、風と嵐の大気神エンリルが50、その妻のニンリルが45、以下、エンキ40、ニンキ35、ナンナ30、ニンガル25、ウトゥ(シュマシュ)20、イナンナ15、イシュク10、ニンフルサグ5でこの12柱が原初の神です。

最高神のアンは星では北極星に当てはめられました。北辰ですね。今のポラリスではないと思いますが…。日本の最高神たる天御中主神(=瀬織津媛)も北辰です。そして、北辰に延びるのが世界樹となります。

日本で五十鈴など50(五十)のつく名前は、シュメール起源でエンリルに関係するという説もあるんですよ。五十鈴川は伊勢の内宮や猿田彦神社を流れます。エンリルは嵐の神なので五十嵐はエンリルを意味するとか…。自分は?で否定的ですが。

バビロンのマルドゥクが上の数列には入っていませんが、後に10という数字を与えられました。マルドゥクはシュメールではなく、バビロニアの神です。なので、ティアマトやキングーを殺して最高神の主権を象徴する「天命の書板(タブレット)」を手にし、それを最高神のアヌに渡したという話は、シュメール人からアッカド系の人達に権力が移ったことを意味するのだそうです。

このティアマトも、バビロニアの女神なのですけどね。その前身は先程記したナンムではないかとされます。前記引用したのはバビロニアの創造神話(エヌマ・エリシュ)で、マルドゥクを讃える為に神官が創作したかたちの話であって、バビロニア以前にマルドゥクという神の名前は出てきません。このマルドゥクという名前については「太陽神ウトゥの子牛」の意味があるともされ、牡牛と考えられているそうです。

で、メソポタミアでは女神の方が男神より年上と考えられていたということは宇宙の原初には女神が存在したということであり、それは創造を行う地母神ということになると思います。

その女神(ティアマト)は竜で、それを倒したマルドゥクは前記したように牡牛と考えられているのですが、竜頭蛇体であるとも言われます。また、マルドゥクは鋤の姿でも表されます。信仰する民族が違うだけでどちらもクンダリーニの神格化のように自分には思えるのですけどね。

鋤(すき)というと、シヴァ神のシンボルである「リンガ」には男根の意味の他に犁(からすき)の意味がありましたよね。シヴァの神獣は牛のナンディー(ナンディン)であり、それはシヴァ神自身と考えられています。また、シヴァ神は蛇(コブラ)を体に巻き付けます。「鋤(リンガ)・蛇・牡牛」というシンボルはマルドゥクと重なります。

マルドゥクは弓矢と三叉戟(Ψ)でティアマトを討ち、ティアマトの遺体を二分して天地を創ったのですが、マルドゥクの武器は嵐と雷です。シヴァ神も稲妻の象徴とされる三叉戟を手に持ち、バラモン教の暴風神ルドラはシヴァ神の前身の一つです。やはり、マルドゥクとシヴァ神とは重なるのです。でもって、弓矢や三叉戟はクンダリーニのメタファーでしたね。

リンガには男根と犁(からすき)の意味がありましたが、以前、推考したように犁はエネルギーラインである背骨に似ています。三叉戟は三本のクンダリーニラインですし、雷はクンダリーニそのものです。すると、マルドゥクもクンダリーニ神ということなのかも知れません。クンダリーニの象徴とみたムシュフシュを随獣としましたし。




犁(からすき)は牛ぐわとも言い牛馬に牽かせるのですが、写真の左側の部分が背骨に似ており、先端の鋤の部分は仙骨に見えます。また、仙骨は牛顔でしたね。

さて、また横道にそれましたが、ティアマトに話を戻すと、バビロニア神話のティアマトはシュメール神話のナンム(ナンモ)とされ、『ナンム女神は、「天地が形を整える以前に世界のはじめからあった淡水の海」を体現する女神とイメージされていた』そうです。

ナンムは自ら天地を創造しましたが、ティアマトの場合はマルドゥクに殺されて天地に分かたれたと話が変わります。また、ナンムが泥で人間を造ったのに対し、バビロニア神話ではティアマトの子供のキングーから人間を造ったと語られます。

シュメール神話的にはナンム(ティアマト)は混沌(カオス)ということになると思います。原初のスープです。ナンムは前述の天神にして最高神アン(アヌ)や大地の女神キの母親ですから、天地を創造したとされるのでしょう。このカオスは冥界にも通じ、生命の源であって淡水です。物質以前の存在。それが地母神です。日本でも言う水神というのは単に物質的な水のみではなく、カオスの意味も含まれるのかも知れません。

と言うことで、今回も時間切れです(だから、何の?)。

いや、時間切れです。マジ~!

