二日酔いだ。頭が痛い。
昨日は花園神社の酉の市に行った。
行ったのは11月17日(金)の二の酉前夜祭。
花園神社、裏から入ったので狛犬ちゃんがお出迎え
延享2年(1745)乙丑正月吉日建立
古い!今から272年前!
境内に入る。
二の酉前夜祭とはいえ、かなり人がいた。
毎年60万人もの人が花園神社の酉の市に来るらしい!
いつもは花園神社の一の酉の本祭に来てた。
ちなみに去年の花園神社・酉の市のムルブログ
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https://ameblo.jp/812zappa/entry-12219337400.html
昔は目黒の大鳥神社や浅草の鷲神社にも行ってた。
酉の市マニア笑
ちなみに関東三大酉の市は新宿・花園神社、浅草・鷲神社、府中・大國魂神社だ。
熊手!
でも失礼ながら熊手は一回も買った事がない。
今回も買わなかった。すみません。
どっちかっていうと、こっちが目的かも
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お好み焼き・広島焼き
大きいたこ焼き
ジャンキーな感じでこれはこれで美味しい。
さっき去年の酉の市のブログ記事見たら、
去年も同じもの食べてた笑
そしてハイボール
自分を解放した。
色んな屋台があったり、見世物小屋があったりで楽しい。
そういえば誰かに聞かれた事がある。
酉の市はいつ頃からあるのか?由来は?
そんな質問があったので調べました。
酉の市
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神道の解説では、大酉祭の日に立った市を、酉の市の起源とする。大鳥神社(鷲神社)の祭神である日本武尊が、東征の戦勝祈願を鷲宮神社で行い、祝勝を花畑の大鷲神社の地で行った。これにちなみ、日本武尊が亡くなった日とされる11月の酉の日(鷲宮神社では12月の初酉の日)には大酉祭が行われる。また、浅草・鷲神社の社伝では、日本武尊が鷲神社に戦勝のお礼参りをしたのが11月の酉の日であり、その際、社前の松に武具の熊手を立て掛けたことから、大酉祭を行い、熊手を縁起物とするとしている。
実際の祭りは、花又の鷲大明神の近在農民による収穫祭が発端といわれる。鷲大明神は鶏大明神とも呼ばれ当時氏子は鶏肉を食べる事を忌み、社家は鶏卵さえ食べない。近郷農民は生きた鶏を奉納し祭が終わると浅草寺観音堂前に放ったのである。このように鶏を神とも祀った社は、綾瀬川に面しているため水運による人、物の集合に好適であった。そのため酉の日に立つ市には江戸市中からの参詣者も次第に多くなり、そこでは社前で辻賭博が盛大に開帳されたが安永年間に出された禁止令により賑わいは衰微する。
かわって、酉の市の盛況ぶりは浅草の鷲大明神へと移り、最も賑わう酉の市として現在に至るのである。また浅草鷲大明神の東隣に新吉原が控えていたことも浅草酉の市が盛況を誇る大きな要因であった。時代が下るにつれ江戸の各地で酉の市が開かれるようになり、今では関東の多くの寺社で開催されるようになった。
このように酉の市とは、秋の収穫物や実用の農具が並んだ近郊農村の農業市が江戸市中へと移行するに従い、招福の吉兆を満載した飾り熊手などを市の縁起物とする都市型の祭へと変遷してきたのである。
「酉の市」の立つ日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並ぶ。また、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与され、福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ「かっこめ」と呼ばれている。元々は鷲神社周辺の農民のために縁日の境内で熊手や鍬などの農具を販売していたのが、次第におかめなどの縁起物がオマケとして農具につけられるようになり、それが今日の装飾熊手の由来となっている。
縁起物の代表である熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模したともいわれ、福徳をかき集める、鷲づかむという意味が込められている。
だそうです。
この後、夜の歌舞伎町に繰り出した。
つづく