王安石の改革
カエサル日記の歴史の記事をお読みの皆様改めて明けましておめでとうございます。
さて、2010年度の記念すべき第一回目の記事は北宋の王安石の改革についてです。
後周の武将の趙匡胤が建てた北宋王朝は、太宗の時代に中国のほぼ全土を統一しました。
宋王朝は、文治主義という、節度使の権力を奪って武力を抑え、学識のある文人官僚による統治を行う制度を採用しました。
これにより今の日本のような官僚制度ができました。
皇帝軍である禁軍を強化し皇帝権を強め、科挙に新たに殿試という皇帝が自ら最終試験を行う制度を取り入れ、皇帝を中心とする中央集権国家が誕生しました。
しかし、北宋は、五代十国時代の後晉が契丹族の国の遼(正しい漢字が変換できませんでした。)に与えた燕雲十六州という土地を奪回しようとしましたが、文治主義のために軍隊が弱体化したため敗れてしまいました。
これを機に北宋は、擅州(せんしゅうの擅は土編です。)まで遼に攻められたので、擅淵の盟と呼ばれる、毎年遼に、絹20万匹・銀10万両を贈るという北宋にとって屈辱的な内容の条約を結びました。
また、タングート族の西夏にも同じような条約を結びました。
これにより、遼・西夏に対する多額の歳幣や軍事費の膨張、官吏の増加による人件費の増大により、北宋は財政危機に陥りました。
ここで登場したのが王安石です。
時の皇帝神宗(在位1067~1085年)は、王安石を登用して、財政難を乗り切るために積極的な改革にあたらせました。
ここで王安石の改革した六つの新法について紹介しましょう。
1青苗法
小農民に穀物や資金を政府が低利で貸し付け、収穫時に返済させる政策です。この目的は、地主の高利貸しに苦しむ小農民の救済と、政府収入の増大です。
2均輸法
これは前漢の武帝がとった政策の一つです。各地の特産物を政策が買い上げ、不足地に転売する政策です。物価の安定と流通に役だったのですが、大商人の中間搾取による利益を奪うとして激しく反対されました。
3募役法
徴税・治安維持などの労役奉仕を免除するかわりに免役銭を徴収し、これを雇銭として募役を望む者を募集する政策です。
これにより免役の特権のあった官戸・寺観からも助役銭を徴収して雇銭の財源としました。
4市易法
中小商人の手持ち物資が売れないとき政府がこれを買い上げ、またはその物資わ抵当に約二割の低利融資をする政策です。この目的は、大商人による価格操作を抑制し、物価調整と中小商人の保護でした。
5保甲法
傭兵制に変わる兵農一致の強兵策です。民戸10家を保、50家を大保、500家を都保に編成して、治安維持にあたらせました。
また、農閑期に軍事訓練をし、民兵の養成をしました。
6保馬法
軍馬の不足を補うための政策です。
民間に官馬や代価を与えて、平時に農耕馬として使うのを許し、戦時には、軍馬として徴発しました。
他にも方田均税法というのがあります。
これは、土地に、その土地の良し悪しで等級をつけて、それに応じた税額を課すという制度です。
この制度により公平な税金となりました。
王安石の六つの新法を見ると、今の日本でも実施したらうまくいきそうな法律だと僕は思います。
貧乏人を助けようとする素晴らしい政策だなぁと思います。
しかし、この王安石の新法は、大地主・大商人の利益に反するものだったため司馬光らの旧法党という保守派官僚の反対にあい、王安石は引退し、改革は終わってしまいました。
王安石の改革は、財政は赤字から黒字になり、下層民の負担も軽減され失業者が減り反乱もおき無かったのでとても素晴らしい政策だったなぁと僕は評価します。
王安石の死後旧法党と新法党が対立し、北宋の国力は弱くなり、やがて女真族の金に攻められ、南に逃げて、南宋となりました。
以上いかがだったでしょうか?
王安石は今の腐った日本社会に最も必要な人材ではないでしょうか?
王安石のような政治家が現れるのを期待しています。