私事なのですが、今年に入って、自分にはしきりにゴーサインが出ています。何のゴーサインかは分かりませんが、後ろからつつかれるような、押されるような、前に進め!といった感じで、多方面からサインが来ています。

なので、動きます!

長年、親しんできたこのブログも当分か、永遠となるかは分かりませんが、また、話はいろいろと中途半端なままではありますが、そういうわけで、一旦筆を置くことにしました。

「瀬織津媛とはクンダリーニ・シャクテイの神格化!」という結論が自分の中で既にできてしまったので、これ以上、追う必要もなく、自分がクンダリーニを昇華したことと瀬織津媛に御縁を頂いたことが、一つに結ばれたわけですから、もう、理論的には満足しています。あとはインスピレーションに従って行動することが求められています。こちらはマハークンダリーニに関することになるでしょう。

クンダリーニは前世で余程修行を積んでいない限り、巷間言われるような悟りに直結する場合は少ないと思います。肉体的精神的浄化も通過点として伴いますから、本人は苦渋を嘗めることになります。でも、それは超えなければならない必然の関門であり、試練だと考えます。己の慈愛の心を高めなければ潰されてしまうような事態も起きてきます。修行させられてるな!と感じることもままあります。それはそのように分かるようにも出来ています。

頼れるのは内なるハートの神様(真我・アートマン)への帰依のみと自分の場合は捉えます。アートマンは宇宙魂の分霊ですからね。宇宙生命は一つ、神様も一柱。その神様は一即多、多即一であらゆるものに遍在しますから、あらゆるものに神が宿り、その神様は自分の内なる神と同じ神様と言えます。だから、自他不二。

とは言え、人は自我という錯覚の自分を本当の自分と勘違いしているので、利己的・自分本意が普通の人間の有り様ですから、面倒臭いことがいろいろとあります。人はどうあれ、自分の視点は「あなたはわたし」といきたいところです。如何なる人のハートにも自分と同じ神様が宿っているという刷り込み作業を続ければ、また、肉体ではなく、生まれも死にもしない始まりも終わりもない永遠が本当の自分であると刷り込めば、その真理は思考に投影されてきます。

己を虚しくすることで、エネルギーもハイレベルになって行きます。自分はまだまだ修行中ですが、瞑想だけは欠かしません。絶対他力で神仏にお任せになり切れるよう、全てを受け入れ、直感で動けるよう精進するつもりです。

ということで、また、書く時もあるでしょうが、当分は凍結致します。

じゃね!








 
 
 

 
瀬織津姫No.232

話はイナンナ(イシュタル)にも世界樹(生命樹)にまつわる神話が残されるということに始まり、その世界樹の頂きに巣を作った鷲と獅子の合成獣アンズー鳥の話、さらにはムシュフシュに話題が移り、今回はそのムシュフシュを生み出したシュメールの原初的地母神ティアマトについて言及する予定です。

シュメール神話には沢山の神々が登場しますので、それをいちいち取り上げると、名前だけで混乱してしまいます。なので、話の流れに乗ってリンクされた事柄を辿ってクンダリーニや地母神に関係しそうなことを追ってみようと思います。今回はティアマトです。

ティアマトは神や個人、森羅万象の運命が記された最高神のみが持つ「天命の書板」を初めに所持していたとされる女神です。この主神の象徴である天命の書板がエンリルに渡ったバージョンでは、エンリルの随獣アンズーがそれを盗んだとされましたね。

その討伐に向かわされた神名にマルドゥクがありましたが、ティアマトからその息子のキングーに天命の書板が渡り、マルドゥクがそれを奪い取ってアンに渡したとか、自分が最高神の地位に就いたとかいうバージョンもあります。これだとエンリルには渡らなかったことになりますが、マルドゥクからエンリルに渡されたというヴァージョンもあります(複雑!)。

聖獣ムシュフシュはエンリルやマルドゥクの随獣でもありましたが、一匹のムシュフシュが神々を渡り歩いたということではないと思います。


グデア王がムシュフシュの元ともされる自分の個人神ニンギシュジダに奉納した酒瓶には蛇神ニンギシュジダ(絡まる蛇)と「二匹のムシュフシュ」が描かれます。ムシュフシュが二匹描かれるということは、それが唯一単独の聖獣ではないことが推察されます。

