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全然更新してなかった。


先週大好きなおじいちゃんが亡くなった
肺癌で。癌が発見された時には末期で
余命は二ヶ月程と言われた。

ずっと痛かったはず
苦しかったはずなのに
全然態度に出さずに
良く耐えてたと思う。
おじいちゃんが
ここまで我慢してたのは、
鬱病のおばあちゃんに心配を
かけたくなかったからだと思う。

ずっと近くにいたのに
気付いてあげられなかったの
ごめんね。

おじいちゃんとおばあちゃんは
しょっちゅう喧嘩ばかりしてて、
おじいちゃんが怒鳴るもんだから
おばあちゃんはビクビクしてた。
だけど、本当は凄く仲が良くて、
しょっちゅう旅行行ったりしてた。
私もハワイとか北海道とか
連れて行ってもらったなぁ。

おじいちゃんもおばあちゃんも
凄く苦労した人だから、
お互いに頼れるのは
夫婦だけだったんだよね

おじいちゃんは四人姉弟の
末っ子長男でお父さんが酒豪で
15から働いて給料は全部
家に入れてたんだって。
だけど、おばあちゃんと結婚
してからは、役所で働いて
両親に家を買ってあげて、
自分の家も買ったんだって。
本当に苦労したんだなぁって思う。

おばあちゃんは、
もともと裕福な
家庭に産まれたんだけど
戦争で北朝鮮の方に流されて
親とはぐれて約一回り下の
腹違いの妹をおぶって
川を渡って南の方に逃げて
助かったんだって。

本当に写真見ると良い着物着て
お人形持って裕福な
家庭だったのがわかる
旧姓も珍しくて
日本で今何世帯しか
いないみたい!!

だけど、戦後お父さんの再婚とか
色々あって、鹿児島から1人で
上京して、病院で働きはじめた時に
おじいちゃんとの
縁談があったんだって
それで、おじいちゃんと
おばあちゃんが
結婚したわけなんだけど、
本当に2人とも凄い苦労したんだなぁ
って思う。凄い簡潔に書いたけど
本当はもっと苦労した話聞いてる


おじいちゃんの癌が見つかったのは
おじいちゃんが真夜中に階段から
落ちて倒れたから。

その日私はいつも通りに、
おじいちゃん家にお手伝いに
行って、自分の家に帰った。

深夜2時ごろかな、
そろそろ寝なきゃね。
ってお母さんとそれぞれの
寝室に入って寝ようとした時に
家の電話が鳴ったの。

こんな時間に誰かな
って思ったら、
叔母さんからだった

叔母さんはおばあちゃんの
体調が良くなかったから
北海道から様子を見に泊りに来てた

お母さんに電話なんだって?
って聞いたら、おじいちゃんが
倒れた。行くから早く用意して
って言われて急いで着替えて、
おじいちゃん家に向かった。
救急車が止まっていて
お母さんと叔母さんが乗って
私はおばあちゃんと家で待ってた

気が気じゃなかったけど、
寝ててってお母さんに言われたから
横になってたら朝まで寝てた。

お母さんがおじいちゃん家に
帰って来て大丈夫だから
帰っていいよって言われて帰った

おじいちゃんはそのまま
検査入院になった。

意識はあるから大丈夫って言われて
安心した。数日後おじいちゃんの
お見舞いに行った。
思った他元気でご飯もモリモリたべてた!

だけど、おじいちゃんが倒れた日から
お母さんがよく泣くようになって
お姉ちゃんも泣いてて仕事にも
行けない程だった。

だから、おじいちゃんに
何か病気があったことは、
何も言われなくてもわかった。

さらに数日後、おばあちゃん
家にお母さんと泊まって
おばあちゃんが2階で寝た後、
お母さんが、改まって私に
話があると言って話し始めた。


『おじいちゃんね、
癌なんだってもう長く無いって。』


うん。って冷静に返事をした。
いきなりそんなこと言われても
何が何だか分からなかった。
涙も出なかったし本当に冷静だった。

だけど、数分してから
急に涙が出て来た。
え?癌?長く無いって、
おじいちゃんが?
死んじゃうの?本当に?治らないの?

