何だか眠れないのでアウトプットします。
文章纏まってないですがご容赦下さい。
父のこと。
この人は、私がちょっとした恥をかく時、失敗した時それを優しく庇ったりフォローしたり愛を感じる注意をする事はあまりありませんでした。
たまには父親らしくこうするんだよ、みたいな時はありましたが、父は極端な二面性があったと思います。
世間に見せる、社交的で面白くて面倒見の良い人。良いお父さんだね、とよく言われました。
世間にそう思わせるテクニックを持ち合わせていました。
裏ではモラハラ?自己愛?子供たちを傷付けては楽しんでいる人でした。
そこで笑う?って場面で父のクスクスと笑っているのが聞こえる。
子供心にそれが嫌で深く傷付きましたが、諦めて絶望していました。
笑わないでよ!とも言わなかったし黙っていました。
大人になってもそれはあり、私がその場で伝えないから父も止めない。黙る癖が私にはついています。
どうせ逆ギレされ、もっと怖い目に遭う。
私の根底にこの想いは深く刻み込まれています。
伝えても父は怖い顔で
冗談だろ💢と強い口調で私を黙らせたと思います。
何度か止めて欲しい事や反論をした時、そう言われてきたので黙るしかありませんでした。
自分に非があるのを認めたくないので、あくまでも”冗談“を真に受けてマジに怒るお前の受け取り方が悪い。
そこから動く事は絶対にありませんでした。
子供は冗談通じないのに、悪意のある父の発言に素直に傷付く事を父は怒りました。
沢山傷付けられ人格を否定され、
子供だから上手く伝えられなかったかもしれないけど私なりにそれでも父に反発する時がありました。感情が爆発 した時も。
何が目的だ?
と何度か言われました。
まるで私が何かを企んで父を貶める為に怒っているかのように、子供たち時代から言われてきました。
ただ父の態度か発言で止めて欲しい事を伝えただけなのに
私は警察に取り調べを受けているように追求され、論破され、子供だから当然言いくるめられて、話しの論点を変えられ、私を敵として父は戦いに勝った感じになり私の気持ちは伝わらないまま 何だか私だけが悪い事にされ、終わり。
をずっと繰り返されて育ちました。
母も助けるどころか父に応戦したり、知らんぷりしたり。
姉も一緒に 加わり三対一で攻撃された事もあります。
私が泣いて訴えると決まって父は
お~大袈裟だな
演技するなよ
と私の涙を嘘泣きとし、大した酷い事言ってないのに被害者面して泣いてみせ、俺を困らせるしたたかで小賢しいやつ。
と言いたかったのだと思います。
何度もそんな事は中学生から30位まで繰り返されていていました。
ある時、母はそんな後、父に 応戦したお詫びのつもりなのか私にいきなりプレゼントをくれた事がありましたが、受け取りませんでした。
父は親戚が集まった時によく私に恥をかかせました。
1,2ヶ月前に子供なりにやらかした事をその時は注意せず、親戚の前で突然その話題をしました。
桜餅がいつかこんな事をして、(言って)困ったわ~
親戚の誰かが私に注意します。
桜餅ちゃん、そんな事言ったの?
駄目でしょう?
私は皆の前でいきなり恥をかかされたようになりそれが顔に出ていたと思います。子供ですから。反論も出来ません。
その時の父の表情は忘れません。
下からのぞき込むようにニタニタ私を見て楽しんでいました。
ざまーみろ
と言うセリフがぴったりの表情。
私の失敗は親戚が来たときのとっておきの屈辱のネタとして使われる事も何度かありました。
私が学生時代、人を傷付けてたのも、理不尽な事に瞬時に無力感を感じ言い返したり出来ないで来たのも、自分の感情に自信が持てないのも、結果人に健全な境界線が引けないで軽んじられて来たのも、ここら辺を原体験としてあると思います。
家での私の役割はサンドバッグでした。
父は謝ることはないですし、なんなら桜餅は困った奴だ、と思っています。
親戚の一人は調子に乗って私をからかってくるようになりました。
怒ったら、怒ったら私が悪い事になります。
その親戚が私をからかうときも、勿論両親は助けてくれませんでした。
黙って見ている、私を盾や矛にして自分達の立場を守っているふうに見えました。