爺さんの思い出話です。お付き合い頂けたら嬉しいです。
知り合いの家の裏を登ると対岸に江田島が見えます。(濁音では無く~えたじま だそうです。 カミサンに言われました)
対岸の江田島
さてと、もう四半世紀以上昔の事です。
仕事の合間に遠路とんぼ返りで付き合っていた方に会い、第一術科学校に行きたいと頼みました。
何年か後であれば呉市海事歴史科学館(通称~大和ミュージアム→当時は未だ呉市海事博物館?の名前で設立準備中)を選んだかも知れません。
なぜ、術科学校なのだろうと思われたかも
2人で呉の港から船で小用に渡り路線バスで第一術科学校に着きました。
受け付けを済ますと他の見学の方は居なかったので案内の隊員の方と2人の計3人だけの見学でした。
(最近は、見学が増えたらしいですね)
案内の隊員の方は略綬を幾つも胸に着けた方でした。
階級章には詳しく無く、判らなかったのですが、もしかしたら尉官か佐官の方だったかも知れません。
専任の方の案内?で少し豪華な?見学だったのかなと、帰宅後に得した気分になりました。
見学は教育参考館などの、お決まりの順路でした。
次の予定まで残り時間が少なかったので残念ながら売店には寄れずに帰りました。
案内の方は
「売店には寄られないのですか?」
と残念そう?☹️に帰り際に言っていました。
しかし帰りを急いだのでタクシーを呼んで小用の港まで戻りました。
確かタクシーの呼び出しボタンが術科学校の衛門の外に在りました。
そして・・・
十数年後に再度、術科学校を訪れました。
その時は見学者が増えており、見学前に部屋に集合して説明を受けました。
その時に曜日に依り見学コースが異なる事を知りました。
その時の案内の方は一見、平服で退官した方のようでした。
見学は講堂を含む、前回とは別のコースでした。
古色蒼然とした
サイレン
伝説でも有りそう
講堂内
結構多い見学者
講堂の天井
外観
入口の紋章は
昔の
菊に代わって
今は
桜に錨・・・
教育参考館
今回は外観のみ
(内部は禁撮影)
屋外展示の1つ
短艇を降ろして漕ぐ練習もしていました。
見学後には案内の方と雑談する時間も在り、大戦中に米軍が開発した真空管を使ったプロキシミティ フゥーズ(近接信管)の電源の電池の仕組みなどの話が出来ました。
最近は、火器管制レーダシステムとデータリンクし、データ書き込みする砲弾が在る様です。
また寄贈されたUボートに搭載していた通信機について聞いたら別の場所に在り、公開はしていないとの事。
見学を終えた後に売店に寄る余裕も在り、ゆっくり楽しめました。
お土産は・・・色々!!
各艦艇などの
お馴染みカレーの
レシピ本
CD
公金横領の説明あり
帰宅して読んだ土産のCDの付録の説明書には、明治時代に軍歌の作者が軍の公金を横領した話が載っていて🤣苦笑い
歴史上の汚点?を
隠さずに記載して
真面目
私たちを護り
支えてくださる、
くださった
方たちに感謝