って。なんだか急に寂しくなって
涙が止まらなかった。

『どうして美穂だけ後から伝えたかというと、ずっとおじいちゃんとおばあちゃんのお手伝いしてくれてて、この事を知ったら悲しむと思ったから。』

って、お母さんなりに
気を使ってくれたんだろうけど
私だけ知らなかったのは、
ちょっと嫌だったなぁ。

一週間ほど入院しておじいちゃんが
帰ってきた。退院してから変わったことは
1人で沢山歩けなくなったこと、
寝てる時間が長くなったこと。
一階で寝るようになったこと。他

運動がてら、おじいちゃんと
おばあちゃんとお母さんと四人で
海老取り川の橋まで行って、
羽田空港を見た。
キラキラして綺麗だった本当に。
スーパームーンで満月も綺麗だった。

車椅子でおじいちゃんとおばあちゃん
交換して乗せながら家に帰った。

四人であの景色観れて良かったなぁ。
それから何日かおじいちゃん家に
お泊まりして楽しかったなぁ
YouTubeで演歌見せてあげたり
月が出た出た~、踊ったり
おじいちゃんがノラクロ君描いたり
些細なことが幸せだった。





それから北海道から従姉妹が来て
みんなで御彼岸に、曾祖父母の
お墓参りに錦糸町まで行って、
おじいちゃんおばあちゃん行きつけの
美味しい美味しいお寿司食べに行った!





いままで食べたお寿司で
一番美味しかったなぁ~!
鮨屋の女将さんもおじいちゃんが
しばらく来てなかったから、
凄く心配してた。

前回来た時に、次は孫を皆連れてくる
って女将さんに行ってたんだって
嬉しいなぁ。行けて良かったなぁ。




その前の週には美味しい
鰻も食べさせてもらったし、
美味しいもの食べさせてもらって
良い思い出になった!




9月19日にはおじいちゃんの
81歳のお誕生日もお祝いした!
おじいちゃんお誕生日を凄く
楽しみにしていたみたいで、
毎日カレンダーに印付けてたなぁ。

みんなで御祝い出来て良かった!
家族写真も何年振り?に撮れたし、
もしかして、記憶にある中ではじめて?



敬老の日にはおばあちゃんと
お揃いのお箸と茶碗と腹巻をあげた!

本当に今年の7月あたりから
一緒に沢山時間を過ごしたなぁ。

自転車で行ける距離に居ながら
1年に数回しか会いに行かなかったこと
本当の本当に悔やんでる。
これだけは本当にごめんなさい。
これからはおばあちゃん守るからね。



10月6日AM7時40分頃
おじいちゃんは静かに穏やかな顔で
亡くなった。急いでおじいちゃんの
所に向かってから、動かなくなった
おじいちゃんを見て本当に大泣きした
おばあちゃんが頭がまだ温かいよ
って教えてくれておじいちゃんの
頭に触れたら本当にまだ温かかった。

泣き崩れるおばあちゃん、

私はこれからどうすれば良いのよ
おじいさん返事してよ、ねぇ、
また喧嘩しようよ、
どんなに喧嘩したって
いつも一緒にご飯食べて
仲直りしてたじゃない
あたしをひとりぼっちにしないでよ
また旅行に行こうって
言ってたじゃない。


って、ずっとずっと離れないで
泣いてて私もずっとおばあちゃんの
背中をさすってそばに居た


若いころから働いて苦労していた二人
お互いに頼れるのお互いだけ
家を出たくても身寄りがなかった
おばあちゃんは、どんなに辛くても
家から出られなかったし、
本当におじいちゃんだけだったのに
生涯のパートナーを亡くして
その気持ちを考えると
いたたまれなかった。


午後、葬儀屋の人が来て、
おじいちゃんに白い布をかけて
胸元に小さな刀を置いたり、
線香とか色んなものを、
置いたり用意をしてくれた。

白い布を掛けられたおじいちゃんを
見て本当の本当に
亡くなってしまったんだって
実感して更に涙が出た。


夕方、明日の御通夜に着ていく
服とか諸々用意するものがあったから
家に帰宅。明けて翌朝、
13時におじいちゃんが、
葬儀場に送られるということで、
家にいるおじいちゃんに、
会えるのが最後だったから、
午前中に会いに行って、
おじいちゃんが葬儀場に
一足先に行くのを見届けてから、
また、帰宅して昼食を食べて、
葬儀場に向かった。

そして、初めて湯灌という、
儀式を体験した。

湯灌というのは納棺する前に、
身なりを綺麗に整えてあげることで
皆でおじいちゃんの頭を洗ったりした
基本的にその技師が体を拭いたり
爪を切ったり髭を沿ったりするけど、
最後のお着替え、旅の準備を
手伝わせてくれた。

そして、納棺…
皆でお花を入れて綺麗にした。
おじいちゃん本当に穏やかな顔で
元々綺麗な顔立ちだから
本当に良い顔してた、

そして、納棺をしてから
お経まで時間があって
談話室で従兄弟と話してたら
技師がクインテットの
男の人に似てたって言い始めて
笑が止まらなかった、笑

お経を聞いて皆で食事をした
お寿司とかオードブル美味しかった!