エデンの園の守護にあたった神々の乗り物であるケルビム(ケルブの複数形)が契約の箱の左右に二匹おかれたように、また、ニンギシュジダの肩に二匹のムシュフシュが乗るように、これらは陰陽のクンダリーニを表すと考えられますので、本来はツインのはずです。初期のムシュフシュが首を絡ませる二匹の獅子であることがそれを表しています。



なので、一匹の場合は二匹のムシュフシュが統合された姿であり、更にムシュフシュに羽があれば、それはヘルメスの杖の羽と同じで天への伝令者という意味が付加されたということではないかと思います。

陰陽のクンダリーニということで言えば、阿吽である神社の狛犬(狛獅子)はこうしたところに由来しているのかも知れませんね。日本にはいなかった獅子(ライオン)ですし…。すると、神社が蛇(竜)神を祀るとすると、その神はニンギシュジダと同じく冥界の神ということになるのかも知れません。

と、ここまで書いて何なんですが、ニンギシュジダの肩に乗る角のある蛇は「バシュム」であるとの説がありました(笑)。

ムシュフシュであろうとバシュムであろうと、エネルギー視点からはクンダリーニのメタファーと考えるのですけどね。

バシュムとはティアマトがマルドゥク戦の為に生み出した11匹の怪獣の一匹で前足のある角の生えた蛇、つまり竜ですが、ムシュフシュと時々、置き換えられたそうですから、ムシュフシュとは同体みたいなものだと思います。アッカド文化圏では「毒蛇」「誕生の女神の蛇」という概念でバシュムと呼ばれました。

「誕生の女神の蛇」とはクンダリーニ・シャクティにして大地母神たるティアマトのことでしょうから、その誕生の女神の「蛇」とはやはり、クンダリーニのことであると自分は考えます。また、ティアマトは竜や海蛇と同一視されることがありますから、大地母神(クンダリーニ神)にして竜蛇の女神ということで、日本の女神、瀬織津媛に重なります。

引用。

『標準バビロニア語の文書ではバシュムは戦闘神ティシュパクに倒された敵だったり下僕だったりしている。ある神話では、バシュムは海の中で創造され、魚、鳥、野生のろば、そして人間を貪り食ったという。

神々は「蛇を誘惑するもの」ネルガルを地上に送り込み、この蛇を従えさせた。

ウシュムガルルとしてのバシュムはシュメール語のウシュムガルに由来し、時々、神ナブー、またはニヌルタのドラゴンたるムシュフシュと置き換えられることがあった。』

『シュメール語で龍のことをウシュムガルと言う。ウシュムは「唯一の」、ガルは「偉大な」という意味であるが、ウシュムガルは同時に「独裁者」をも表し、権力と結びついている。

一方、王を現わす「ルガル」のルは「人」、ガルは同じく「偉大な」である。王とは別の存在の「唯一の偉大な龍」が独裁統治していたことを表わしているようで非常に興味深い。』

以上。

「唯一で偉大な龍」が神の随獣或いは乗り物とされたのは、地上と神界間の次元を超えて伝令の役や魂の運搬者の役を果たすからであり、それはクンダリーニのことであると考えます。

それは、王にとっては神界と繋がる唯一の手段ですから、人間界における神の仕事の統率者たる王はクンダリーニ昇華者でなければいけないということもここは意味すると考えます。日本の天皇も本来はそうあるべきなのです。日本の神官の最高峰の立場ですからね。で、シュメールではその蛇や竜で表されるクンダリーニが、ニンギシュジダのような個人神として人格化されたのだと思います。

引用文で気になるのは「蛇を誘惑するもの」ネルガルを地上に送り込み、この蛇を従えさせた。』というところです。

蛇であるクンダリーニを「誘惑する」もの「ネルガル」とはどんな神なのでしょう。

引用。

ネルガル(Nergal)またはニルガルは、バビロニアの神の一柱で、彼への信仰は、バビロンの北西15マイルのクター(英語版)Cuthah(今日ではテル・イブラヒムTell Ibrahimとして知られる)という都市で主要な地位を占めていた。旧約聖書「列王記」に、ネルガルはクターの神であるとの言及がある。

ネルガルはある面では太陽神の側面を持ち、しばしばシャマシュと同一視される一方、太陽そのもののことを指しているとも考えられる。神話や賛歌の中では、戦争と疫病の神として描かれており、正午や夏至の太陽が人類にもたらす災禍を表していると思われる。メソポタミア人の暦では、夏の盛りは死をもたらす季節だったからだ。

