前回の記事から、あっという間に4ヶ月近くも経ってしまいました
あれもこれもと複数のことが並行して出来ないようで…。
新しい職場への通勤、仕事、人間関係が、
日常生活にすっかり馴染むまでやはりそれなりに時間がかかりました。
2022年に入り、2月8日の夫の命日が近づくにつれて、色々な想いが湧いてきました。
2018年に突然倒れて旅立ってしまってから丸々4年が経ち、5年目になるんだなぁと。
死別直後の激しい混乱と恐怖、絶望感は時間の経過とともに薄らいできました。
でも、伴侶がいない人生というのは、
こんなにも味気なく寂しいものなのかという想いがなくなることはありません。
むしろ、これから先…自分が年齢を重ねれば重ねるほど、
その想いは募ってくるのかなとも感じます。
日常の些細なことでも、夫と笑いながら色々と話せた時間が本当に愛しく思います。
また、先日のことですが。
思いもかけないタイミングで感情が揺さぶられる出来事がありました。
Facebookにあげた記事をこちらでも、記したいと思います。
以下です。
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★声をかける、声をあげる★
その方が手にしていた杖は、
持ち手の部分まで金属(アルミ?)で出来たもので「T」の字を描いていた。
街中でよく見かけるお年寄りや身体に障害がある方が使われている…
そのどれにも該当しない形状だった。
先日、仕事帰りに地元の銀行のATMで用事を済ませて帰ろうと思った…その時。
バタン!という音が響き渡り、振り向くと男性が膝をついて倒れていた。
駆け寄ると、右手にT字の杖を握りしめたまま、左手を床について倒れ込んでいた。
顔は下を向いていたのでハッキリ見えなかったけど、そんなにご年配じゃない。
必死で起き上がろうとされていたので介助しようとした。
右手はしっかり杖を握られたままだったけど、
その時の体勢では虚しく床を滑るだけで用を成していない。
それだけに、杖の無機質な感じがものすごく哀しく見えた。
左腕を取り、男性が起き上がろうとするタイミングに何とか合わせようとしている最中。
手から伝わってくる感覚が、嫌でもあの時のことを思い出させた。
途端に胸がギュッと締め付けられるように苦しくなった。
目の前で突然倒れた夫の右半身がみるみる動かなくなり、
かろうじて動く左手をついて必死に起き上がろうとしている…
あの姿と目の前の男性が被った。
見ず知らずの男性が着ていた太い毛糸で編んだセーターも。
背格好も。
髪型も。
年の頃も。
見れば見るほど似ている。
なんで!!(色んな意味で)
少なからず動揺しつつも、
脂汗をかきながら立ち上がろうとしている男性の介添えで必死だった。
杖が必要ということは脚に何らかの支障があるからだと思うけど、
なかなか力が入らないようだった。
眼球も少し白濁していたから、視力も弱いのだろうか。
夫の時にわかったけど、成人男性は自分が思っているよりずっとずっと重い。
「大丈夫ですか?」という問いかけが、
途中から「大丈夫」と男性なのか自分なのか…それとも両方なのか。
言い聞かせるようになっていた。
数分奮闘して、ようやく立ち上がり体勢を整えられて息が乱れながらも
「ありがとう」とハッキリ言われた。
「大丈夫ですか?」と尋ねると頷かれたのでその場を後にして、
友人と待ち合わせをしていたカフェに向かった。
直前にあったことを説明しているうちに様々な感情が湧いてきて、
途中から泣きながら話していた。
さらに、友人に言われて気づいたけど…。
ひとりで何とかしようという癖がこの時も出てしまっていた。
私もかがんでいたので見えなかったけど、人の出入りの気配はあった。
「誰か力をかしてください!」「助けてください!」って声をあげればよかった。
なんで言えなかったんだろうと悔やまれた。
杖を握っていない左手には、エコバッグをさげていらっしゃった。
無事に家路につかれるようにと祈る想いだった。
会話を交わしたわけではなかったけど、
あの男性との出来事を通して自分の中の色々な想いを知ることができた。
似たような状況に遭遇した時、また心が疼くことがあるかもしれないけど。
声をかけたいし、今度は声をあげようと思う。
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男性の腕を取って介添えをしている最中に伝わってきた生々しい感覚は、
一瞬にして時間を超えて当時の出来事を呼び覚ましました。
思いもかけないタイミングや、場所、そして出来事で、
こんな風に感情が揺さぶられることがあるんだと実感しました。