何でもかんでも真っ白けにホワイト化する、怖くて息苦しい風潮。
人間なんてもともとゲスくて強欲でどうしようもない生き物じゃないでしょうか。
わたしは性悪説を信じますよ。
完璧な人間なんているんでしょうか?
もうまず「人」って漢字からして寄っかかり合いじゃないですか…
欠陥だらけゆえに社会から弾かれた自分が偉そうなことを言えたものじゃないんですけど、そもそも程度の差はあれ不完全な者どうしが支え合って、社会って形成されてるんだと思うのですよ。
申し訳ないんですけど立派に見える人だって仕事が超デキる人だって、社会に自分のだめなところや汚いところを見せる隙がないから社会で役に立ててるだけだと思うんですよ。
立派な人にだって、めちゃめちゃ部屋が汚くて超絶だらしない人とか、盗撮やって捕まっちゃったりする変態さんとか、何股もかけちゃってたりとか、お子さんが非行に走っちゃったりとか…何かしらあるじゃないですか。
そもそも資本主義社会で経済活動を行う人間が存在してる事自体、地球環境に多大な負荷をかけてますよね
生態系を破壊したり地球温暖化を勧めちゃったりしていないのって、アマゾンとか南太平洋のど真ん中あたりの未開の奥地に非文明的なコミュニティを作って、森の中で動物たちと一緒に仲良く慎ましく暮らしている人たちぐらいのものだと思うのですよ。
昔は清濁併せ呑むという言葉のように、汚いところでも何でもかんでも暗黙の了解みたいなところがあった。
社会は汚い。
大人は汚い。
子供も汚い。
世の中が汚いのは当たり前でした。
だから子どもたちも尾崎豊とかブルーハーツとかを聴き、ツッパリになって汚い大人に反抗するガッツが有り余っていた。
会社のオヤジがお茶くみのオネエチャンのお尻を触っても、オネエチャンたちだって負けずに
「やだ、課長ったら、エッチねえ!」
とか大きな声でやり返していた。
それどころか女の特権を活用し猫なで声で甘え、その後みんなで奢らせるぐらいの明るさとか図々しさがありましたよね。
昭和のスポ根ものにありがちな、先輩やコーチからの
「お前みたいな性根の腐ったやつはいっぺん死んでこい!」
とかの罵倒もそこらにあった。
往復ビンタとかとセットで普通にあった。
けど、本気でそう思って言ってるわけじゃないってことはその場の誰もが分かっているぐらいの信頼関係はあったような気がするんです。
今同じことを同じ感覚でやったらすぐにスマホでSNSに書き込まれて
それで拡散されてフルボッコですよね。
最悪のケースでは社会的に抹殺される。
人対人で対峙するとか自分に向き合うより先にスマホに打ち込む
「声を上げよう」と称してなんでもかんでもアップしたり訴えたりすることを推奨する世の中
声を上げる弱者といいますが、すでに逆転してませんかね
汚いところもあってそれを分解してるやつもいて身を隠す葦とかヘドロとか水草もあって、おおらかな生態系の循環ができていた池の中にどんどん薬を投入して葦もヘドロも水草も片っ端から引っこ抜いているみたいです
汚いものもそれを退治するやつも影の部分もまとめて排除しちゃう
そして「クリーン」になった池にはなんにも生息できなくなってしまう
そんなふうに見えてしまう、この感じ…
水清ければ魚棲まずっていうじゃないですか
「チクショー!」
と思うようなことは社会ではつきもので、それらに遭遇した場合の対応はいろいろだと思います。
絶対見返してやる!とその相手に勝つ・倒すなど、見返す努力をする。
文句があるならその相手に直接言う。
きっぱり「ノー」という意思表示をする。
どれもできないなら、敗北を認めたって良くないですか?
私なんてその繰り返しですよ
別に負けるのが悪いことだとも思ってないです
人を恨んだって仕方ないじゃないですか
(まあ、大した経験もしてないんですけど…全部自分が悪いんだし)
昔の基準に照らしたって刑事事件になるような悪質で深刻なものはおいておいて、
自分の対応を変えれば成長の種になる・糧になる・教訓になる…
っていうケースもあるんじゃないでしょうか?
なんでもかんでもすぐスマホを取り出しSNSに書き込み拡散させる。
もしくは法律を振りかざし、相手を社会的に抹殺する。
それってすごくめんどくさいし、エネルギーが要るし、陰湿に感じます
もしかしたらその被告になってしまった人は、成長してもらおうと思って本音でぶつかってきたのかもしれないじゃないですか
本当に、すぐに訴えるという手段に出るのを推奨して回る動きが盛り上がってますよね
#Me Too運動って、報道で表に出てきてる人たちみんなすみませんがとってもお強そうなんですが…
本当に虐げられている・救済が必要な立場の人は、表に出てこられることってほぼないと思うんですよ…
で、社会の片隅のそのまた隅っこの、陽の当たらないところでひっそりと生活しているんです…だから支援も届きにくい。
日陰の人生でなくたって、嫌な思いをした人、悔しい立場の人、
忸怩たる思いでいる人はそりゃごまんといるでしょう。
「声を上げる」ことを勧めて回る必要、ありますか?
自分らの対応を他人に勧めて回らなくても。
SNSで拡散しなくても。
そう思ってしまうんですが…
みんなでやろうよ!みたいな風潮がすでに怖いんですよ。
同調圧力っていうんですか?
あんたも参加しなさいよみたいな…
集団行動が超苦手な自分みたいなやつからしたら、もうこのノリ自体が苦手です
ハロウィンとかラグビーブームとかオリンピック騒ぎと同様
ウヘェ…('A`) となってしまいますね
追記:
高校生が大学入試の英語検定試験適用に関する一連のアレレな出来事に対して怒りのツイートをし、それが拡散されたことで流れが変わってきたのとかは、いい使い方です。どんどんやってやりましょう