ネルガルはまた、死者(アラルAraluまたはイルカラ(英語版)の名で知られる地下の大洞窟に集められると考えられていた)の国のパンテオンの頂点に立ち、黄泉の国を宰領する神でもある。その能力から、女神アルラツ(英語版)ないしエレシュキガルと関連づけられる。アルラツはアラルの民を統治する単独の支配者とされることもあるが、いくつかの資料では、アルラツまたはエレシュキガルが、ネルガルの息子ニナズ(英語版)を生んだとされている。

一般的にはネルガルは、配偶者であるラズ(Laz)と対にされ、標準的なイコンでは彼をライオンとして描く。』

だそうです。太陽神シャマシュと同一視される神で、黄泉の国の主宰神。つまり冥界の神であって、閻魔大王的存在。また、アルラツまたはエレシュキガルという女神と関係した男神で、ライオンに象徴される神ということです。

太陽神シャマシュはイナンナの兄、太陽神ウトゥと習合されていましたよね。太陽とは何度も記しますが、自然界にある現実の太陽とクンダリーニ昇華により辿り着く宇宙太陽(=霊界太陽・大日如来・天照大神・ミトラ)という二通りの意味があります。冥界の太陽とは後者となります。

象徴のライオンは光を放射する太陽の顔です。白日神ですね。日本の太陽神たる猿田彦大神は白髭明神でもありますが、その白い髭も太陽光線を表すとされます。猿田彦大神はクンダリーニ神であり、閻魔大王(=地蔵)でもありますから、ネルガルとはダブります。

で、クンダリーニたる「蛇」を「誘惑するもの」とはクンダリーニ(蛇)は人の魂をその生まれ故郷である霊界太陽(ネルガル)へと連れ行くエネルギーですから、蛇の側からすれば確かにネルガルに誘惑される存在となります。すると、ネルガルはエネルギー的には最高神なのですが、神話ではそうでもないようです。神格化されたエネルギーが何を意味するかは想像できるのですけどね。

ネルガルの配偶神はラズと上記の引用文にはありましたが、イナンナの姉で冥界の女王であるエレシュキガルやマミトゥがネルガルの妻とされる場合もあります。

エレシュキガルは冥界神で「死の女主人」とされる女神です。エレシュキガルは日本のイザナミのような女神でしょうか。

エレシュキガルもクンダリーニに関係する女神なので引用しておきます。

『シュメール神話編集

アヌの娘であるにもかかわらず、自分の王国である冥界に容易に神々を迎えなかったことから、他の神々から疎外されている。彼女は地上の人間が死んで冥界に来たのを食べていたが、死者を呼び込むために、しもべのナムタル(英語版)をたびたび地上に送っては、人間達の間に60種類の病気を広めさせた。彼女はまた、底無しの性欲を持つといわれている。

「天の女主人」と呼ばれるイナンナとは姉妹の関係となる。光を司るイナンナに対し、エレシュキガルは闇を司っている。そして二人は敵同士でもある。』

『バビロニア神話編集

バビロニア神話(アッカド神話)にもエレシュキガルは同じ名前、同じ役割で登場し、ネルガルの妻とされている。「ネルガルとエレシュキガル」では以下のような物語が伝えられている。

ある時エレシュキガルは、天上での自分の居場所を求めて、使者ナムタルを送り込んだ。すると、ネルガルだけがナムタルに対して不遜な態度を取った。これに腹を立てたエレシュキガルは、ネルガルを冥界へ呼びつけた。ネルガルはエレシュキガルの前では愛想良く振る舞い、彼女の心を惹き付けておきながら、突然冥界からいなくなった。

この仕打ちに再度エレシュキガルは怒り、ネルガルを呼びつけた。今度は帰れる見込みはないと覚悟しつつネルガルは冥界に戻り、エレシュキガルを押し倒してその伴侶となり、彼女から冥界の支配権を得てその王となった。

彼女の夫は古くはグガルアンナ(天の大いなる牛の意)、古バビロニア時代以降はネルガル(エラ)で、バビロニアの都市クタ(アッカド語:クトゥ、ヘブライ語:クター)では彼女を奉る主要な神殿があった。』

以上。

イナンナと姉のエレシュキガルの関係はヴィシュヌ神の后神であるラクシュミーと貧困と不幸をもたらす姉のアラクシュミー、コノハナサクヤ姫とその姉のイワナガ姫のパターンに似ていますね。

