思い切って始めたこのブログですが。

 

実は、もともと書いていた別のブログがあります。

9年前に開設したブログで、途中で更新が滞りつつも様々な日常を綴ってきました。

 

もちろん、夫とのことも…。

 

本当は、そのブログに夫のこともご報告させていただこうと思っていたのですが、

ある出来事を通して…やめました。

 

Facebookでは、ほとんどの方がリアルで繋がっている方ばかりなので、

そこには自分の想いをあげていたのですが。

 

ある方の言葉に傷ついて、

不特定多数の方が読むブログに書くのはやめようと思ったのです。

 

簡単に言うと

「不幸ぶるな!」という類いの言葉です。

 

不幸ぶる?

 

大切な人が突然この世界からいなくなって、

哀しいと言ってはだめなわけ?

 

昨日まで隣で笑っていた人が、

次の日にはもうどこにもいないのが苦しいと言ってはだめなわけ?

 

何をもってそのような言葉を吐いたのだろうと、

当時は夫が穢されたような想いしかありませんでした。

 

でも、結果的によかったと思っています。

 

一定期間とはいえ、接点があったその人の

表向きの着飾った言葉とは裏腹の本性を垣間見ることが出来て。

そして、そんな中でも仲間が支えてくれたこと。

 

さらに、この半年はあらたな仕事も加わり、状況も変化して、

更新できなかったブログでも毎日何十人という方が訪問してくれたこと。

 

また、Facebookの記事を読んだ友人知人が

「自分だけじゃないって勇気づけられた」と何度も言ってくれたこと。

 

4年という歳月が流れて、古くからのブログにも書ける準備が整ったと感じました。

と言っても、こちらで書いていた記事とかぶる内容がしばらくは続くと思います。

場合によっては、まるまる同じ内容を移行することも考えています。

 

何かの形で残しておきたい、という想いから始めたこちらのブログですが、

古くからのブログに引っ越しをさせていただくことにしました。

 

短い間でしたが、読んでくださった方に感謝の想いでいっぱいです。

本当にありがとうございました。

 

 

 

前回の記事から、あっという間に4ヶ月近くも経ってしまいましたあせる

あれもこれもと複数のことが並行して出来ないようで…。

 

新しい職場への通勤、仕事、人間関係が、

日常生活にすっかり馴染むまでやはりそれなりに時間がかかりました。

 

2022年に入り、2月8日の夫の命日が近づくにつれて、色々な想いが湧いてきました。

 

2018年に突然倒れて旅立ってしまってから丸々4年が経ち、5年目になるんだなぁと。

 

死別直後の激しい混乱と恐怖、絶望感は時間の経過とともに薄らいできました。

でも、伴侶がいない人生というのは、

こんなにも味気なく寂しいものなのかという想いがなくなることはありません。

 

むしろ、これから先…自分が年齢を重ねれば重ねるほど、

その想いは募ってくるのかなとも感じます。

日常の些細なことでも、夫と笑いながら色々と話せた時間が本当に愛しく思います。

 

また、先日のことですが。

思いもかけないタイミングで感情が揺さぶられる出来事がありました。

Facebookにあげた記事をこちらでも、記したいと思います。

以下です。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

★声をかける、声をあげる★
 
その方が手にしていた杖は、

持ち手の部分まで金属(アルミ?)で出来たもので「T」の字を描いていた。
 
街中でよく見かけるお年寄りや身体に障害がある方が使われている…

そのどれにも該当しない形状だった。
 
先日、仕事帰りに地元の銀行のATMで用事を済ませて帰ろうと思った…その時。
 
バタン!という音が響き渡り、振り向くと男性が膝をついて倒れていた。
 
駆け寄ると、右手にT字の杖を握りしめたまま、左手を床について倒れ込んでいた。
顔は下を向いていたのでハッキリ見えなかったけど、そんなにご年配じゃない。
 

必死で起き上がろうとされていたので介助しようとした。
 
右手はしっかり杖を握られたままだったけど、

その時の体勢では虚しく床を滑るだけで用を成していない。
それだけに、杖の無機質な感じがものすごく哀しく見えた。
 
左腕を取り、男性が起き上がろうとするタイミングに何とか合わせようとしている最中。
 
手から伝わってくる感覚が、嫌でもあの時のことを思い出させた。
途端に胸がギュッと締め付けられるように苦しくなった。
 
目の前で突然倒れた夫の右半身がみるみる動かなくなり、

かろうじて動く左手をついて必死に起き上がろうとしている…

あの姿と目の前の男性が被った。
  
見ず知らずの男性が着ていた太い毛糸で編んだセーターも。
背格好も。
髪型も。
年の頃も。
見れば見るほど似ている。
 
 
なんで!!(色んな意味で)
 
