昔、お年寄りたちから聞いた話などを思い出せるままに書いて見たいと思います。



先ず片付けをしていたら65年以上前の北欧の国際運転免許証が在りました。
 
 
表紙
 
 
 
 
 
 
 
 
切り替えの出来る
国の一覧と写真など
 
 
 
 
 
 
免許車種の詳細
 
 
 
 
 
 
免許車種の確認印
 
 
 
 
これは書き換えずに残った物らしいです。
 
書き換えたのは、国内の免許と交換した様です。
 
国内での書き換えは鮫洲の試験場での簡単な試験と視力検査だけだったらしいです。
 
 
 
 
なお北欧の或る国での運転免許の実技試験は、試験官を同乗させて路上で指示された運転をするだけだったそうです。
 
 
あれから幾十年もの間、国内での外免切り替え制度はどのくらい変わったのでしょうか。
 
 
最近になり事故の数が増えて来て問題となったので慌てて制度を大きく変えたのでしょうか。
 
 
 
まあ最近ほどに海外からの外免切り替えが増えるのを、役所が想像出来なかったのかも知れません。私の個人的な感想です😁。
 
 
 
 
 
 
 
以下は、オマケで
 
70年以上前の占領下の沖縄の米軍発行の運転許可証です。
 
 
表面
 
 
 
 
 
裏面
 
 
 
積載量750kgまでのトラックが運転可能との記載。
 
写真も無く、こんな物で済ましていたのですね。
 
 
 
 
以下オマケのオマケ
 
 
朝鮮戦争当時はパスポート無しで大陸で働いていた日本人が居たらしいとの話を当事者から聞きました。
 
(北杜夫氏の短編小説「浮標」の登場人物たちのモデルもそうだったのではと想像しています。)
 
 
 
脱線しますが
 
月刊文春の記事では、終戦直後にTYO?発で大陸上空を訓練飛行して帰還していたとの記載が在りました。特定の河川に沿って極低空のルートで。

これは日本人パイロットらしいです。事故が在ることを予想して、身元に結び付く物は所持させていなかったのでしょう。
 
 
脱線ついでに
 
つい十年くらい前に或る低い山肌を縫う様に某国の双発機が飛ぶのを見ました。パイロットの顔が見える程に山肌をなめる様に飛んでいました。最近でも此の様子ですから昔は、更に・・・と思ってしまいます。
 
 
 
蛇足

或る方が戦後、米軍兵士から直接聞いた話では、爆撃照準機で、地上のタバコの灯りが見えたそうです。

 
 
独り言
 
戦後のあの時代は誰でも、自分たちや家族の暮らしを一所懸命に支えていたのでしょう。
 
占領下や真の?🥴独立に向けて移り行く時を活きて行く為に。
 
その苦労に感謝です。
 
 
 
英文速記者や通訳、秘書として稼いで、さらに運転手としても働いていた方たちも・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 全ての方たちに感謝します。

亡くなった方たち凡ての御冥福を祈ります。