クンダリーニの善悪両面を象徴しているように思えます。悪はエネルギーが未だ昇華されないので毒蛇です。「底無しの性欲」もクンダリーニ・シャクティ(性力)を表していますし、古い夫が牛であることも蛇と牛の関係ですから、クンダリーニを象徴します。

要は何を題材として神話が作られているかということですが、冥界とか蛇(竜)はクンダリーニエネルギーに関係すると自分は解釈します。神の系譜もいろいろとパターンがありますが、イナンナとウトゥ(=シャマシュ=ネルガル)は双子の兄妹、イナンナとエレシュキガルは姉妹。ならば、ネルガルとエレシュキガルも兄弟となってしまいますが、それぞれがクンダリーニの特性を神格化したものと考えれば、そこに矛盾はあまり感じないでいられます。

ネルガルが太陽神であり、疫病神とされるのは猿田彦大神が牛頭天王やスサノオ、艮の金神などの疫病神にかぶることと同じです。

さてさて、話は個人神ニンギシュジダの背中のウシュムガル(バシュム・ムシュフシュ)からあちこち飛んでしまいましたが、ニンギシュジダについては樹木(世界樹)の神でもありますから、それは日本の神社では御神木と関係するでしょう。

境界神ヘルメスの前身が道の四辻に祀られ、そこには男根と樹木があることは過去に記しましたが、このことは日本においても境界神たる塞ノ神(地蔵・道祖神・男根)と樹木がセットであることがこれに一致しますので、塞ノ神などはヘルメス神の影響が見られることを以前、指摘しました。

道祖神・お地蔵様などは道標としての役割や土地の境界を示すだけではなく、あの世とこの世の境界神・冥界の神でもあることから、これらの神は、ヘルメス同様に男根(リンガ)をシンボルし、天の八街における導きの神たる猿田彦大神に帰一します。ヘルメスと猿田彦大神とは同神であるということは以前、解しましたよね。

ヘルメスがニンギシュジダに帰するのであれば、その神としての性格は猿田彦大神にあってもシュメールにまで遡れるわけです。エジプトではオシリスがこれに相当します。

シュメールの神々も風や雷や水といった自然現象にその起源を探れます。シュメールにおける神の階層は宇宙の森羅万象、神や人の命運が記された天命の書板を持つ神が神々の主神たる最高神でしたね。その下にラガシュ市のニンギルスのような都市国家の守護神がいて、その都市の王にはニンギシュジダのような個人神が付き、王は人民の上に立つ現人神(あらひとがみ)とされるという体系となっています。

絵では王は剃髪して冠を被りませんが、王は冠に角が一組だけとなります。それに対し、個人神で蛇神のニンギシュジダは都市神と同じくたくさんの角がついていますから、クンダリーニ神は高い地位にあると考えられていたと推察できます。

ティアマトについては次回になってしまいました。


(続く)
瀬織津姫No.231

イナンナの世界樹(生命樹)に巣食ったライオンと鷲の合成獣たるアンズー鳥の考察から、前回はムシュフシュというシュメール(エンリル神)やバビロニア(マルドゥク神)の最高神に随従する霊獣のことに話が及びました。時代時代でその姿は変遷していくのですが、ムシュフシュは毒蛇の頭とライオンの上半身、鷲の下半身、サソリの尾を持ち、頭には角が二本生えており、時として翼のある姿でも描かれることがある…といった姿をしています。





お借りした一番下の絵にその変遷する姿が描かれていますが、これを見ると、一貫性がありませんので、この霊獣が何らかのシンボルとして作られたものであることが分かります。当初は首を蛇のように絡める二頭のライオンといった感じです。蛇と獅子(ライオン)があったり、角(牡牛)が生えたていたり、翼(鷲)があったりもしますから、ここにはこれ迄見たクンダリーニの要素が含まれています。

ムシュフシュの名は「怒れる蛇」「畏れ多き蛇」を意味すると言われます。また、ムシュフシュ(Mušḫuš)の「uš」は「畏敬の念を起こさせる」という意味があり、「赤」を意味する語でもあることから、「赤い蛇」という訳もあります。この赤い蛇は後に「赤い竜」、つまりサタンに変わったともされます。道教における赤竜は背中で燃えるように熱く体感するクンダリーニエネルギーを表しますが、これらは同じものだと自分は思いますよ。