 
少なからず動揺しつつも、

脂汗をかきながら立ち上がろうとしている男性の介添えで必死だった。
 
杖が必要ということは脚に何らかの支障があるからだと思うけど、

なかなか力が入らないようだった。
 

眼球も少し白濁していたから、視力も弱いのだろうか。
 
夫の時にわかったけど、成人男性は自分が思っているよりずっとずっと重い。
 
「大丈夫ですか?」という問いかけが、

途中から「大丈夫」と男性なのか自分なのか…それとも両方なのか。
言い聞かせるようになっていた。
  
数分奮闘して、ようやく立ち上がり体勢を整えられて息が乱れながらも

「ありがとう」とハッキリ言われた。
  
「大丈夫ですか?」と尋ねると頷かれたのでその場を後にして、

友人と待ち合わせをしていたカフェに向かった。
  
直前にあったことを説明しているうちに様々な感情が湧いてきて、

途中から泣きながら話していた。
  
さらに、友人に言われて気づいたけど…。
ひとりで何とかしようという癖がこの時も出てしまっていた。
 
私もかがんでいたので見えなかったけど、人の出入りの気配はあった。
「誰か力をかしてください!」「助けてください!」って声をあげればよかった。
なんで言えなかったんだろうと悔やまれた。
  
杖を握っていない左手には、エコバッグをさげていらっしゃった。
無事に家路につかれるようにと祈る想いだった。
 
会話を交わしたわけではなかったけど、

あの男性との出来事を通して自分の中の色々な想いを知ることができた。
  
似たような状況に遭遇した時、また心が疼くことがあるかもしれないけど。
声をかけたいし、今度は声をあげようと思う。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

男性の腕を取って介添えをしている最中に伝わってきた生々しい感覚は、

一瞬にして時間を超えて当時の出来事を呼び覚ましました。

 

思いもかけないタイミングや、場所、そして出来事で、

こんな風に感情が揺さぶられることがあるんだと実感しました。

 

 

 

 

11月14日。

企業講師をしている友人と開催した、第2回目の無料対話会が終了しました。

 

自分以外の誰かの話を聴く度に、贈り物を受け取ったような感覚が訪れ。

 

対話を重ねることによって、自分の中から湧き上がってくるものがあり。

 

その感覚が心地よく、優しい拡がりを感じました。

 

 

前回もご感想としていただいたのが

「こんな話しが出来る場所がなかった」

「安心して話せる場」だということ。

 

嬉しいことに、前回に引き続きご参加下さった方も。

 

いい悪いという判断抜きの世界だとわかると、

本音で自分の想いを言葉にすることが出来る、ということもおっしゃっていただきました。

 

 

私が長年たしなんでいるからかもしれませんが。

まるで躙り口を通って入っていく「茶道」の世界に通じるようにも感じました。

 

刀を置いて茶室に入った戦国時代と現代はもちろん違いますが…。

ある意味「こころを武装」しながら生きている人が多い中、

その鎧をといて入っていける場所。

そのように思えたのです。

 

 

「死」というテーマを入口にして。

次々とその方の「なにか」が動いていく様子を感じながら、

同時に不思議な安らぎも覚えた私。

 

参加者さんの口から紡ぎ出される言葉は、

どこかしら自分にも当てはまることがあり。

 

それぞれが「個」として参加していても、

大きな繋がりを感じざるを得ない瞬間が「ひとつ」という感覚を呼び覚ましてくれた…。

 

そんな時間が愛しいと身体中で感じられた対話会。

 

「死」という視点に立った時。

「生」の輪郭がより鮮明に視えた貴重な体験でした。

 

これからも、様々なテーマで開催していきたいと思います。

 

ご参加くださった皆様と、

貴重な時間をご一緒できて本当に良かったと感じています。