「人は神様じゃないから1人で産み出せるのはゴミぐらいなもの」
これは、私の持論だ。
ある日
自らの失敗を悔やんで
自分のせいであんな事になってしまった
と嘆く人がいたので
「君は神様なの?」
なんて訊ねた。
その人は何か良い事があると
「みんなのお陰様で,,,」
と、的を射た発言をするのだが
何か良からぬ事があると
「じぶんのせいで,,,」
と、神様のフリをする。
だからって人を恨みたくない
それは理解できるのだけれど
その自分以外の誰かも神様じゃないから
良い事も悪い事も産み出せやしない
だから、悪い事があれば
誰が悪いか、直すべきか、ではなく
みんなで直したら良い
そう思うのは私だけなのだろうか?
例えばイジメが悪い事として産み出された時
イジメる人が悪いか、イジメられる人が悪いのかの討論は、私からして不毛であり、愚考にしか思えない。
みんなで直していこう
私の中ではとっくに結論付いた話である。
あなたは、誰が産んだのであろうか?
お母さん1人?
そんな人間は存在しない。
「お前の子だ!」「あなたの子よ!」
そんな討論、哀しくはないだろうか?
植物・動物・人
世にはカタチ有るものだけが産み出されているワケじゃない
感情・言葉・雰囲気
日々様々なものが産み出されている。
そのどれもが、人と人とで世に産み落とされた赤子だ
」