怒れる蛇とは毒蛇であって、それはクンダリーニの爆発力や荒ぶる部分であり、畏れ多き蛇とは悟り(神)へといざなうエネルギー(蛇)であるからと解釈できます。

絵の説明をすると、二枚目の絵には羽の生えたムシュフシュと四人の人物がいますが、右から三人目はシュメールのラガシュ市の王であるグデア王とされます。右と右から二番目の人物はバーニーの浮き彫りに描かれたイナンナと同じ四重の角の王冠を被りますので神であり、右がラガシュ市の都市神ニンギルス、その隣がグデア王の個人神ニンギシュジダとされます。

都市国家ラガシュのニンギルスはニヌルタともいい、この神の聖獣は「双頭の鷲」とされます。双頭の鷲についても以前記しましたが、考察結果は、やはりクンダリーニのメタファーということでしたね。

シュメール人は神々の代わりに働くという考えがあり、神は絶対でした。ここから、ニビルとかなんちゃらと宇宙人の話に移行することが世間ではありますが、自分はクンダリーニという視点から考察していきたいと思います。

ニンギルス(ニヌルタ)の名前は前回も出ましたよ。ライオン鷲のアンズーが最高神エンリルから盗んだ「天命の書板」を取り返すために向かわされたとされる神の一柱として『エアとベレト・イリがニヌルタを書板の奪還に向かわせたという』…とありました。

で、絶対である神に願い事をとりなしてもらう為には、王個人の個人神という存在が必要でした。「ニンギルス」と名前が似ていて混同しやすいですが「ニンギシュジダ」はグデア王の個人神で、絵では守護神としてグデア王の手を引いています。

個人神のニンギシュジダは冥界の神です。

引用。

『グデア(ラガシュの王)の個人神ニンギシュジダは、「豊穣、復活の神」「冥界の神」として、龍蛇の姿をした蛇神の一柱で、カドゥケウス(身を絡ませた蛇)が象徴とされている。占卜、除魔を行うものとして後に、水星と合一され、治療医薬の神ともみなされた。』

『ニンギシュジダは「真理の樹の主人」を意味し、植物神であった。同時に冥界の神で、蛇神でもあり、豊饒神でもある』

『ニンギシュジダ神の両肩から飛び出している冠をかぶった蛇は、ムシュフシュであり、このムシュフシュが、ニンギシュジダ神の前身であったとも考えられている。』

以上。

これら引用文からは「グデア王のクンダリーニがニンギシュジダであり、且つ、ムシュフシュである」という定義が自分的には導き出されます。擬人化されたり、擬獣化されていますが、これらはクンダリーニエネルギーであると…。

二枚目の絵で言うと、肩から飛び出した角のある蛇(牡牛+蛇)が、ムシュフシュであり、その霊獣ムシュフシュの神格化された神がそれを肩に乗せ、人の姿で表されるニンギシュジダ。また、絵の左端の生き物も羽が生えていますが同じムシュフシュであるということですね。

背中からの蛇はイダー・ピンガラの陰陽のクンダリーニ、羽がある姿は羽毛の生えた蛇であるマヤやアステカのケツァルコアトル(ククルカン)があり、こちらもクンダリーニを象徴していましたね。マハークンダリーニです。そして、ケツァルコアトルも金星の精です。

マヤなどのピラミッドが世界樹(生命樹)であり、人体で言えば背骨にあたります。シュメールにおいては螺旋に通路のあるジグラッド(天と地を繋ぐもの)がこれに当たると考えます(写真下)。三枚目の写真は太陽光によりククルカンの降臨が視覚化されたピラミッド。





ニンギシュジダは冥界(あの世)の神ですから、死者の魂を冥界へと導く神、つまり、日本の猿田彦大神とは同じ役目を担う導きの神で、天の八街(やちまた・中有界)にあってあの世とこの世を繋ぐクンダリーニ神です。復活の神とは生きたまま死と再生(悟り)をするというクンダリーニ昇華の目的を表します。「真理の樹の主人」とは背骨の生命樹(クンダリーニライン)が真理へと向かう樹であり、その主人が竜蛇の姿ということはニンギシュジダがクンダリーニの擬人化された神であることは間違いないと考えます。

なので、ニンギシュジダがムシュフシュの前身であるという説があることは、ムシュフシュがクンダリーニの擬獣化であると言えます。そのニンギシュジダの象徴がカドゥケウスですから、同じく二匹の蛇が絡む杖をシンボルとし、やはり冥界の神であるところのヘルメスと同じ起源と考えます。猿田彦大神=ヘルメスでしたが、ニンギシュジダはヘルメスの元かも知れません。ニンギシュジダが水星と合一されたとありますが、水星は水銀であり、錬金術(クンダリーニ・テクニック)の星です。




