どうも。80steesのショーンです!!
今日は私の元親友だった、元アップルのカリスマCEO、スティーブ・ジョブスについて書こうと思います(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

その前に宣伝です。


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スティーブ ジョブスが若い頃に勤めていた伝説のゲーム会社アタリのTシャツです。
最近妙に売れています。

ところで、スティーブジョブスがアタリでどのように働いていたのか
面白い話なので是非読んで下さい↓↓

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導師を求めてインドまで旅をしたいと考えたジョブズは、旅費を捻出するため働くことを決める。1974年2月にジョブズは実家に戻り、その日のうちにアタリを訪問、「雇ってくれるまで帰らない」と宣言してアタリのトップであるノーラン・ブッシュネルを引っ張り出した。ブッシュネルに気に入られたジョブズは、40人目の社員として採用され、時給5ドルのテクニシャン(下級エンジニア)として働くこととなった。入社後のジョブズは長髪で風呂に入らず、ビルケンシュトックサンダル(または裸足)でうろつく不潔な姿に加え、誰彼かまわず尊大な態度で接したため、夜勤でひとり勤務していたにも拘らず、技術部長のアラン・アルコーンをはじめ同僚の大半から「失礼な奴」と認識された。


ジョブズはアルコーンにインドまでの旅費の援助を頼み、ミュンヘンでのゲームの修理を旅費込みで命じられて、ドイツ経由でインドへ渡ることで旅費を安く済ませる目処を立てた。彼は仕事を済ませた後一度退社し、友人のダン・コトケと共にインドに辿り着いたが、すぐに赤痢にかかって苦しむことになった上、放浪の末に想像と余りにもかけ離れたインドの実態に失望した[10]。結局その年の秋にはロスアルトスに帰り、鈴木俊隆を導師としてサンフランシスコで禅を学び、瞑想やスタンフォード大学の授業聴講などをして自分探しを行った後、1975年初頭にアタリに復職する。
復職後の夏、ブッシュネルから直々に新製品「ブレイクアウト」(ブロックくずし#ブレイクアウト)の回路の部品減らしを命じられた。「減らした数だけ報酬が出る」と言われたが、ジョブズは自身ではできないことをすぐ認識した。ジョブズは、部外者のウォズニアックを毎晩こっそり社内に招き入れ(ブッシュネルはこれを予測していた)、ゲームをしたり勝手に基板を改造していた彼に対してその片手間に作業を頼んだ。ウォズニアックは、4日間徹夜して部品を20~30個も減らしたが、余りに窮屈で難解な設計は、ウォズニアック自身にしか理解できなかったため、ジョブズは会社からやり直しを命じられ、その場で取りつくろおうとしたが当然できず、結局は、またしてもウォズニアックに泣きつくことになった。そしてウォズニアックは、多少部品は増えたものの、誰もがわかる程度に設計の変更を行った。
ジョブズは、報酬の山分けをウォズニアックに提案し、アタリから受け取った「700ドル」のうち350ドルを小切手でウォズに渡したが、実際には5000ドルを受け取っており、差額をオレゴン州の共同農場につぎ込んでいた。1984年頃、ウォズニアックはアルコーンに偶然出会った際、ジョブズによる報酬搾取の事実を知り、ジョブズとウォズニアックとの間にしばらく確執が生じた。ともあれウォズニアックは、後述のApple IやIIを設計する際に「ブレイクアウト」の部品減らしが、大変役に立ったと語っている。なおアルコーンはアタリを退職後、アップルコンピュータにも勤めていた時期がある。

******* 引用:Wikipediaより*************

この頃から、スティーブジョブスがいかにぶっ飛んでいたかがわかりますよね(*_*)



ただ、この実行力は本当に尊敬します。



彼のすごさは、クリエイティブは発想のみではなくそれを実行に移す所なのでしょうね(^_^.)



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