保育園時代に木に登るのが好きで、公園の高い木に登ったはいいけど降りられなくなり、必死に降りて母に助けて貰ったり。よその家の塀に登り平均台のように歩き、塀の家の人に怒られてドキドキしたりと、色んな思い出が蘇ります。母の自転車の後ろにのって、右足が車輪に入り大怪我をしたり。当時住んでいたアパートは、ボットン式トイレ(汲み取り式トイレ)の中が、どうなっているのか知りたくて、覗き込んだことで落ちそうになり、和式の便器の両端に必死につかまり、母を呼んで助けて貰ったり。あれっ、そう言えば母も私を見守ってくれている、応援者の一人なんだあ〜。アイロンが足にくっつけて大火傷をしたり。どれも悲しい気持ちにならなかったのは、きっと私の見守りの人と、たまたま神社のある傍に住んでいたからかなと、思い出しながら思ってみた。また、保育園時代も思い出したら、お話していきたいと思う。人見知りの時期はしばらく続きました。小学校へ入学し一年生の1年間、担任の先生とは一言も話しませんでした。担任の先生は、とても優しく年配の男性の方でした。ある時、学校の遠足か何か忘れてしまいましたが、アスレチックへ行くことがあり、母もその時は一緒に居たので、校外学習なのかもしれません。その時に担任の先生から「今日やっと話をすることが出来ました。1年かかりました。」と、母に伝えたそうです。その先生は話さない私のことを、ずーっとと見守ってくれ、話してくれると信じて嬉しさを話してくれたのだと思います。そんなゆったりと見守ってくれている環境がなかったら、今の私はまた別の私だったかもと思ったりします。人生の中で、そう言う場面が何度もあります。その時にふと思ったのが、たまたま住んでいた所にあったからと言えばそうですが、神社がありお祭りには、いつも山車のあとをついて行き、アイスを貰って楽しんでいたことを思い出します。家の目の前で火事があり、アパートに住んでいたので、消防車の水が、雨戸を閉めてても入ってきて、夢中になって部屋の布団を移動したこと。そしてこの頃から、ちょっと不思議なことも体験します。ある時、ダンボールに風船を沢山つけて3cmほど浮くなど。私は生まれてから、小学校3年生まで過ごし引越しをします。その引越し先にも、有名な神社あります。では、また〜。
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