グデア王が自分の個人神ニンギシュジダに捧げた酒瓶には真ん中に棒(スシュムナー管)、両端に剣(背骨)があり、その中に絡まる蛇(クンダリーニ)が見えますが、この絡まる蛇が蛇神のニンギシュジダと考えられます。で、二頭のムシュフシュはニンギシュジダの肩から顔をのぞかせていた二頭に相当するかと思います。二頭いるということが象徴的であり、キーポイントですね。

或いはニンギシュジダが中央スシュムナー管の陰陽和合されたクンダリーニ、二頭のムシュフシュは陰と陽のクンダリーニと解釈できますが、三相一体であり同体です。蛇とムシュフシュは同じクンダリーニを表すのですが、足がない蛇は機動力に欠けるのでライオンと鷲という地上と天空の最強動物をそこに象徴動物として加えたのかも知れません。ムシュフシュはマルドゥクのもとで竜となりますから、蛇から竜への変遷もこのあたりに見えます。

旧約聖書でイブを誘惑した蛇(サタン)はヤハゥエに呪われてから地を這うものにされましたが、それ以前には足があったという解釈もされます。この蛇は黙示録では「あの古い蛇」あるいは竜と言われます。同じクンダリーニを表す聖書の蛇とムシュフシュ(竜)ですから、ここは赤い竜であるムシュフシュから足を奪って蛇にしたという推理も成り立ちます。

旧約聖書の絶対神ヤハゥエに対して、イブ(イナンナ)にしろ蛇(ムシュフシュ?)にしろ、そこには対立するものとして、クンダリーニという概念が絡んでいるように思います。それはまた対地母神(クンダリーニ・シャクティ)ということでもあり、父なる神を仰ぐ父性社会対母系社会という構図でもあるでしょう。

「真理の樹の主人」とか「神の樹の主人」と言うのがニンギシュジダですが、神の樹とは生命樹(世界樹)のことですから、ニンギシュジダは冥界の神たるクンダリーニ神ということです。ニンギシュジダがムシュフシュとなったとの説が上記したようにありますが、ムシュフシュには変遷がありますから、それ以前からクンダリーニの擬獣化された姿で存在していたと思われます。なので、ムシュフシュは冥界神であるニンギシュジダに付加された同じ性格を持つ存在だと言えるかと思います。

ムシュフシュの変遷を引用します。
  
『ムシュフシュは古くはエシュヌンナ市の都市神ニンアズ神の随獣であった。アッカド王朝時代(前二三三四-二一五四年頃)あるいは前二〇〇〇年紀前半の古バビロニア時代にティシュパク神の随獣になった。さらにラガシュ市ではニンアズ神の息子ニンギシュジダ神の随獣ともなり、ムシュフシュは円筒印章の図柄などに登場した。
 
バビロン第一王朝(前一八九四-一五九五年頃)のハンムラビ王(前一七九二-一七五〇年頃)がエシュヌンナ市を征服した後で、ムシュフシュは出世してバビロン市の都市神からバビロニアの最高神に出世したマルドゥク神の随獣となり、後にはマルドゥクの子であるナブ神の随獣にもなった。』

で、ラガシュ市の守護神はニンギルス(ニヌルタ)でしたが、ニンギルスとバビロニアのマルドゥクはともに最高神エンリルから天命の書板を盗み出したアンズーの討伐に向かわされたという共通の神話を持つ神です。マルドゥクはキングーから天命の書板を奪い取って最高神になったという別の話があるので、向かわされた後の話は分かりませんけどね。

別々にそれぞれの神がアンズーを退治したことになれば、アンズーもムシュフシュ同様クンダリーニの象徴だと解しましたので、「獅子+鷲」のアンズーに蛇やさそりが付加されたムシュフシュが最高神の随獣というその役目をアンズーに代わって担うことになったのかな?とも考えます。

ムシュフシュやアンズーに関しては、調べれば調べるほど別説があって混乱をきたしますが、その象徴するところはクンダリーニだと自分は考えるのですけどね。

アンズー鳥は最高神エンリルから天命の書板を盗み出しましたが、ムシュフシュはアンズー同様そのエンリルの随獣でもあったことは前述しました。「 ラッブ神話」によると、『ムシュフシュは、うるさい人間達を一掃するためにエンリルが地上に送り込んだ怪獣で、ティシュパクによって倒され、その後、エンリルがムシュフシュを随獣とし、人々を再整理した。』とあります。一説にはエンリルそれ自身がアンズーともされるのですから、訳が分かりませんけどね。