そんな感じでお通夜が終わって、
家が近かった私達は帰宅、

翌日、朝5時に起きて、
父方のおばあちゃんを、
車で迎えに行ってから
葬儀場に向かった。

初めにお経が始まった

不謹慎な話だけど、
お経ってなんかジワジワ
笑えてくる部分があって、
笑を堪えるのが苦手だから
お経苦手なんだけど、
その日もおじいちゃんの葬式だから
絶対笑えないと思って
歯を食いしばって目をつむって
口元にハンカチを当てて、
おじいちゃんとの思い出を
思い出してた。


お焼香が終わって、
暫くするとすごい泣き声が
聞こえてきた、

本当に凄かった

誰だこんな泣いてるの
と思ったら従姉妹のお姉ちゃんだった
本当におしとやかで、
綺麗なお姉ちゃん

北海道に、住んでいるけど、
やっぱり女の初孫で沢山
可愛がってもらってたし、
本当におじいちゃんが亡くなって
色々思い出して泣き出しちゃった
んだなぁって思った。

それで、前を向いて目の前に座ってる
お母さんをみたら、ハンカチで
顔を覆って肩を震わせて、
小さくしゃくりをあげて泣いてた、

お母さんは末っ子だし、
本当に本当におじいちゃんと、
似てて仲良しで可愛がられてたから
おじいちゃんのこと大好きだったし
親が亡くなったら涙も止まらないよな
って思って。暫くお母さんの
背中を見てた。そしたら、
お父さんが、優しさで
お母さんに声を掛けた。

そしたら何故か急に笑い始めて


(え?なに笑ってんの、お母さんこんなに泣いてるのに、ちょっと酷くない?)

って、思ってた。

そんなこんなで、お母さんと従姉妹が
大泣きしてお経が終わって、
御坊さんから退場するから
合掌して、最後のお別れの準備を
しますので1度退室お願いします

って言われて控え室に移動した


そしたら、突然お母さんが
大笑いし始めてビックリした

そしたら大泣きしてた従姉妹も
大笑いし始めて何が起きたかと
思ったら、実は2人とも
泣いてなくて笑いが堪えられなくて
泣いた振りしてたって言い始めたw

我が家がお墓を置いてる
お寺の宗派は天台宗らしいんだけど
この天台宗のお経は、
途中で御坊さんが立ち上がって
線香を数本持って振り回し始める
んだけど、その振り回してる
姿があまりにも可笑しくて、
笑いが堪えられなかったんだってww
そしたら其の後ハリセンみたいなやつで
おじいちゃんがはいってる棺の
足元の方を凄い勢いで叩き始めて
今度はお札を手裏剣のように
飛ばし始めて可笑しかったって笑


いや、ほんとびっくりしたよ
あそこまで、大きな
しゃくりあげたふりして、
笑ってた従姉妹は名女優ですわ

それからおじいちゃんの
棺の蓋が開けられて
また皆でお花を入れて、
お手紙とか入れてお別れして
火葬場に向かった。

本当の本当に最後に
おじいちゃんに触れられる
瞬間だから沢山触って
ありがとうを伝えた。
おじいちゃんが中に入れられて行く
瞬間の気持ちはなんとも言えない
感じだった。寂しかった
これで本当に会えなくなるって。

それから、少し休憩室で
休んで。おじいちゃんが
出てくる所に行った。

機械の扉を開けられて、
お母さんが怖いから
まだ見ない方がいいって
言っておばあちゃんと
お母さんと3人で抱き合って、
目を背けた。それからお骨を、
トレーに乗せて
奥のスペースに移動して
おじいちゃんのお骨を
骨壷に入れた。

後に職員の人がおじいちゃんの、
喉仏と頭蓋骨の骨を見せてくれた

これが皆様が頭蓋骨です。
そしてこちらが喉仏です。

皆様は喉仏というと、
喉の出っ張っている所と、
思っていると思いますが
実は喉仏は第二頸椎という
首の骨なんです

故人様のお骨はとても、
しっかりしていらっしゃいますね

喉仏は、合掌しているように
見えるんですよ

って感じで、説明をしてくれた

本当におじいちゃんの骨は
しっかりしてて、綺麗だった!

こんなにしっかりしてる方は
中々いらっしゃいませんね

的な事を言ってた!
でも、少し赤っぽくなってたんだけど
それは癌だった人の骨の
特徴なんだって!!

なんか、勉強になった笑


そんな感じで、おじいちゃんの
全ての葬儀が終わった。


おじいちゃん今まで
本当にありがとうございました。
おじいちゃんのような、
しっかりとした家族を大事に出来る
立派な大人になれように頑張ります
ずっと見守っててください