アンズー、ムシュフシュ両者ともにライオンと鷲の合成獣なのですが、ムシュフシュには蛇などの要素が加えられています。神が作ったのではなく、実際のところは神官の創作なのですけどね。日本もそうなのですが、時代時代の支配者層に合わせて神や聖獣はその性格が変化するのです。だから、錯綜する。

ムシュフシュはイナンナ(イシュタル)の随獣でもありましたよ。『新バビロニア時代(紀元前7世紀)に造営されたバビロンのイシュタル門には、天候神アダドの随獣である牡牛とともに四本足を持つ蛇に似た図像のムシュフシュが描かれている』とあります。蛇と牛ですね。


で、エンリル版ではなく、ムシュフシュの登場に関しての主な話は以下となります。

引用。

『アッカドの叙事詩「エヌマ・エリシュ」では、古い神々であるティアマト女神が若い神々であるエンリルやエンキらに反抗し、戦いを挑んだが、その際、ティアマト女神がマルドゥク神と戦うために生み出した11匹の怪物の1匹の中にも、ムシュフシュの名前を見つけることができる。ティアマト女神がマルドゥク神に倒された後は、マルドゥク神の軍門に下り、彼の随獣となった』

以上。

マルドゥク戦の為にティアマトが生んだ怪物の一つだったものが、戦いの勝者であるマルドゥクの守護獣となったわけですが、そこで殺されなかったのは、それだけの役目があったからです。これも神官の頭による采配で、そのようにされたわけではありますけどね…。

ティアマトのマルドゥク戦において生み出した11の魔物です。

『ウシュムガル(龍)*ムシュマッヘ(七岐の大蛇)*ムシュフシュ(蠍尾竜)*ウガルルム(巨大な獅子)*ウリディンム(狂犬)*ウム・ダブルチュ(嵐の魔物)*ラハム(海魔)*ギルタブリル(蠍人間)*クサリク(有翼の牡牛)*バシュム(毒蛇)*クリール(魚人間)』

八岐大蛇(やまたのおろち)ならぬ七岐大蛇ってのがいますね。これらは日本では土蜘蛛とか鬼とか牛鬼とかで、創作には同じ傾向が見られます。

ムシュフシュは随獣とも乗獣ともされ、神々がムシュフシュに乗る姿も残されます。神の乗り物とすると、ケルビムやグリフォンたるアンズーもそれですから、ますます、ムシュフシュはクンダリーニっぽいです。

ここではティアマトがムシュフシュを生んだことになっていますが、ティアマトというのは原初の女神で神々の母たる地母神です。天命の書板を始めにもっていたのもティアマトです。

宇宙万物全ての運命が記された天命の書板はエンリルに渡ったとか、ティアマトの息子にして夫のキングーからマルドゥクに渡ったとかのヴァージョンがありますが、元々はティアマトの持ち物であったわけですから、当初は女神であるティアマトが森羅万象の運命を握っていたということです。ティアマトはシュメールの西王母ですね。

そのティアマトが地母神であり、ムシュフシュを生んだとなれば、地母神とは西王母やカーリーがそうであるようにクンダリーニ・シャクティ(性力・豊饒)の神格化ですから、ムシュフシュにその要素があっても不思議ではありません。

何だか話はどんどんふくれていきますが、「アンズー(グリフォン)=ムシュフシュ=クンダリーニ」で、それは地母神(クンダリーニ・シャクティ)に由来するということは言えるのではないかと思います。日本の猿田彦大神もこれまで見たように鷲をシンボルとしますし、瀬織津媛(蛇・竜)共々、元を辿ればこうしたところに遡るのかも知れません。

神話における神々や聖獣は様々ですが、そこには創作された神々の元となる気象やエネルギー、民族意識などが確実に存在するはずで、火や水など、その現象や物質の原動力を象徴化したのが多神教のそれぞれの神々だと考えます。

多次元にまたぐエネルギーであるクンダリーニにしても、それを認識するのは通常困難ではありますが、人にも地球にも生命力としてそれは内在し、機能しています。人の生死を司る最重要のエネルギーがクンダリーニだと考えます。

次回は地母神ティアマトをもう少し理解してみたいと思います。


(続く)